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被災地、構造的変化先行 高齢社会で必要なものとサービスは? 2004・11・30

 今回、企業訪問を続けている中で、「最近は災害の話が多いですね」と、率直な意見をいただいている。

 水害、間接的に地域経済に影響してきている台風23号、そして、余震の続く中越地震と、ことしの後半はあまりにも大きな災害が続き、多くの人々が、直接被災し、間接的に被害を被り、あるいは復興支援に翻弄されている。

 水害発生から4カ月が経過した三条市では、嵐南地区や嵐北地区の一部の被災地では、ようやく、家や事業所の施設の復旧も終盤を迎え、何とか、冬の寒さだけは凌げる状態になってきている。

 街並みも、外から見る限りでは、かつての装いを取り戻しつつある。

 直接被災した水害の地域経済に与える影響は、これまでにも何度か書いてきた。行政、金融機関などが、復興のための資金を借りやすくと配慮した。しかし、具体的な数字はまだまとまってきていないようだが、被災地の金融機関の目から見ると、予想以上に、利用は少なかったようだ。「通勤、買い物などに、どうしても必要な車を買うための車ローンは利用が多かった」「市の制度融資の利用は幾分あったが、それ以外は比較的少なかった」などという。

 人間の心理で、長い間、不況が続き、特に地場産業は構造不況だけに、被災したダメージと、悪化している経済状況から、それぞれが、借金に消極的になっている。「金利が安いと言っても、借りたものは返さなければならない」という意識が強く働く。特に、高齢社会を迎えて、新たな借金をしても、返すめどが立ちにくいし、後継者のいない事業所経営者などは、現状復帰のために、数千万円の借金をすることもできず、廃業を決断せざるを得なかったようだ。

 高齢で、数年後には廃業を考えていたが、その時期が早まったということだろう。

 これは、三条市の水害の被災地だけのことではなく、多分、発生から24日が経過した中越地震の被災地でも同様のことが起こるだろう。

 道路、電気、ガス、水道、消雪パイプなどライフラインが破壊された地震の被災地では、余震が続いていることもあって、水害の被災地に比べ、復旧が遅いように見える。

 水害の被災地では、「地震に比べ、水害はまだまし」と言う声が多く聞かれるが、実感を伴っている。もちろん、見附市、中之島町では、水害、そして地震とダブルパンチを受けた地域の被災者もあり、その悲惨さは、言葉に尽くせないが。

 身近に被災者がいるなかではばかられるが、関東大震災、阪神淡路大震災と同様、災害によって、活況を呈している事業所も少なくない。もちろん、地域経済全体としては、被災の負の大きさを埋めるほどにはならないのだが、個々の事業所にとっては、久々の活況だろう。

 明暗分かれた中で師走を迎えるのも、現実の厳しさだ。

 「今回の相次ぐ災害で、地場産業の構造的な変革が、一段と早く進んだ」と見る経営者もいる。

 建設関連、生活用品関連などを除いて、多分、災害を引き金に、消費も含めて地域経済の構造の変化は急速に進んでいるのだろう。
被災地の姿は、やがて日本を襲う団塊世代の高齢化した社会を先取りしていると言えなくもない。災害によって、多くのものを失い、さて、急を要するものから揃えていったとき、買い求めるものや、サービスは何か。災害時と平常時の違いはあるが、今後、生産すべきものとサービスへのヒントにもなる。





災害の影響大きい観光 被災地はもとより他地域でも


 水害、台風、地震など、度重なる災害に、いかに観光産業が弱いかということを、実感させられる。

 観光産業は、ある意味では、平和の象徴なのかもしれないとも感じる。

 もちろん、十日町市など、震源地に近く、災害の打撃をもろに受けた地域では、観光に限らず、すべての産業が一時的にしろマヒ状態に陥り、その復旧に全力を挙げていることは、日々の報道からも感じ取れる。

 特に、生活に直結したライフラインについては、官民の別なく事業復旧が急がれている。

 ライフラインの破壊の状態は、水害とは比べものにならないほどひどいようだが、それでも、25日が経過した中で、ようやく、もっとも被害の激しかった山間部を除いてはライフラインの復旧が始まっている。

 あまり報道されていないが、生活を支えるためにも重要な各企業の事業活動は、単に特定地域だけで成り立っているのでなく、被災しない地域との関連のなかで、「時間」という概念を重視しながら行われているのだから、復旧も急がれる。

 そのなかにあって、観光事業は、特に、地域の普及だけでは解決しない問題を抱えている。あくまでも、地域外、ともすれば国外から人々が訪ねてきてくれなければ、成立しない産業なのだ。

 小千谷市の蕎麦屋さんが、新そばのシーズン、ふのりを使った手打ちそば作りを再開したというニュースがNHKでしきりに流されている。

 もちろん、蕎麦屋さんも私企業だが、力の弱い、それも観光という側面を持っているだけに、ある意味で、地域の人々を勇気付け、ほかの地域の人々に、復興の槌音を伝える題材として取り上げているのだろう。

 観光事業のダメージは、被災地外でも大きい。弥彦村の観光ホテルなどではキャンセルが相次ぎ、弥彦神社の菊まつりも出足が鈍いと言われている。

 長岡市の県立近代美術館では、新発田市出身の蕗谷虹児の特別企画展を開催していたが、地震後、借り受けた作品であり、損傷しては取り返しがつかないということで、企画展を中止し、所蔵品による常設展だけにしている。

 本家本元の蕗谷虹児記念館では、主要な作品は、近代美術館に貸し出したまま、戻ってきていないので、逆に、平素、見ることができない珍しい作品を展示している。

 ところが、14日の日曜日でも、災害の被害を直接受けていない新発田市内では、地元の市民を対象にしている植木市などの秋祭りはそれなりに賑わっていたようだが、観光客は少なく、蕗谷虹児記念館でも、入館者はわずか。県立近代美術館に客を奪われているという見方もできるが、近くの清水園なども、紅葉の季節にもかかわらず、閑散としていた。

 中越地震がテレビ、新聞などで全国に報道され、地震のつめ跡の凄まじさを知らされた国民は、新潟県内の観光地を訪れるのに、二の足を踏む。その気持ちは、かつての、伊東温泉のある伊豆下田における群発地震のときの、僕らの心理状態を考えればよく分かる。

 それにしても、十日町市は、地場産業の着物産業が、日本人の生活様式の変化で急激に衰退し、かわって、そば、スキー場や国宝に指定された縄文土器、あるいは、美術関係のイベントなどで、全国的な観光客誘致を目指して、成果を挙げてきた。

 しかし、地震に襲われ、壊滅的な打撃を受けた。ライフラインが復旧しても、しばらくは、観光客は戻ってこないだろう。

 製造業など、攻めていく産業と違い、観光産業は観光客がくるのを待つ受身の産業だけに、地震という、発生後も心理的な影響が後を引く災害に、大きなダメージが心配される。

 そして、被災地ばかりではなく、県内各地の観光産業が、影響を受けていることに留意しなければならない。






新市誕生の過程での被災 新市民が力を合わせて復興を
  2004・11・22

 さまざまなことが起きたが、三条市と栄町、下田村の3市町村、燕市と、吉田町、分水町の3市町は、新市「三条市」、新市「燕市」の誕生を目指して、一歩一歩前進している。

 三条市は、法定合併協議会の半ばで7・13水害に遭遇し、協議会の作業が遅れる中でも、合併を諦めることなく、困難な時代の到来に備えて、着実に駒を進めている。

 このたびの悲惨な中越地震のさなかに、新市がスタートした、魚沼市、南魚沼市。新市民が絶望に打ちひしがれている時でも、新市長選挙を行い、新しい未来に向けて歩みを止めない。

 むしろ、これまでの小さな市や町、村が、1つの新しい市となって結束し、この困難な状況を克服していこうとしている。

 全村が壊滅的な打撃を受けている山古志村は、長岡市との合併を進める中で、今回の悲惨な状況を克服すべく、同じ被災地の長岡市などの力を借りながら、対応を急いでいる。

 人口が少なく、産業活動も低調で、規模の小さな市町村が、国の力に頼って、力以上の贅沢を当然のことのように続けてきたなかで、国も、都道府県も、極めて困難な財政事情に陥り、なおかつ、市町村までが、国策とはいえ、無理な行政運営を続けた結果、財政が悪化してしまっている。

 三位一体の改革が進められる中で、なかなか構造改革の実が挙がらない国、徴税の権利を地方の市町村に下ろして、市町村が独自の政策を実行していこうとする地方分権の政策も、なかなか具体策が見えてこない。

 小泉内閣は、三位一体の改革を断行しようとしているが、国の組織は、既存の権益を死守する方向で、なかなかスムーズに地方分権も、国の組織の改革も進まない。

 しかし、現状では、国も、都道府県も、市町村も、財政的に疲弊し、立ち行かなくなることは見えている。

 合併を進める一方で、地域経済を足腰の強いものにしていかなければならない。

 その意味では、合併を成し遂げた魚沼市、南魚沼市、あるいは合併を目前にしている新市三条市などは、まさに、通常でも厳しさが増す中で、なおかつ災害からの復興を成し遂げなければならない二重苦に立ち向かうことになる。

 逆に言えば、小さい市町村が、力を合わせ、知恵を出し合って、この困難な状況を克服していけば、市町村合併の意義は大きいだろう。

 まだ、災害復興の途次に、このような言い方は不謹慎かもしれないが、「災い転じて福となす」ためにも、災害の困難を、力を合わせて乗り越えてもらいたい。

 合併していてよかったという時代が必ず来る。合併しなければ、地方都市の経営ができなくなる時代が目の前に迫っている。ましてや、これだけの災害に遭っているのだから、行政も市民も力を合わせて、合理的な都市経営の方向性を見出し、新しい都市の建設に向かわなければならない。

 燕市、吉田町、分水町の合併についても、今回の2つの災害では、直接大きな打撃を受けることもなかったが、それでも、合併後の都市づくりはバラ色ではない。合併特例債に過剰に期待し過ぎて、新庁舎建設にあまりにも巨額の資金を投入すれば、後で、何のための合併だったのかと、新市民に政治責任を問われかねない。

 また、合併問題で、2転3転して、ついには高橋誠町長が、引責辞任を表明した寺泊町について、燕市、吉田町、分水町の新燕市の市民がどのように対応するのか。

 自分たちさえよければいいというのでなく、合併が好ましい方向であると信ずるならば、寺泊町民にも、手を差し伸べていくべきだろう。

 合併反対の小池清彦市長、町民の判断で、合併できずに単独の途を歩む田上町については、将来の姿をどう描くのかしれないが、とにかく合併を達成した魚沼市、南魚沼市、そして、これから合併を達成しようとする新三条市、新燕市が、諸問題を解決しながら、新しい地方都市を築き上げていくことを期待したい。





どうなる県央地域の観光、サービス業

 文化の日の、11月3日午前、弥彦方面に向かって車を走らせた。天候も、快晴とはいえないが、時折日差しがこぼれ、午前中は持ちそうな様子。

 須頃から、中ノ口川に架かる燕橋方向に曲がろうとしたら、車の列。そこではたと気付いた。11月1日から弥彦神社の菊まつり。

 1日が月曜日だったから、3日は菊まつりが始まって最初の休日だし、七五三もある。てっきり、観光客の車だろうかと思った。

 ところが、渋滞していたのは、須頃地域だけで、燕橋を渡りきって、並木通りを走ると渋滞は解消。平日は混雑する燕郵便局前の国道289号線との交差点も逆にスムーズ。

 弥彦まで、その後も、ほとんど渋滞がなく、駅前に到達した。

 菊まつりともなれば、弥彦村の入り口辺りから車が渋滞し、かつて、あまり車が動かないので、途中で菊まつりを見るのを諦めて引き返したこともある。

 弥彦駅の駐車場も、午前11時過ぎというのに、駐車場が空いているほど。逆に、なぜこんなに空いているのだろうと自分の目を疑った。

 地元の人に聞いて納得がいった。観光地弥彦村では、新潟県中越地震で、関越高速道、国道17号線など主要道路がズタズタで、最近まで交通止め状態が続いていた。

 秋の行楽シーズンというのに、観光バスのキャンセルが相次いでいるという。

 十日町市なども、地場産業の着物産業が衰退しているので、観光に力を入れてきており、この秋の「新そば」のシーズンは、地震でまったく観光客が当てにならない。農家の言葉で言えば「一作をふいにした」というほどの打撃だ。

 地震の打撃をもろに受けた、十日町市などはともかくとして、地震の被害はほとんどなく、最近の余震でさえあまり感じないというほど地盤がしっかりしている弥彦村だが、交通網の打撃と、新潟県は地震で大変という報道がきいて、観光客の足が遠のいている。

 遠来の客を相手にせず、地元のファンを掘り起こしてきた店でも、「地震以後は、お客の足が遠のいている」と、先行きを心配しているほど。

 弥彦神社の菊まつりは見ないできたが、今年のできはどうなのだろう。7・13水害で、三条市、中之島町などが、打撃を受け、台風23号では、西蒲原郡の米など農作物が塩害にやられたと聞く。そして、今度の中越地震。多くの菊愛好家も打撃を受けているだろうし、こうした不順な天候では、菊のできも心配されるだろう。

 とにかく、被災地の十日町市や小千谷町はもちろん、弥彦村の温泉街に限らず、岩室温泉、あるいは、田上町の湯田上温泉など、近郷の観光地、あるいは、観光バス業者なども、打撃が大きく、「2次災害」といえるほど、県内の経済に大きな不安材料を与えることになりそうだ。

 ある祝宴の席で、本寺小路の料亭の若女将が、「商売をやめろというのか」というほど、今度の7・13水害、追い討ちをかけるような中越地震で、客足がぱったりと途絶えている現状を嘆いた。

 それでなくとも、長い不況で、本寺小路の料亭などでは、社用族の利用が減っていた。ようやく、景気の回復で明るさが見えてきた矢先のダブルパンチで、祝い事や会合などが次々と中止され、したがって2次会に足を運ぶ客も激減しているのが実情。

 弥彦の観光客の減は、そのまま、三条、燕地域のサービス業の不振につながる。

 回復までにどれほどの時間がかかるのだろうか。深刻な問題になりつつある。





被災経験をノウハウに 広域展開の三条企業、さらなる発展を

 新潟県中越地震の被災地では、余震が続く中で、行方不明者の救出作業も一段落し、電気、ガス、水道、そして道路、鉄路と、ライフラインの復興を目指して必死の作業が行われている。

 時間の経過とともに、被害の深刻さが増し、三条の産業界でも、影響が明らかになり始めている。

 中国進出よりも、国内でと、広い地域で生産システムを構築しているコロナは、地元三条ばかりでなく、長岡市をはじめ中越地域に生産、物流システムが分散しており、その取引企業も広く、地震の被害を受けている。

 7・13水害は、エアコンの需要期を控え、今度は、冬のストーブ生産の時期を迎えての地震。

 しかし、被災地の下請けは、ズタズタの道路網だが、生きている道路を迂回しながら、部品の供給を続けるなど、懸命の努力を続けている。生産を続けるためには、部品供給をストップするわけにいかないからだ。

 そういう意味では、一部中之島町などを除けば、度重なる災害の被災地が重ならなかったことが救いであり、逆に、こうした大災害が連続したことで、企業本体はもちろん、取引先企業も、災害発生時でも、必死で対応する姿勢が構築されつつある。

 もちろん、コロナだけではない。三条には、コメリ、ムサシ、ビップ、オーシャンシステムのチャレンジャーなど、広いエリアで営業展開している小売業や、サービス業が多い。長岡、小千谷などの店舗の被害状況を把握しながら、復興を目指している。

 災害を通して、改めて、三条の企業の積極的な営業展開の姿を知ることができる。

 限られた商圏では、事業の繁栄も限界がある。低成長時代、一つの経営ノウハウを確立したら、隣接した地域に拡大していくのは常道。もっとも、人口の密集度の低い地域、経済力の弱い地域では、三条、燕地域のように人口が密集し、なおかつ、産業活動が活発な地域と同じに取り組むわけにいかないが、徐々に、全県へ、あるいは隣接県へ進出していく必要がある。

 ましてや、今回のように、大災害で市民が致命的な打撃を受けている嵐南地域や、小千谷市、十日町市、あるいは川口町など、ある程度、人口のある地域は、復興のための一時的な需要は伸びても、長い目で見れば、消費が冷え込む。

 むしろ、被害に懲りず、大災害時のノウハウを確立して、災害にも強い経営を樹立、さらに広域的に商圏を拡大していかなければならない。

 その意味では、コメリは、まさに全国展開を目指して、多店舗展開しており、全国のどこで大災害が発生しても、幾つかの店舗が被災するわけで、それを教訓にしながら、損害に対する備えはもちろん、復旧のノウハウ、あるいは、災害の種類によって必要になる復興グッズなど需要の動向まで捉えて、積極的な攻めの展開をしているようだ。

 災害がないにこしたことはないが、災害に備えるノウハウの確立を目指すことが、広域的に営業展開していく企業にとっては不可欠。

 地震列島、火山国、台風銀座の日本であり、温暖化による集中雨の雨量と回数の増加、急激だった戦後の都市開発で災害に弱くなっている日本の都市など、さまざまなことを考えれば、災害に強い経営が企業には絶対必要になる。

 三条の企業は、これを機会にさらに広域的な発展を続けてほしい。利益をほかの地域から持ってこなければ、地域経済は豊かにならないのは、昔も、今も、そして世界共通の原則なのだから。






古いアパートの取り壊し 補修諦める家主、行き場のない入居者
  2004・11・15

 7・13水害で被災し、アパートを取り壊すという家主もあって、住む家がなく、不自由している入居者が、三条市の建設した仮設住宅に入居を希望するなど、10月28日付け本紙でも報道の通り、仮設住宅の空くのを待っている状態になっている。

 高度経済成長のなかで、農家が農業収入以外の道を選んで、もっとも、無難なアパートを建設、家賃収入を得てきた。

 嵐南地域の被災地でも、そうした早い時期に建設した古いアパートが多くなっていた。仕事があって、それなりの収入のある若い世代は、新しいマンションなどに入るが、古いアパートには入りたがらない。

 空室も多くなり、補修費もかかるので、家主は、いつか取り壊すことを考えていたようだ。

 逆に、収入のことを考えて、1カ月、2万円、あるいは3万円の安い家賃のアパートで暮らす市民もあった。

 空室が目立っても、入居者があればなかなかすぐに取り壊すこともできなかった。

 しかし、7・13水害で被災し、補修するとなるとかなり高額の補修費がかかる。とても、補修してまで、アパート経営を続ける意欲が家主になくなっている。

 水害に遭って補修しなければ使えない。家主に補修する意欲がないとなれば、入居者も、それ以上、踏みとどまることもできない。1階の部屋で、床上浸水した入居者はもちろん、自らは2階の部屋で被災を免れたとしても、退去せざるを得ない。

 1カ月、6、7万円の家賃のマンションであれば、近年のマンション建設ラッシュで、空室も目立っている。しかし、これまでに、古くて不便でも、家賃2、3万円のアパートに入っていた入居者には、それなりの事情があるわけで、急に6、7万円のマンションに移ることはできない。

 これからも、アパートを取り壊す家主は増えるかもしれない。住む場所のなくなる入居者が出てくることになる。

 被災した家を建て直すとか、補修しようと考えて、とりあえず、仮設住宅に入居したが、結局、断念せざるを得ない被災者もあるだろう。

 三条市では、仮設住宅の期限である2年間の間に、家を補修、新築するとか、あるいは新しいアパートやマンションなどに転居していくことのできる市民もあれば、2年経っても、移れない市民もあるだろうとみている。

 市営住宅や県営住宅は既に満杯の状態が続いており、国に対して、2年経っても仮設住宅から移転できない被災者のために、市営住宅の増設なども申請している。

 長い不況のなかで、市民の所得格差は大きくなる一方であり、特に中高年で、就職先のみつからない市民などは、それでなくとも苦しい生活を強いられてきたわけで、このたびの被災で、大きなダメージを受けている。

 三条市としても、福祉行政のなかで、情報収集と、被災者の救済に努めているが、アパートの取り壊しなどによる、被災した低所得者層の課題は、これからもしばらくは続きそうだ。





冬に向かっての不安 厳しい中越地震の復興

 地震列島日本を象徴するような新潟県中越地震の発生で、特番を組んだ各テレビ局の報道を見ながら、全国の多くの人々が、改めて、地震の凄まじさを実感したことだろう。

 県央地域は、震源地からやや離れていたので、揺れはひどかったが、被害もわずかで済んだ。

 しかし、見附市、長岡市などの山沿いでは、かなりの被害が出ており、直接、間接に打撃を受けている企業などもあるのだろうか。

 7・13水害と違うのは、日脚の長かった7月中旬と、既に短日になっている10月下旬であること、災害以後に、夏を迎えたのと、これから寒さの厳しくなる冬を控えている点だ。

 もちろん、水害は、家が水に浸かり、復興に手間取っているが、屋根、雨板は残っていた。雨露を凌ぐことはできた。

 水害の被災者は、被災の日から、水の引くのを待ちながらでも、何かしら復旧の準備に取り掛かった。

 地震で家が全壊もしくは半壊した被災者は、打つ手もなく、今も続く余震に震えているしかないことだ。

 もちろん、経済的、精神的打撃は、外見からだけでは比較できない面もあるが、水害から3カ月を経過した嵐南地域を車で走っている限りでは、平穏な日常が戻ってきたようにも見える。

 山古志村などは、近年暖冬になったとはいえ、まだ豪雪地帯であり、冬には、雪下ろしをしなければ済まない地域。それだけに、災害にでも遭わなければ、雪解けの頃には、美しい風景が人々を魅了し、多くのカメラマンが訪れる地域になっている。

 きのう、きょうあたりは、今年最高の寒波で、山間部では雪が降るという。厳しい冬の気候の中で、復興は順調に進むのだろうか。

 強い余震の止むのを待って、まず、道路、ガス、水道などのライフラインを回復しなければならないし、家を建て直すなどといっても、もともと建てる土地の少ない山間部であり、失われた土地を回復するために、再び、山肌を削って平地を築いてから建てるとなると、とても、この冬の間では難しいだろう。

 少なくとも、3月の声を聞くまでとなると、5カ月近くも待たなければならない。仮設住宅などでの避難所生活も長引くだろう。

 新潟県全体が高齢社会の早く訪れている県だが、特に、山間部では、高齢者が多い。それが復興への意欲を高める上で、さらに障害にならなければいいが。

 山古志村などは、人口2000人ほどというから、できることなら集団離村し、長岡市や周辺の市町村から通勤で、錦鯉の生産などを含む農業経営に取り組めばいいのではと思うが、それはあくまでも、当事者でない者の考え。

 住めば都であり、特に高齢者は、新たな土地での生活にはなじみにくい。それによほど行政が支援しなければ、新天地に、土地、建物を求めて暮らすのは容易なことではない。

 また、雪解けシーズン、田植えの頃、あるいは紅葉の頃に、山に入って、季節によって変わる風景を楽しんでいる僕などは、そこに人々が住んで、道を確保し、山を整備する人が居るから楽しめること。

 このたびの震災で、どれだけの人々が、再び山村に帰るのだろうか。来年以降も美しい自然を楽しむことができるようになるのだろうか。

 被災した人々の1日も早い復興を願わないわけにいかない。






安全神話崩れ、今後に課題 高速交通のダウンで影響
  2004・11・10

 10月23日夕刻以降、挨拶がわりの話は、7・13水害の話から、新潟県中越地震の話に変わった。

 集中豪雨、新潟県は被害が少なかったが、日本を縦断、多くの犠牲者を出した台風23号、そして、僕たちをも恐怖に陥れた中越地震。

 震源地の小千谷市や、十日町市、山古志村など震源に近い地域が直撃されて、土砂崩壊の無残な姿をさらし、地震の脅威を改めて、日本全国に知らせた。直接災害に遭った地域の人々の恐怖は、予想すらできないものだったろうし、高齢社会の進んでいる山古志村などは、果たして再起できるのだろうかと案じられさえする。

 直接打撃を受けた地域の悲惨さは言うに及ばず、開業以来初めてという新幹線の脱線事故や高速道の破壊などは新潟県人にとって、特に中・下越の県民にとっては、東京をはじめ関東、中部地域と直結するまさに動脈であり、このラインが破壊されたことで、一時的にしろ産業活動や生活などに支障をきたしている。

 日本が世界に誇る建設技術も、3回にわたる震度6強の直下型地震の元では、安全を維持することができなかった。

 新幹線については、阪神淡路大震災で、列車の脱線こそなかったが、ずさんな工事が表面化し、強い強度に耐え切れない実態も明らかになったことで、上越新幹線なども、その後、橋脚の補強工事が進められてきた。三条周辺でも、大方、補強工事は完了してきている。

 しかし、列車の脱線は、そうしたレベルの問題ではない。地下の浅いところで発生する直下型地震は日本のどこででも起こるという。新幹線も絶対安全というわけでなくなった。また、高速道も打撃を受けるようだと、国を挙げて地震予知と取り組んでいる関東、東海地域の地震などが発生すれば、交通網は寸断され、完全に麻痺することになる。

 今回の新幹線、高速道のわずか数箇所の事故でも、その場に遭遇した人々は、大変な事態だった。

 新幹線の脱線では偶然、乗客、乗員のケガはなかったというが、「死ぬかと思った」という乗客の声は、掛け値のないものだろう。その列車に三条市民も乗っていたのだ。

 また、燕市の経営者は、関越自動車道での体験を話した。東京で用を足して関越自動車道を帰る途中、水上あたりで、地震に遭ったのだが、揺れは感じず、カーラジオで地震の発生を知り、高速道の掲示板で一部交通止めを知った。あわてて、関越トンネルを突破、塩沢辺りで通行止めの掲示。まだ、ゲートは設置されておらず、行ける所まで行って高速道を降りようと小出まで到達したが、そこで、高速道は封鎖されていた。

 何もないような小出で夜を迎えたのでは大変と機転をきかせて、浦佐まで戻り、駅前で夜を過ごした。駅前には、コンビニもあるし、交番もある。コンビニでは食べられるものはことごとく売れ、交番は、お巡りさんが交代で見回りに出ていた。スタンドでガソリンを満タンにして、ようやく夜を過ごした。停電で、冷え込む夜を車の中で過ごそうという人たちが、ガソリンスタンドに詰め掛け、満員。確かに、ラジオなどを通して、被災地向けに、「停電中であり、相次ぐ余震で危険な状態の家の中で過ごすことなく、車の中で暖をとりながら過ごしてほしい」と警告していた。

 この経営者は、ともかく、夜明けを待って、只見経由で、会津坂下まで迂回して、磐越自動車道で無事帰ったと言う。

 多分、三条、燕など県央地域の多くの人たちが、被災地周辺で、こうした体験をしているのだろう。

 25日夜開講予定の創業塾も、東京から来る予定の講師の足がなく、中止になるなど、さまざまな影響が出ている。

 それにしても、25日が初登庁の泉田裕彦新県知事。県知事就任の喜びを噛みしめる間もなく、初登庁での職員の歓迎の花束を受けることもなく、午前零時から、直ちに被災地の住民の救済と災害復旧に陣頭指揮を執っていたと日刊各紙は報じている。

 若く、経験の少ない泉田県知事には、厳しすぎるスタートではあるが、先の7・13水害でボランテイアとして参加。災害の凄まじさが、県知事選の出馬、当選への意欲を掻きたてもしたのだろう。

 250万県民の命と財産を守れる災害に強い県土、経済的に自立した新しい新潟県の建設に向かって若さを発揮して頑張ってほしいもの。





美しい山間の村が崩壊 豪雨の後の震度6強の地震

 10月25日未明、目覚めていたが、何時頃だろう、そろそろ起きて原稿を書こうかなどと布団の中で考えていた時、余震で、急に大きな揺れが来た。

 暗い部屋の中、すぐにいつも就寝中に充電している手元の携帯電話を手に取って時刻を確かめたら午前零時半。

 23日午後5時56分に発生した新潟県中越地震。その夜、余震の続く中で、餞心亭おゝ乃で開かれた絵画グループ木曜会の40周年記念レセプションに出席したものの、中途で退席、万一に備えて自宅待機。よく眠れない一夜を明かした。

 それだけに、24日は午後9時、早々に就寝。熟睡したが、いつもの通り、3時間半ほどで目が覚めてしまった。

 それにしても、中越地震には、昭和39年の新潟地震以来の衝撃を受けた。

 新潟地震の時は、まだ木造校舎だった三条実業高校の教室で午後の1時限目が始まって間もなくだった。

 全員グラウンドに避難。しばらくして、校舎の方が安全とは思うが、なぜか、放課になった。

 無頓着というか、新潟市が壊滅的な打撃を受けたことなども知らず、放課後、揺れる鉄骨作りの講堂で、クラブの仲間とバドミントンをして過ごしていたほどだった。

 その後、帰宅して、時折揺れる地震に、家を飛び出しながらも、テレビで、新潟地震の様子を見ながら、改めて鉄筋コンクリートのアパートが倒壊、線路が飴のように曲がり、昭石の原油タンクが炎上しているのを知った。

 日が暮れてからは、家の前に出て、夜更けまで、昭石の原油タンクの炎上する光景を、不謹慎にも、ひそかに「美しい」と思いながら眺めていた。

 数日して、信越本線が回復。新潟の親戚まで、水を詰めた1升瓶を背に出かけたが、その時初めて地震の現場を目の当たりにして、流砂現象のすさまじさに驚いた。

 その経験があるから、今回の地震に、まず、家を飛び出し、家から離れた場所で、地震の収まるのを待った。

 午後6時半開会予定の木曜会レセプションに間に合うように出かける準備をしていたところへ、襲ってきた地震だった。これほど大きな揺れが余震だとしたら、何が起こるかわからない。しばらく様子を見ることに。

 幸い、大きな揺れが続いたが、最初の揺れが本震で、なおかつ、中越地区の小千谷市辺りが震源というので、遅れるのを承知で午後6時25分頃、家を出た。

 会場についてみると、多くの出席者の顔がそろい、1階フロアに、不安げな表情で立ち話をしていた。

 3階が会場なのだが、地震で、1階に下りるように指示があって、待機しているところだと言う。当然、午後6時半の開会は遅れていた。

 30分ほどして開会したが、主要なスピーチなどが終了するのを待って、午後8時前に、先に退席させていただいた。

 それからは、余震の襲う中で、どんどん、明らかになってくる地震の経過を確認し続け、深夜に眠りについた。

 24日夜が明けて、ようやく、土砂崩落で、壊滅的な打撃を受けている山古志村の実態が明らかになった。闘牛と錦鯉の里として知られ、近年は、棚田の風景がカメラマンに人気。

 村全体が、擂鉢のようになっていて、眺望が美しいので、雪解けの頃、用もなく何度か訪れたこともある村だが、映像で無残な土砂崩落の姿を見るにつけ、地震に弱い越後の山岳、丘陵地帯の実態を知らされる思いだった。

 三条では、身近な東山丘陵でさえ、「山には手をつけるな」と言い習わされてきたことも知っている。建築技術、土木技術の進歩を過信して、どんどん切り開かれた山岳地帯の、地震や集中豪雨に弱い実態が、むき出しになった赤土の肌を通して、伝わってくる。

 中越地震で、尊い命が失われているが、多くは土砂崩壊、あるいは土砂崩壊に伴う家屋の倒壊による犠牲のようだ。





行政はどう支援していく 被災地の予想以上に厳しい現実

 被災しなかった地域の市民や、被災地でも活力のある企業の経営者などは、早くも、前向きに物事を考えて、アクションを起している。

 しかし、多くの小規模零細事業所の事業主や、サラリーマン世帯、あるいは年金生活を送っていて被災した市民は、家の修復、事業所並びに機械設備の修復が重くのしかかり、現実の生活の維持を考え合わせた時、日ごとに、困難な状況が目に見えてきている。

 最近、いつまでも、被災したことで打ちひしがれていては、2次災害に陥る。消費の低迷で、周辺地域の経済までもが、打撃を被るなどということで、行事の復活が叫ばれている。しかし、被災した市民の多くは、とても、のんきに、祭事に浮かれておれる状況ではない。

 被災しなかった市民、あるいは一部の所得の高い市民には、どうも、この感覚が分からないようだ。

 それでなくとも、分家して、土地、家屋を建て、子どもを教育してきた中高年層は、貯蓄も限られ、老後の年金を当てにしてきた。

 事業主はともかく、サラリーマン世帯では、60歳で定年退職したあとも、働き口を見つけ、何とか、家計を支えてきている。年金暮らしの世帯では、サラリーマン時代に描いた「豊かな老後」などという年金制度の幻想を捨てて、つましい生活を迫られているはず。

 そこへ、水害の打撃で、家屋の修復、家財の購入となれば、ことのほか、重い負担になる。

 これまでは、戦前、戦中生まれの市民が年金の恩恵に浴してきた。40年以上年金に加入してきた市民の方が少ないかもしれない。

 しかし、戦後生まれの世代の多くは、少なくともほとんどが、40年以上年金に加入しているし、60歳定年になるまでには、40年以上加入することになる。

 多分、かなりの年金を手にすることができると信じ切っていることだろう。

 しかし、当たり前のことだが年金は被災の分までは見ていない。また、火災保険なども、ほとんどが、水害は適用されない保険制度で、よしんば総合保険でも、水害の被災に対してはごく一部しか補償してくれない。

 となると、退職を間近に控えたサラリーマン世帯や、年金で暮らしているお年寄りの世帯は、復旧にかかる経費の負担は重荷になる。

 小規模零細事業所の事業主となると、さらに落とし穴がある。個人事業主は国民年金に加入せざるを得なかった。厚生年金制度に比べ、負担も少なかったが、手にする年金の額も極めて少ない。

 年金のみで生活することはほとんど不可能である。中小零細事業所の多かった三条市だけに、よほどの蓄えを用意しなければ、災害に遭わなくとも、ゆとりのある老後などは期待できない。

 三条市役所は、その実態を、冷静に把握しているのだろうか。

 水害に遭った市民の暮らしを、税制面から把握できるのだろうか。生活保護を受けざるを得ない高齢者世帯は増えていないのだろうか。

 家屋の補修、家財の購入などを最小限に抑えなければ、今後の生活のめどが立たなくなる。なかには、家を補修することがままならず、家を失い、借家住まいを余儀なくされている被災市民も出てきている。今後は、もっと多くなるだろう。

 表面的には、復興景気に沸いている部分も見られるが、この後、嵐南地域の経済は極めて厳しいものにならざるを得ない。

 既に迎えている高齢社会であり、核家族化の時代、被災地の高齢者世帯の暮らし向きをもっと徹底分析しないと、行政が今後、果たさなければならない支援の中身は、妥当性を欠くことになる。