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  越後ジャーナル
  パルジェ
これからの影響懸念 SARSシリーズを終えて 2003・6・26

 SARS(新型肺炎)問題も、ようやく沈静化に向かっている。もちろん、一部に、SARSは冬に感染しやすいという報道などもあって、ひと冬越してみないとわからない点もあるが、有効な抗生物質が発見されるなど、安心材料もみられる。

 新潟県県央地域に営業の本拠を置く製造業、卸売業、大型小売業などの各社は、ノウハウを活かしながら、かつての台湾、韓国以上に、中国からの輸入品を、幅広く取り扱っている。それだけにSARSの影響が心配された。

 すでに流れている商品の輸入については、一部で、複数の部品を輸入しているため、入荷順序などに狂いが生じている企業もあるが、ほとんど影響はない。中国進出企業も、大手家電メーカーのように、従業員にSARS患者が発生して工場を閉鎖するような事態はなかった。

 もちろん、県央からの進出企業も、工場の内と外を遮断するため、月に1回、出身地に帰っていた現地従業員の外出を一時期、禁止して、感染防止に努力したという。一時期は、過剰反応といわれてもやむを得ないほど細心の注意を払っていたようだ。

 影響がでているのは、日本から、台湾、香港を含む中国などへ、出張していた関係者。SARS感染が広がっているという報道のあるなか、感染の広がっている地域に、無理をして従業員を派遣できない。あるいは、ブローカー的に、少人数で、中国と日本を往来して、ビジネスチャンスを掴んでいた関係者は、日本に帰ってから、潜伏期間の10日間は自宅待機。

 顧客の方は、中国に行って、商談を進めてほしいものの、万にひとつSARSに感染しようものなら、大騒ぎになる。帰国しても、出社しないでほしいという。なかには、中国のホテルに10日間足止めを食ったという業者も。

 一番困ったのは、新商品の開発とクレーム処理。電話やファクスだけでは、なかなか、正確に要点を伝えられない。やはり、日本から担当者が出掛けなければならない。しかし、SARS報道の真っ盛りのころは、さすがに、担当者を派遣できなかった。

 新潟上海便の回復を待って、それも、他社の様子を見たうえで、担当者を派遣したいという企業経営者も。直接、影響はないというものの、やはり、担当者を中国に派遣できなかった影響は7月、8月になって出てきそうだ。

 SARSの感染拡大で、マイナスばかりと思っていたが、なかには、これを逆手に取って、担当者が中国に行けないなら、極力、行かなくても済むようにと、テレビ会議システムを充実させた企業が県央地域にもある。

 大手企業では、国内外を問わず、テレビ会議システムを確立して、常時、本支店、営業所間の会議や情報連絡に活用しているのは常識。中小企業となると、コストの問題や、情報を整理し、的確に伝えるテクニックなど、さまざまな課題から、まだまだ普及していないのが実情。

 インターネットが普及している現在、工夫次第で、低コストでも、十分、テレビ会議を運営できるし、商品情報などは、即座に、多面的に情報伝達できる。話を聞くより現物を見た方が早い。テレビは、なんの情報処理の必要もなく、リアルタイムに情報伝達できる。商品開発、クレーム処理などにも有効だ。

 また、中国で、2時間ほどの商談のために、一日掛りで出張していたものを、日本と中国の取引先の担当者から、日本と中国の本社、支社、営業所のテレビの前に来てもらえれば、即座に商談できる。

 もちろん、テレビ会議システムで全てが解決するというものではないが、研究中だった、コストが最小限で済むテレビ会議システムの立ち上げを急ぎ、成功した経営者は、「SARSのおかげで」と、マイナス要因をプラスに変える発想の転換で経営の合理化に成功している。

 「世界の工場」を目指す中国の勢いは、SARSくらいでは止められそうにない。SARSが感染拡大している時には、日本の大手企業も「生産拠点を中国に集中する危険を見直す」という動きがあった。

 しかし、最近、大手自動車メーカーが、中国を世界の車生産の拠点にすると発表している。それでなくとも、最近、生産拠点を、消費地で生産する動きが見られ、国内での部品生産が減っているという自動車関連。中国の生産技術が向上しているので、中国を生産拠点にするという発想は、輸出立国日本の関連企業にとっては、一時的に騒ぎになったSARS騒動よりも影響が心配されている。

 県央地域のモノ造りは、ボディーブローを受け続けている。日本、とくに県央地域で作りつづけていく製品、部品、あるいは、生かすべき技術と、技術を生かして開発していくべき製品、部品の見極めが重要になってくる。冷静に世界のモノづくりの動きを見ていくことが基本になる。





「合併、今更」と思うが、有効な都市整備を方向を目指そう
 2003・6・24

 新潟県県央地域の核となる三条市と燕市。本来であれば、人口、産業規模、土地の広さなど、群を抜いていた三条市に、中核機能を集中させるべきところを、田中角栄元総理と、その番頭役を務めた小沢辰男元厚相などが手を組んで、県央地域の中核を両市の接点でもあった須頃郷とすることにして、さまざまな投資を行なってきた。

 高速道のインターは、長岡市関原の長岡インターから新潟市黒埼の黒埼インターに直線で走ることなく、須頃郷に入れてインターを設置。新幹線は、長岡駅、新潟駅とも信越本線の駅と一緒だったが、須頃郷に新駅を設置、名称も燕三条駅とした。

 信越本線と新幹線の新駅は、弥彦線で結ばれたとはいえ、駅だけの機能を考えれば、当時としては、未開発の須頃郷への設置は、三条市にとっては、大きなハンディが想像された。

 しかし、国、県、三条、燕両市が、膨大な費用を掛け、土地を持っていた農家の協力を得ながら土地区画整理を実施。大河津分水が完成するまでは、亀田郷同様、春には農家が腰までもぐって田植えをしたという低湿地の須頃郷に、県央地域の中核に相応しい、現在の見事な基盤を築き上げた。

 代償ということではないが、このことによって、三条市は、市街地を分断していた弥彦線を立体交差化することになった。弥彦線と交差していた南北縦貫道路、島田線、弥彦線跡など、市街地の道路整備が進められ、今日では、見違えるほど交通の便も改善された。

 三条市は、市街地の道路、都市下水道の整備など、都市基盤の整備には、膨大な費用を掛けることになったが、市民は記憶を呼び覚ましてもらえれば分かるように、想像を絶するほどの変わりようだ。

 当時は農地ばかりだった須頃郷も、巨額の費用を掛けて土地区画整理を行なった結果、国道8号線に近かったこともあって、バブル景気の絶頂期はもちろん、景気が後退した現在も、公共施設や民間商業、サービス業の施設機能が集中してきている。

 三条、燕両市の市民は、生活習慣から、依然として、須頃郷は両市の外れのイメージを抱いているかもしれない。特に、産業の中核の工業を、吉田町との接点、大通川沿線に工業団地をつくって集中させてきた燕市と吉田町にとっては、一日の大半を過ごす働く場が、須頃郷から離れていることもあって、これまでは、遠いとイメージされたことだろう。

 しかし、地方主要道燕分水線が国道並みに整備され、県央大橋で須頃郷に直結されたことによって、状況は大きく変わった。燕市ばかりか、吉田、分水、寺泊など、国道116号線沿線の市町村にとっても、須頃郷と国道8号線に極めて至近になった。

 さらに、国道289号線の整備を、県央地域の市町村が手を組んで促進させることによって、間違いなく、須頃郷は県央地域の核としての機能を充実させることができる。いや、新潟県でもまれに見る新しい都市機能の集中した、まさに県央の中核として発展する可能性を秘めている。

 それは、単に須頃郷の地域に土地を持つ人々のためだけではなく、現実に、弥彦、岩室、寺泊の全国的な観光ゾーンにしても、須頃郷が表玄関であることは間違いない。南波憲厚元燕市長が、新幹線駅、インターが完成し、市内の幹線道路が整備されると、「燕市は、西蒲原への通過地点になってしまう」と危惧していた。

 燕市が、まかり間違って、西蒲原地区だけに目を向けていたら、まさにその危惧が現実のものになってしまうだろう。むしろ、燕市民も、三条市民も、まだ開発余地の残されている上須頃や、県央大橋を超えて吉田町まで続く工業、商業地域を整備することを考え、中ノ口川の中央橋と佐渡橋との中間に計画されている新橋を架けることで、燕市と中之口村の中間に広がる地域の発展に結びつけることができる。

 県央地域の地図を開けば、都市的な発展は、東から西へとゆるやかに移動していることもわかる。肝心の須頃郷に投資している商業資本の多くは、三条、燕両市の市民ではなく、県外勢であることは、チェーン店が優性を占めている現在の小売・サービス業の実態からやむを得ないが。もっと、須頃郷に着眼すべきだろう。

 須頃郷も開発すべき土地が無尽蔵ということではなく、地価も近郷に比べて高いのだから、先ほど述べたように幹線道路を整備することによって、沿線の計画的な都市整備を進めていけばよいのではないか。

 そうした、県央地域の核となる三条市と燕市が、これまでと同じく、南蒲原と西蒲原の核都市に留まるとしたら、今後も続く、日本の経済力の停滞を考え合わせると、発展、整備は各段にスピードダウンするだろう。

 三条市と燕市が中核になってこそ、県央地域が、新潟県のヘソとしての将来的な発展を約束される。これは建前論ではなく、目の前で起こっている現実である。現実に背を向けてしまっては、政治も経済も立ち行かないことは、ここで言うまでもあるまい。燕市の市議が気付かないのであれば、燕市民が、そして県央地域の住民が気付くべきだろう。そして、立ち上がるべきだ。燕市で、合併をめぐる住民投票を行なってでも、合併に反対の共産党市議団は別としても、ほかの市議には目覚めてもらわなければならない。

 大きな時代の流れに逆らって、何ができるのだろうか。それほど、県央地域の市民の力は大きくない。小さい力を集約して、有効に生かすことが地域発展、市民生活の後退に歯止めを掛けることにもつながると確信しているのだが。



金子勝町長の死を無駄にするな 奇遇というか、6月定例会直前からの出会い
 2003・6・24

 新潟県吉田町は、本紙の販売エリア外だったので、これまでは、時に、工業統計や町勢などのデータを入手するために役場を訪ねることはあっても、三役などに直接取材する機会はなかった。

5/26の記者会見で合併について語っていた金子町長 今回、県央東部合併研究会の5市町村が、そろって法定合併協議会の設置を議会に提案しようという話になってから、高橋甚一燕市長が、「吉田町にも県央東部に加わってもらうよう努力しているので、しばらく待って欲しい」と言いはじめたため、吉田町の情勢を知るために、海藤正年議長はじめ町議会の様子や、金子勝町長、泉光一助役の考えを取材し、報道してきた。


 金子町長は、体格もよく、暴れン坊だと、人伝てに聞いていたが、5月26日に開かれた吉田町議会合併調査検討特別委員会で答弁する姿や、その後、開かれた金子町長の記者会見では、表情に精彩がなく、暴れン坊のイメージはなかった。

 金子町長や泉助役らは、県央東部との合併の腹を決めていたようだが、町議会、特に与党といわれる町議の間でも、「すぐに県央東部との合併を言い出すべきでない」という意見があって、急がれる時期に差しかかっていたにもかかわらず、「住民意向調査の結果に基づき、まず燕市との合併を目指す」と、公式には1歩も、2歩も後退した発言となった。

 また、金子町長が建設業者から金品を受け取っているのではないかという怪文書が議員などに送りつけられ、先の町議会一般質問でも、質問が相次いだ。

 もちろん、金子町長は、「平成9年、町長選に立候補した時、前町長の収賄事件があって、2度とそのようなことのないようにと立候補、当選させていただいた。今も気持ちは変わらない」と答弁で身の潔白を明らかにしていた。


 6月16日に、町議会は全案可決し、閉会しており、17日にも、面会の予定が入っていた。しかし、朝から連絡もなく登庁せず、同町法花堂の自宅で、首を吊って自殺を図った。死亡推定時刻は午後2時ころ。奥さんのイツさんが発見、警察官が駆け付けた時には、息絶えており、医師が検死。病院に搬送されることなく不帰の人となった。

 17日午後5時半ころから、関係者に死亡の連絡があって、泉助役も金子宅に駆け付け、変わり果てた姿の金子町長に会ったという。

 役場では、その後、総務課長ら職員が集まり始め、午後9時ころから課長会議を開いて今後の対応について協議。

 午後9時45分から、記者会見が行なわれた。関連記事は別掲。

 今、思えば、今月12日に開かれた吉田町議会一般質問で、赤川清副議長らの一般質問に答えた後、休憩に入り、3階議場から2階に下るため、エレベーターに乗ろうとしながら、小生が廊下の椅子に腰を下して携帯電話で社員に連絡している姿を見ていたが、物悲しい目つきであった。小生は電話中とあって、お互い、声を掛けることもなかったが、それが今生の別れになるとは考えていなかった。

 高橋甚一燕市長は、議会答弁で、「何回も吉田町に足を運んだ。金子町長には、県央東部に加わってほしい。吉田町と燕市だけの合併はないと言い続けてきた」としながら、最後まで、金子町長との話の内容については「具体的なことは言えない」と言葉を濁し続けてきた。

 果たして、高橋燕市長と金子吉田町長の間で、どのようなことが話し合われていたのか、窮地に立たされている高橋燕市長の姿に、金子町長は、どのような思いを抱いていたのか、あるいは、幻想に過ぎない「吉田町と燕市の合併」を錦の御旗に、県央東部での合併を反対し、吉田町議会にアプローチを送り続けてきた燕市議らは、どのような思いで、この金子町長の自殺を受けとめているのだろうか。

 高橋燕市長はもちろん、そして金子町長も腹を決めていたとされる、県央東部5市町村と吉田町の大同合併を実現できれば、金子町長の死が無駄にならないのではなかろうか。





県央の未来が決まる 緊張の日々、熱い一日
 2003・6・17

 6月12日は、最高気温が午後1時の28.9度、その時の湿度が51.8%。その後、気温は徐々に下がったが、逆に、湿度はぐんぐん上がり、新潟県も梅雨入りしたことを実感させる暑苦しい一日となった。

 合併問題を抱える新潟県県央地域、特に、決断を迫られている燕市と燕市議会。その混乱する燕市、燕市議会を横目に見ながら、あわよくば燕市と合併し、さらに西蒲南部・寺泊との大合併を目論む吉田町、吉田町議会。いずれでも、慌しい動きが見られた。

 吉田町は、6月定例会が既に開会しており、12日、13日の2日間、本会議一般質問。質疑が集中したのは、(1)金子勝町長が建設業者から金品をもらったというものと、既に事実が明らかになった財団法人ビジョンよしだ前職員の不祥事という二つの事柄に関する怪文書に対するものと(2)合併問題。

 怪文書については、赤川清副議長、諸橋久幸、大石吉嗣、金子正子、白倉賢一の各町議が、合併問題については、合併調査検討特別委員長でもある赤川副議長、諸橋、中島清一、土田昇、大石、金子、伊藤一男の各町議がそれぞれ事前に通告していた。

 金子町長の答弁は、トップバッターの赤川副議長に対する答弁で集約された形。建設業者から金品をもらったという怪文書については「何人かの議員から、私に対する中傷とビジョンよしだの不祥事についての文書があることを聞いている。ある人から町内にばら撒かれた怪文書を見せてもらった。平成9年に町長選に立候補した時、(前町長の)収賄という事件があって選挙が行なわれ、『2度とそのようなことのないように』と立候補、当選させていただいた。今も気持ちは変わらない」とした。前職員の不祥事は、女子更衣室にビデオを仕掛け、着替えの姿を撮影、パソコンに取り込んだというもので、すでに処分し、本人が辞職している事件であり経過を報告しただけ。

 合併問題でも、金子町長は、先の特別委員会で答えた通りで「合併は、住民意向調査に基づいて、まず、燕市との合併ということで、燕市と情報を交換しながら、議員のみなさん一人一人の考えを聞いて、住民に受け入れられるような方向を出したい」という範囲を出なかった。

 吉田町の場合、燕市議会の合併反対派が期待しているほど、積極的に燕市と合併したいというものではなく、赤川副議長は「住民説明会に出ていても住民の考えは十人十色であり、町長のリーダーシップが必要。西蒲南部・寺泊と、燕市を合わせた合併を希望している住民が多いのだから、吉田町から攻めていくべきでないか」と追及したが、「もう少し時間を頂きたい」と答えるに止めた。

 一方、16日に6月定例会が招集される燕市。高橋甚一市長は、今定例会に法定合併協議会を設置する案を6月定例会に上程するかどうか、市議会側も上程されたら、これをどうさばくのかなど、県央東部合併研究会の4市町村から、早急に判断を下すことを迫られているだけに、一日中、庁内は緊張していた。

 高橋燕市長は、本来であれば、11、12日の1泊2日で開かれている全国市長会に出席しているはずだが、一日だけで帰り、12日は通常通りに登庁。神経が張り詰めており、午前中、市長室にこもり切り。記者などとも会わず、午後には、県央東部での合併に反対する議員らと、秘密に懇談。合併賛成派の10人とも今後、懇談を予定している。 

 6月定例会一般質問では、当然、合併問題について、各議員が集中的に質問する。法定協設置案を提案するか、どうかによって、質問の内容も変わるし、答弁も違ってくるだろう。

 県央東部4市町村の首長も、6月定例会を控えたなかで、「燕市の出方待ち」などという宙ぶらりんな答弁はできない。きょう、あす中にも、高橋燕市長が、判断を示す必要がある。





[合併問題] 県央東部は見切り発車か 燕市長、法定協6月定例会上程は無理
  2003・6・13

 燕市を含む5市町村で合併について研究してきた新潟県県央東部合併研究会だが、法定合併協議会への移行という重要な局面を迎えながら、高橋甚一燕市長は、6月16日招集の燕市議会6月定例会での、法定合併協議会設置案の上程を見送る公算が大きくなった。

 先の市議選で県央東部での合併を支持する議員が、改選前よりも増え、10人になったものの、吉田町との合併を優先する、合併に反対という呉越同舟の勢力も10人で同数になった。

 議長、副議長を決められないまま、市議会は空転し、合併を支持する側から、議長を選出せざるを得ない状況になり、赤塚功市議が、くじ引きの結果議長に当選。県央東部での合併に反対する勢力は、赤塚議長を「取り組みやすし」とみて、直ちに県央東部での合併に反対の急先鋒である大岩勉市議を副議長候補に立てて、赤塚議長ら11人が大岩市議に投票し、1回の投票で大岩副議長が誕生した。

 これで、県央東部での合併を目指す議員は、完全に主導権を失った。大岩副議長らは、西蒲南部・寺泊町村合併検討協議会から脱会した吉田町に積極的にアプローチ。吉田町議会も、燕市議会の混乱ぶりを見ながら、燕市と吉田町の合併を目論み始めた。

 吉田町議会のなかには、燕市と合併することで、西蒲南部・寺泊との大同合併まで目指すという議員も現れた。しかし、燕市にとって、財政的に課題が多く、規模の小さい吉田町との合併は、将来像を描く上でプラスにならないとされている。

 また、日本共産党燕市議団は、県央東部での合併反対では、大岩副議長らと行動を共にしているものの、吉田町との合併について賛成するという保証は全くない。むしろ、県央東部での合併が潰れれば、その機会を狙って、合併そのものを否定するチャンスとするかもしれない。

 高橋燕市長は、「議会が否決したら、自ら辞任して出直し選挙で市民に問えるか」というところまで研究したが、市議会が高橋燕市長の不信任決議案を出さなければ、議会を解散できないということも判明。6月定例会を控えて、打つ手はなくなった。

 県央東部合併研究会で、2度まで、結論を出すのを遅らせてもらっているだけに、ここに来て、なんら事態を好転させることができなかった高橋燕市長への風当たりが強くなっている。支持者も、「何が何でも6月定例会に設置案の上程を」と、ヒザ詰談判しているが、らちが明かない。

 こうして迎えた6月10日の議員との懇談会。高橋燕市長は、懸命に「法定合併協議会に行って、将来のまちづくりを研究しませんか。それでだめなら、その後に、退会してもいいのだから」と、県央東部での合併反対派に協力を求めたが、状況は好転せず、「6月定例会に上程を」と迫る反対派議員も。

 もはや、高橋燕市長には、この難局を切り開くだけの手だてはないようだ。西蒲原と南蒲原の国、県の行政エリアの違い、気風の違いをもって、県央東部での合併が進まなかった理由にするのは簡単だ。しかし、それらは全てはじめから織り込み済みのこと。それであるなら、なお一層、県央東部での合併のために、全てをなげうって取り組まなければならなかったはず。

 高橋燕市長の責任の取り方は、「辞任しかない」という声が、県央東部での合併を期待する市民のなかにさえ聞かれる。それは、戦略的な辞任ではなく、高橋燕市長の再選なき辞任である。

 高橋燕市長が、この問題でそこまでして責任を取るとは考えられない。結局、県央東部の構成市町村に対して、お詫びをして、燕市は当面、「合併を見送り単独で行く」という選択をするだろう。たとえ、今期限りで、3選の目がないとしても、現状からはそれしか方法を見出せない。

 6月定例会の開会まで、いや閉会までには時間がある。どうせ、6月定例会後、直ちに合併問題のために臨時会を招集するという計画なら、6月定例会に設置案を上程し、決着をつけるべきだ。

 それで、否決されたとしても、否決した議員一人一人が、未来永劫、燕市の将来に責任を負うことになる。記録され、歴史に止められることを肝に命じるべきだろう。いずれにしても、合併問題では膠(こう)着状態の燕市と燕市議会の状況から、県央東部のほかの4市町村は、新しい対応策を打ち立てなければならない。事態は急がれる。





大岩勉君よ知れ! 歴史に果たす政治家の役割の重みを 2003・6・3

 県央地域に、新潟県の中央地域に相応しい新市が誕生するのだろうか。県央東部合併研究会の構成5市町村の首長、議員と、吉田町の首長、議員は、県央地域はもとより、県内外の住民から注目されている政治的な課題を前にして、苦悩の時を過ごしている。

 特に、新市誕生の成否を握る燕市並びに吉田町の首長、議員は、将来にわたって、県央11市町村の枠組みのなかで、共同して取り組むべき事業は共同で取り組んでいかなければならないし、自らの責任を問われる立場に立っているだけに、ただごとではあるまい。

 金子勝吉田町長は、はじめ、県のシミュレーションである県央東部への参加を断って西蒲南部に参加し、やがて目先の財政的な優劣を理由に脱会してしまった。しかし、国の合併推進と弱小な地方自治体にこそ手厚かった地方交付税の見直しの決意は固かった。

 年々、財政は厳しさを増し、他市町村に比べて、遅れていた公共下水道事業に着手したことにより、一気に、財政難が表面化。いずれかの市町村と合併しなければ、先行き都市経営が行き詰まるのではないかという懸念が浮上。

 しかし、一度、独断で脱会した西蒲南部へは戻れない。吉田町と一緒に岩室村までが脱会、新潟市への吸収合併を目指すということになり、残された西蒲南部の分水町、寺泊町、弥彦村の3町村のダメージは大きかった。とても、吉田町が現状で、西蒲南部に戻ることはできない。

 金子町長は、ことここに及んで、「燕市と一緒に県央東部への参加」を考え、支持する議員を集めて意向を聞いた。しかし、町長派の議員のなかにも、燕市との合併ならいいが、南蒲原郡の市町村が大半の県央東部とは合併すべきでないという意見があり、議会全体としても、県央東部との合併は難しいと言われる。金子町長は、「吉田町の住民意向調査の結果に基づき、まず、燕市との合併。次に燕市を含む西蒲南部との合併」と県央東部との合併からは大きく後退した。

 高橋甚一燕市長も、このたびの市議選で、合併推進派の数が増えたものの、それでも10対10の五分がやっとだった。結局、改選を契機に、反対派から推進派に転向した赤塚功市議が議長に就任、反対派の大岩勉副議長とともに、責任を負うべき立場に立った。

 高橋燕市長は、反対派のなかに、吉田町も加わるならば、県央東部との合併に賛成するという議員もいることから、孤立してしまった吉田町にラブコールを送った。吉田町も、高橋燕市長は県央東部での合併の線でぶれていないが、議会の状況から、ともすると、燕市が県央東部から脱会することになれば、吉田町と燕市の合併が実現するのでは、という悪夢を見てしまった。

 県央東部の合併は、構成5市町村が、最大の政治課題として、これまで、多額の資金と時間を掛けて、積極的に取り組んできたこと。吉田町が県央東部に加わらないし、燕市議会がまとまらないことを理由に、燕市が県央東部から脱会するなどということができるはずがない。

 高橋燕市長にとっては、なにがなんでも、吉田町の金子町長を説得し、金子町長は町議会をまとめなければならない。もちろん、高橋燕市長は、それと並行して燕市議会を説得し続けなければならない。

 燕市が県央東部から脱会したらどのようなことになるか。田上町や栄町の議会は、「燕市が抜ければ、振り出しに戻る」としており、なんとしても、燕市が県央東部に残って、合併を実現することを期待している。

 燕市の高橋市長も、1度ならず、2度までも、「待ってほしい」と、結論を出すのを遅らせ、吉田町の説得に努力する約束をした以上は、「できませんでした」「県央東部から脱会します」では済まなくなるだろう。

 いずれにしても、金子町長、高橋燕市長の、リーダーとしての指導力が問われている。ある町の議員は、「われわれは、西蒲原の議員とは、総選挙や県議選、あるいは土地改良区など農業関係でも交わりがなく、説得しようがない。吉田町や燕市の混迷に、結論が出るまで、ただ黙って待ち続けるしかない」と言う。

 高橋燕市長、金子町長は、「どことも合併せずに、単独でいくことでの将来の財政的な危機」も理解しているだけに、限られた時間のなかで、残された手だてを講じて、結果を出さなければならなくなっている。

 三条市も、これまでは、「中核市のひとつ燕市の県央東部での合併」の結論が出るものと待っていた。しかし、「燕市が県央東部から脱会すれば、振り出しに戻ってやり直し」という周辺町村の議員の声があるだけに、なんらかの手を打って、県央東部の枠組みを維持し、その上で、吉田町も加わることになればベストというスタンスで臨まなければならない。

 45年以上前の、「昭和の大合併」の際に合併していなかったら、現在の市町村の姿はあり得なかった。今、県央東部の合併を成就させなければ、20年後、30年後に悔いを残すことになる。それは、単に三条市だけのことではない。近隣市町村も、同様に後悔することになる。

 燕市、吉田町の動きを見極め、軽率な判断は避け、冷静な対応が必要だ。もちろん、いつまでも待てばいいというものではないが。首長、議員は、目先のことに囚われず、英断を下すべきだ。特に燕市の大岩勉副議長など、県央東部との合併に反対する議員は、実現不能な「燕市と吉田町の合併」の幻想に囚われ、吉田町の県央東部への参加を阻止するような動きだけはやめるべきだ。

 県央地域の心ある住民は、大岩副議長らの良識ある行動を信じながら、まず、県央東部、できれば、吉田町の県央東部への参加を実現するために犬馬の労を取るべきであると期待している。

 今、関係市町村が努力しているのは、「県央地域大合併の第一歩」であることを忘れたくないものだ。