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  越後ジャーナル
  パルジェ
再選の高橋燕市長に立ちはだかる混迷市議会  2003・12・12

 12月7日に投開票が行われた新潟県燕市長選挙は、住民投票で敗れて辞職し大義名分のないまま出馬した前職高橋甚一候補と、公選法違反、贈収賄事件で失脚した元職の杉山光映候補の二人で争われ、わずか307票差で、高橋候補が三選を果たした。

 投票率57.03%で、低調だった3年前の、高橋甚一候補と阿部健二候補の一騎打ちによる市長選の69.22%に比べて12.19ポイントも低く、10月末に行われた市町村合併を問う住民投票の69.27%をも下回っている。市民には住民投票の疲れもあるのだろうが、このたびの市長選挙への市民の関心の低さは際立っている。

 当然である。住民投票で、県央東部での合併を主張した高橋前市長が責任を取って辞職したのに、業界4団体、市議会の合併賛成、反対両派の議員がこぞって、同前市長の再出馬を要請。それを断られると、同市長の女房役で、立場は同じだった中野邦雄助役に、雁首を並べて、出馬の要請、これまた断られた。

 吉田町との合併を優先するのでなく、これまで進めてきた三条市などとの県央東部での合併を果たさなければと主張し、県央東部合併に反対する住民投票の結果には従えないという立場で辞職した高橋前市長。告示日ぎりぎりまで、再出馬を辞退してきた。

 逆に、立候補者があれば出馬しないと言い続けてきながら、出馬表明にあたっては、記者団に土下座までして復帰への意欲を見せた杉山元市長は、7年前、二人の建設関連業者からそれぞれ現金を自ら受け取り、公選法違反と収賄罪で、市長の座を追われた過去がある。

 厳しい燕市の財政事情と今後、住民投票の結果に基づいて、まず、吉田町との合併を模索するにしても、将来像を描きにくい状況から、最後の最後まで、市政の引き受け手がいなかった経過がある。

 県央東部での合併を果たさなければやっていけなくなるという合併賛成派が、住民投票の結果では、とても市政を引き受けられないというのは理解できる。しかし、三条市などとの合併に反対し、見通しのない吉田町との合併優先、あるいは単独でいくという主張をしてきた反対派が、反対派の市議会議員の中からでも、市民に責任を取れる形の候補者を擁立しようとしなかったことは市民の批判を浴びて当然。

 合併賛成派からも候補者が出ないなかで、高橋前市長も、業界4団体、市議会合併賛成派、反対派から要請を受けながら重い腰を上げなかった。最後は、いわくつきで、市政を7年前に逆戻りさせる杉山元市長の立候補を阻止するという意味合いはあるにしても、後援会の要請を受けて、ようやく決断。

 また、出馬意欲十分だった杉山元市長は、高橋前市長の出馬の意思について、土壇場まで確認できなかったのか、家族の反対を説き伏せて出馬を決意するなど、ボタンの掛け違いによって、二人立候補となった。

 両陣営とも、住民投票の結果に基づき、吉田町との合併を目指すということで、ほとんど公約は変わらなかった。吉田町との合併後については、高橋前市長は、支持者の強い要望を受け入れて「三条市などとの大合併」を掲げたが、杉山元市長は、西蒲原郡の市町村との合併を目指すという形で、かろうじて対立軸を見出した程度。

 これでは、有権者は、明快な政治的な選択肢を見出せなかった。選挙戦は短期決戦だったが、両陣営とも攻め手に欠き、結局は、8年前の登坂健児、杉山光映両陣営の怨念に満ちた対立軸による激突の構図へ。予想通り、チラシ、ファクスなどを使った相手陣営に対する露骨な中傷合戦に堕した。

 後味の悪い燕市長選挙。高橋前市長、中野助役に出馬を拒否され、挙げ句の果てに、本人が出馬意欲十分とはいえ、ダーティな杉山元市長の元に駆け込んで、擁立しながら敗れ去った川上靖夫、大岩勉市議ら反対派市議、刑期を終えたとはいえ、政治事件を起こしている杉山元市長の再出馬を糾弾できなかった日本共産党市議団。

 合併賛成派の市長候補擁立劇では蚊帳の外に置かれ、あわてて、本音だった合併反対の意思も手伝って、反対派と合流し、杉山元市長支持に回った赤塚功議長。僅かな選挙期間だったが、とんだ茶番劇の連続だった。

 今月末に控えている12月定例市議会から、市議会会派の構成も変わらざるを得ないだろう。赤塚議長は、反高橋前市長の旗色を鮮明にしたのであり、県央東部での合併反対派と合流せざるを得ないだろう。

 逆に合併問題を除けば、高橋前市長支持という田辺博市議は、現在無所属になっており、どのような身の振り方をするか。高橋前市長が、合併問題については、住民投票の結果を尊重するとしており、田辺市議は、高橋前市長派へ動きやすい。

 いずれにしても、泥仕合だった今回の市長選挙の顛末から、混迷は避けられないというのが大方の見方だ。





市議会運営難しく どちらが市長になっても
  2003・12・6

 一週間というのは実に短い。燕市では、市長の辞職から50日以内に選挙を行うということで、11月30日に、告示され、選挙運動期間は、きょう6日で終わり、あす7日は、投開票。

 普通、市長選挙などの大きな選挙は、前哨戦が長く、告示後は、終盤という印象が強いものだが、今回の燕市長選挙は、噂は出ていても、土壇場まで立候補者が決まらなかった。

 告示の寸前になって、高橋甚一前市長が、11月26日、業界4団体と燕市議会懇談会の後、高橋作衛会頭らの出馬要請に即答しなかった。翌日、和平寅夫後援会長らとの話し合いで、出馬を決意。

 ところが、対抗馬がいなければ出馬すると準備していた杉山光映元市長は、高橋会頭らの出馬要請にもかかわらず、高橋前市長が回答を控えた段階で、「高橋前市長は出馬しない」と判断。出馬を決意した。

 高橋前市長は、高橋会頭らの要請を受けた段階では「出馬しない」とは言っていなかった。杉山元市長は、高橋前市長が不出馬と聞いて出馬を決意したという形で、どちらも、引っ込みがつかず、28日の記者会見となった。

 立候補者が見つからない状態から、急転直下、市長経験者による一騎打ちとなった燕市長選挙だが、選挙期間は、わずか一週間で、あっという間に、投開票日を迎える。つい数週間前に、県央東部での合併に賛成か、反対かを問う住民投票で激しい運動を展開した後だけに、それに比べれば派手さはない。

 燕市の有権者が冷静に判断して、あすの燕市の行政を任せるのに相応しい候補者を選択するだろう。いずれが当選するにしても、燕市の行政は、しばらくギクシャクするだろう。

 燕市議会は、住民投票を通じて、県央東部での合併について賛成派、反対派、市長選挙を通じて、高橋前市長陣営、杉山元市長陣営に分かれて、基本的には対決姿勢で臨んでいる。

 合併では反対だが、市長選挙では高橋前市長というのは田辺博市議。逆に、高橋前市長への出馬要請では蚊帳の外だった赤塚功議長は、市議会最大与党燕和会を離脱するというハプニングもあった。合併反対だった古寺正晴市議は、病気療養中。

 住民投票並びに市長選挙を通して、大山治郎前議長も求心力を失い、市議会をまとめていく市議がいなくなったことだけは確かだ。杉山元市長が当選すれば、大岩勉副議長などが、議会の調整役を果たすのだろうが、市議会が一本化するとは考えにくい。

 市長選後、どちらが当選するにしても、市議会の会派構成が大きく変わる可能性もある。財政が逼迫しているときに、行財政改革の一端である合併問題が引き金になって、市政が混乱に陥っているのは、なんとも皮肉なことだ。

 燕市民の選択を待ちながら、県央地域の将来、三条市と栄町、下田村の合併、燕市と吉田町の合併の動きを追っていきたい。県央地域の両翼がバラバラになったまま、21世紀の県央地域を想定するのは、はなはだ困難が多いと思われるが。





時代が変わるのに 後ろ向きの首長選挙続く  2003・12・5

 今、時代が大きく変わろうとしている時に行われる、市町村の首長を選ぶ選挙がこれほど重要なことであるのかと、つくづく考えさせられる。戦後のことしか知らない小生だが、少なくとも、日本が敗戦の廃墟から立ち直って、経済の発展を中心に物事を考え、世界の先進国と肩を並べたまではよかった。

 そして、政治は、政治家に任せておけばよかった。地方政治は、あくまでも、政府の考える方向に従って行っていれば、大過ない状況が続いた。独自の政治を行うとしても、税金は国税としてあらかた吸い上げられ、それを地方交付税交付金や補助金として、再配分される。

 産業振興が遅れている新潟県などは、吸い上げられる国税よりも、再配分される地方交付税交付金や補助金などが多いので、この制度はまことに結構な制度に思われた。ところが、政府は、一方で、明治以来の近代化政策を、戦後も続けて、関東、中京、大阪など太平洋ベルト地帯に、集中的に投資を行い、新潟県などには、日本の食料基地として、農業基盤整備を行うのみだった。

 確かに、食料は、国民の生命を維持する上で重要だし、100%輸入に頼っておれないものだ。しかし、新潟県などは米作一辺倒だったために、逆に、土地利用計画においても、多くの規制が掛けられた。

 何よりも、県民の意識が、農業、土木を重要視するために、なかなか、近代化をリードする有能な人材が現れなかったし、登場しても、新潟県で活躍するよりも、他地域で活躍する道を選ばざるを得なかった。

 新潟県の県議団を見ても、農業、土木に関心を示す議員は多いが、産業の近代化に関心を示す議員は少ない。支持基盤が、農村部であり、建設業だから、当選するために無視できないのだろうが。

 県の政策も、いまもって、農業重視だ。ところが、農業の生産性の低さは、県税、市町村税を見ても明らかだ。その生産性の低い農業がこれまで続けてこれたのは、政府の保護策のおかげだ。

 しかし、政府は、日本の財政が危機的状況に陥り、経済も国際的な競争に入って、生産性の高さが極めて重要になってきている時、生産性の低い農業を丸抱えしながら、都市経営をしている地域を守りつづけられなくなっている。

 地方の自立を唱えるのはいいが、生産性の低い農業を保護してきたために、逆に近代化に大きく後れをとった地域は、地方の自立という美名の元に、支援の糸を断ち切られたら、どのように都市経営を進めていくことができるのか。

 時代が大きく変わろうとしている時、今なお、今までの政治が続くと考えながら、政治に携わっている政治家が多すぎる。変わろうとしても、支持者の意識が変わらなければ、政治家も自らの政治生命が維持できない。落選してしまう。それよりも、保守的な考えを示して、支持者の変化に対する恐れを和らげてやった方が、支持率は上がる。

 今春に行われた加茂市の市長選挙、そして今戦われている燕市の市長選挙。いずれも、時代に逆行しこすれ、新しい時代に立ち向かっていこうとはしない。変化のチャンスにしようという立候補者ではなかった。

 時代が変わるということは、政治も変わらなければならない。そのためには、新しいリーダーを撰ぶのが一番。そのチャンスを逸していく市民に、大きな付けが回ってくる。その時に気付いても後の祭りだ。





燕市と吉田町の合併 課題は中間地点の開発の方向性 2003・12・5

 新潟県燕市の市長選挙は、高橋甚一前市長が当選すれば、まず吉田町と合併を模索し、次いで、三条市などとの大合併を目指すことになり、杉山光映元市長が当選すれば、吉田町と合併したのち、西蒲原郡との大合併を目指し、その後に、県央大同合併を考えるという。

 どちらにしても、吉田町との合併が第一順位であり、これまで研究してきた三条市などと合併を含め、そのほかの市町村との大合併までには、限りなく時間を必要とするだろう。燕市が、吉田町と合併するのは、地理的にいっても無理はない。吉田町と燕市とが対等合併するには、多くの困難を乗越えていかなければならないだろうが。

 三条市が、栄町や下田村と対等合併するのと、そう違わない。むしろ、燕市と吉田町との合併問題の成功、失敗の鍵は、燕市側にあるのではなく、吉田町側にある。吉田町の泉光一町長は、金子勝前町長と同様に、燕市と一緒に、県央東部での合併を目指すという考え方だった。

 しかし、金子前町長の急死による町長選挙で、泉町長が誕生。泉町長は、出馬にあたって、燕市との合併は挙げたが、県央東部との合併は公約しなかった。その意味では、燕市と吉田町との合併は望みをつなぐ形になった。

 燕市と吉田町の合併について、これから合併協議会をつくって、両者が同じテーブルにつき、合併の条件をすり合わせ、住民の理解を得たうえで、法定合併協議会へ移行する。そこで、最終的な合併の条件を整えて、晴れて新市に生まれ変わる。

 この点では、三条市と栄町、下田村などと同じ立場であり、吉田町が、西蒲南部寺泊町村合併検討協議会から離脱、燕市も県央東部合併協議会から離脱しているのだから、それ以外に選択肢がないという意味では、スタートは比較的簡単だろう。

 燕市と吉田町を遮るものは、大通川だけで、今回の大通川の大改修で、両地域を結ぶ橋梁なども整備され、随分と改善される見通しだ。合併によって、さらに整備が進むだろう。

 燕市と吉田町の中間地点は、現在は水田地帯だが、国道289号線が整備され、沿線が開発された。中間地点が開発されるのも時間の問題だろう。この中間地点に、大きな商業施設が進出し始めると、開発は一気に進む可能性がある。須頃郷に次ぐ商業集積地になる可能性も秘めている。

 燕市は、須頃郷と燕・吉田の中間地点と、二つの商業機能が充実した地域を持つことになる。もちろん、両者が競合する形になるのは避けられない。県央の中核として発展が約束されてきた商業集積地、須頃郷は、これまでのイメージを変えざるを得なくなる。

 ただ、吉田町と燕市の中間地点に、どのような商業施設を誘致するのか。また新市として、既存の商業施設集積地との整合性をどうつけるのかなど、課題は少なくない。少なくとも、見附市今町に進出してきたディスカウントストアPLANT5のような施設を誘致してくるのか、それとも、さらに大きな商業施設を誘致してくるのか。

 あるいは、それに関連した施設が順調に張りつくのか。今の段階では、まだ、吉田町と燕市の中間地点は水田であり、国道116号線沿線の発展に比べて、商業開発は遅れている。吉田町と燕市の合併が実現すれば、否応無しに、この地域に目が行くだろうし、燕市が、須頃郷に商工会議所を建設しないで、現在地に設立した理由はともかく、今後の吉田町と燕市の合併を考慮した場合には、正解だったといえる。

 このたびの燕市長選挙を契機に、燕市民の目は、須頃郷開発から、吉田町、燕市の中間地帯の開発へと向くだろう。吉田町と燕市の合併は、単に、二つの自治体が一つになるというだけでなく、将来の都市づくりに向けた大きな第一歩を刻む出来事だということだ。





三条市長、合併方向転換を 燕市は誰が市長でもまず吉田町
                                         2003・12・4

 新潟県燕市の市長選挙は、11月30日告示され、三条市などとの県央東部での合併は間違っていないが、住民投票の結果を重んじ、まず吉田町との合併を模索するという高橋甚一前市長と、吉田町など西蒲原郡の町村との合併を目指す杉山光映元市長の二人が立候補。

 どちらが勝っても、まず、吉田町との合併を目指すことには変わりがなく、合併特例債の期限の平成17年3月までに、燕市並びに吉田町と三条市などが合併する可能性は100パーセントなくなった。

 高橋一夫三条市長は、これまで、燕市が、県央東部合併協議会から離脱した後も、将来の県央地域のために、燕市が戻ってくることを期待して、さまざまに対応してきたし、他の町村に対しても理解を求める努力をしてきた。

 燕市の住民投票によって三条市などとの合併が否定され、なおかつ、高橋甚一燕市長の辞任に伴う市長選挙の立候補者探しの段階でも、新しく登場する市長候補者に淡い期待を抱いてきた。

 しかし、高橋三条市長は、燕市長選挙の立候補者二人が、まず吉田町との合併、という主張を、はっきりと打ち出した以上、将来のことを考えると、三条市はじめ他の町村にとっても不利とわかっていても、当面の三条市、栄町、下田村の利益を確保する必要がある。

 燕市と吉田町が、仮に近い将来、合併に成功し、その後に、三条市などとの合併のテーブルに着くとしても、いつになるか、めどは全く立っていない。これ以上、燕市のペースに合わせた合併の対応は、三条市、栄町、下田村の利益を損なうことになりかねない。

 現に、住民意向調査の結果、合併反対が多いからと、4市町村合併から離脱した田上町では、単独で行くことになり、合併特例債の予算を当て込んで実行しようとしていた「リフレッシュゾーン・街なみづくり」の事業が実行不可能となって、田上商工会などが、あわてて、佐藤邦義田上町長に、説明を求める機会を設けたいという。

 田上町商工会は、県央東部合併協議会で合併を審議しているときに、「新潟市との合併」を言い出して、むしろ、町民の県央東部への関心を削ぐ役割を果たしたほど。佐藤邦義町長までが、新潟市に合併を打診。しかし、新潟市から断られた。

 それでも、田上町住民の中には、新潟市との合併を求める声は続いている。住民意向調査で、県央東部での合併に反対した住民のなかには、新潟市との合併を期待している住民も含まれているだろう。

 住民意向調査で合併反対が多く、佐藤町長が、4市町村合併協議会設立準備会からの離脱を決め、単独でいくと宣言した途端、財政の困窮から、さまざまな事業の実施のめどが立たなくなった。当然のことだ。

 三条市は、もはや、燕市の動向を見守っている時ではない。三条市民はもとより、栄町、下田村の住民に、合併しないとどのようなことになるのかを徹底して理解してもらう努力を払わなければならない。栄町、下田村との合併を果たせなければ、三条市も大打撃を受けるし、見通しの立たない「燕市との合併」を待つどころではない。

 高橋三条市長は、現実的な政治選択を取るべきだ。政治は、20年、30年後のことも大事だが、当面している現実を無視しては成り立たない。し尿処理場、地場産センターなどの商工行政をはじめ、燕市との政治、経済における連携のエネルギーは必要最小限度に圧縮しなければならない。

 栄町、下田村との連携強化に本腰を入れないと、それさえ失いかねない。燕市が県央東部合併協議会を離脱した後も、高橋三条市長が、燕市の復帰する場合を考えて対処していたとき、他の市町村では、「まだ、燕市」と、苦笑していた住民もいる。180度、方向転換して、しばらくは、南蒲原郡での、よりよい合併を模索して行いべきだろう。

 燕市民が住民投票によって、自らの道を選んだのであり、市長選の候補者もそれに従うのだから、それによって、田上町のように合併離脱の直後から、慌てる人たちが出てきても、三条市など他市町村が口出しすることはできない。むしろ、今、合併の相手になっている栄町、下田村の住民の理解を得るために最大限の努力を払うべきだ。それぞれの市町村住民が結論を出してからでは間に合わない。