来年度1年間が楽しみ EC、経営の勉強と取り組む 2004・12・30
12月16日午後、三条エコノミークラブ(EC)の小浦方一成さん(下田村原・(有)小浦方合成)が、今年1年間、広報委員会を担当、大変、お世話になりましたと、シュークリームを持参して来社した。
いまどきの若い世代には、とかく「情報媒体はうまく利用するもの」という、知ったふりをして講演する経営コンサルタントの言うことを真に受けて、うすらうまく利用することだけを考えている向きが多い。
しかし、「1年間お世話になりました」と、お礼の挨拶に訪れた小浦方さんと、これからのエコノミークラブの活動のあり方や次代を担う経営者としての意気込みを伺いながら、さまざまな話をした。経営者として求められる知識や情報、行動のあり方などを、エコノミーの場を通して学んでいこうという意欲が感じられてうれしくなった。
僕が31歳で創業し、一方では会社の社長さんの話を伺い、他方で、同世代や先輩の活躍している青年会議所、エコノミークラブ、トップマネージメントクラブなどの活動を取材、多くのことを教えられたことを思い出す。
あの頃、30代後半の各会のリーダーは、自ら創業した社長は別として、多くは会社では専務取締役や部長クラスだった。
それでも、各会で先輩からもまれてきているせいで、会の運営や、会議、セレモニーでの挨拶なども堂にいったものだった。
取材現場を、若手記者に任せているので、普段、直接取材する機会がない。なおかつ、会員と親子くらい年齢の隔たりがある。
たまに取材に伺っても、会員の側からは、「見かけない人間が、記者席に座っている」、あるいは記者席すらない時もあって、会場の隅に座っている僕をみて、「誰だろう」と不可思議な目で見ることも無理がない。
僕の方は、毎年、会員が40歳、あるいは45歳と、会によって定めている年齢によって卒業していき、新しい会員が参加してくるから、会員の顔と名前を覚えることすらままならない。
それでも、こうした会の活動を取材するのは楽しい。仕事に対しても、遊びに対しても、真剣に取り組んでいる姿を見ることができるからだ。
そのうえ、今までもそうだが、若い経営者には、未来の可能性がある。たくさんいる若い経営者の中から、会社を躍進させ、グループ、地域をリードしていく経営者が育ってくる。
30代の僕の視点と今の僕の視点では、かなり基準が違っているかもしれないが、同じ部分も多い。その目線で、若い経営者の言動を見つめる努力をしている。
そして、基本的な行動を確実にこなせる経営者が育っていく姿を見ることができたとき、自分のことのようにうれしくなる。
小浦方さんは、後1年でエコノミーを卒業するという。藤田博史次年度会長が、最も力を入れて設置した経営塾運営委員会に所属して、会員とともに、経営者として必要な学習をしていきたいという。
もちろん、1年で終わることではなく、むしろエコノミークラブの原点であり、1年間に、会員が喜んで経営の勉強をする基盤を築いて、次の世代にバトンタッチしてほしい。
来年度、小浦方さんに限らず、多くのEC会員の、経営者としての成長を楽しみにしている。

急変している社会情勢 団塊世代、70歳まで現役
建設業界は、小泉内閣の三位一体の構造改革で公共事業が削られ、工場の中国進出による国内の工場建設が減少するなどで、長い間、不況が続いた。
小渕、森内閣の景気浮揚のための公共投資バブルで、ほかの産業界が不況に苦しんでいる時、好況だっただけに、その後の、小泉内閣の構造改革で一気に不況に転落したので、落差が大きく、なかなか企業規模縮小が進まず、多くの建設関連企業は多額の借金を抱えてしまった。大手企業から中小零細企業まで倒産が相次ぎ、淘汰が進んだ。
これまで、人員整理やもうからない下請け仕事からの撤退など構造改革を進めて生き残った建設関連企業も、借金を抱えて、これから、借金返しに本格的に取り組まなければならない。
地方の地場産業はともかく、しばらく続いた国内の景気回復とビルラッシュで、ようやく需要と供給のバランスが取れるようになった。今後、全国的に激甚災害の指定による災害復興で、建設業界は、にわかに活気付くだろう。
ところで、バブル景気のころは、サラリーマンはもちろん、経営者まで60歳定年で、老後は年金で悠々と暮らせると信じて疑わなかった。
実際に60歳で経営の第一線から身を引いた経営者もある。
僕なども、政治、経済、文化のいずれもが、激しい変化を遂げている中で、新しい情報についていけないという印象を強くして、60歳には引退したいと考えてきた。
ところが、社会情勢は急変した。
少子高齢化社会の到来をおぼろげに予測していた段階では、これほど大きな変化になるとは考えていなかったのだが、実際に少子高齢社会になってみると、60歳で定年を迎えたくても、できる状況ではない。
その理由は、2つの面に現れている。ひとつは、仕事をリタイヤする高齢者が増えて、団塊の世代は、第一線から退くことができなくなっている。若い世代が、すぐに欠けたスタッフの仕事を穴埋めできない。団塊の世代が、穴埋めをしなければならない。
もう一方は、当て込んでいた年金額が少なく、とても年金だけでは、それまでの生活を支えられなくなっている。60歳から年金を受給するとなると、なおさらだ。
これでは仕事を辞めたくても辞められない。もちろん、これだけ不況が深刻化してくると、なおさら第一線から引くことができない。
60歳を過ぎた世代が、給与は引き下げられても、現役にとどまり、慣れた仕事をこなせば、少数で甘やかされて育った若い世代よりは生産性アップに寄与する。
企業側が、新卒よりも、会社を定年退職したベテランを取りたいという気持ちは分かる。
経済環境が厳しく、商売が難しくなればなるほどベテランの経験が生かされることになる。
後継者のあるなしに関わらず、これからは少なくとも65歳、できれば若さを維持して、70歳まで現役で働くことを覚悟しなければならない。
働かないお年寄りが増え、働く20代が少なくなっている現象をどう見るかだが。
不況の時に会社の規模縮小に踏み切り、最も厳しかった時期を切り抜け、現在十分に仕事を確保しているある鉄骨業者が、「これまで10年でつくった借金を後の10年で返済しなければならない」と苦笑いした。
団塊の世代は、これからの10年、健康的にも、精神的にも油断すればすぐに老いる年齢に達するのだから、若さを保ち、第一線の情報収集に神経を使う努力が必要だ。

小池市長がどう叫ぼうと 苦しい自立の道
合併反対の小池市長の率いる加茂市、住民の合併反対、新潟市の、「まず亀田町との間での都市整備、特別政令都市になって後」という返事で、結局、単独で自立の道を歩むことになった田上町。
そのいずれもが、平成15年度、平成16年度と年度が進むにつれて、地方交付税の削減と補助金の見直しなどで、厳しい財政運営を強いられている。
強気一点張りの小池市長は、「小泉暗黒内閣のせい。ひたすら我慢して待つ」としている。農機具3割以内補助、ホームヘルパーなどによる老人介護、加茂美人の湯など、自らがやりたいこと、手がけたことを誇り、見直すことすらしないで、課長級の兼務や、退職者の補充を最小限に抑えるなど経常経費を詰め、やりくりしている。
市民の目につきやすいところには力を入れ、意外と目立たないところは抑えている。施設が壊れても補修費すらなく、市役所駐車場のラインが消えても引き直す予算もないようだ。
田上町は、住民負担の増、住民サービスを落とすことで、16年度を含め5年間で財政見通しを立てたいとしている。
国家財政が破綻しかけており、新潟県も、平山県政の放漫経営に加え、度重なる災害で、財政破綻寸前。早くから、こうした事態に備えて、財政を圧縮する努力をし、合併を目指してきた三条市だが、今回の水害などで、一気に財政事情は悪化しそうだ。
合併しない市町村が、自立するために厳しい対応を迫られているのは、政府があらかじめ、地方交付税の見直し、国庫補助金の見直しなどを言ってきたのだから、当然としても、合併する市町村も、合併特例債をよいことに、あまり施設をたくさん造ると、後で維持費がかかり、新たな事業ができなくなる。挙句の果てが、これまで以上に、職員カットや住民サービスを低下させなければならなくなる恐れがある。
単独でいかざるを得ない市町村の、現在の苦しみを、合併する市町村も他人事としてではなく、いまから、合併特例債の期限の切れる10年後を見据えた財政改革に努めなければならない。
三位一体改革が悪いと言ってみても、国もない袖は触れない。太平洋側が経済発展していて、日本海側が遅れているとぼやいてばかりいても、事態が改善されるわけではない。
これまで、国に甘えてきた地方が、初めて、経済力の弱さ、財政力の弱さを自らの体で感じなければならない事態に立ち至っている。
小池市長は、合併すると地方交付税が減ると合併に反対している。確かに、地方交付税などが減るかもしれないが、それに耐えうる行政の仕組みを築いておかないと、市の財政は、職員の人件費をはじめ、施設の維持管理など経常経費だけで費やされかねないのだ。合併したからいいというのではない。合併しないよりは、行政改革の選択肢が多くなるだけで、あまり施設を造りすぎて、後で後悔しないように努めなければならない。
小池市長が、どう合併反対を叫ぼうと、日本の流れは、合併によって行政改革を進めなければならない。
そして、市民は、世界に通用する産業振興によって、収入の道を見出し、少しでも恵まれた都市整備を行い、住民福祉の向上を図らなければならない。
かつて、アメリカでは、市が財政赤字のために、市民病院まで閉鎖、貧しい患者が行く病院がなく困ったという時代があった。現実の厳しさを見つめなければならない。
合併特例債に浮かれて、不用不急の施設を造りすぎてしまわないように、合併する市町村の市民は行政を監視していかなければならない。
新三条市は、災害に強い都市づくりが最大の課題であり、それだけに、新市民は、中小零細企業とはいえ、自力でビジネスチャンスを見出し、経済活力を強めていかなければならない。
小池市長のように、国、県から金を持ってくることばかり考えて、産業振興をないがしろにしていると、加茂市の町のようになる。近代化された商店街は見た目がいいとしても、空き店舗が増え続け、発展してきた西加茂地域でさえ、国道403号線沿いに、続々と空きビルができている。
時代の流れに逆らってもいいことはない。小池市長のように、前世紀的な発想で都市経営をしていたのでは、やがて行政ばかりでなく、都市自体が衰退していく。
合併しても厳しくなるのだから、合併しない市町村の実態をよく見ながら、行政のリーダーは進路を間違わないでほしい。

維持費かかる広い下田村 観光資源開発などで貴重な財産に 2004・12・24
久しぶりに、青空がのぞいた12月2日午前、下田村長野の老健施設いっぷくへ取材に行ってきた。
来年5月1日、市町村合併によって、三条市になる下田村だが、国道289号線ややまなみロードを走り、改めて、下田村の面積の広さと、河岸段丘の発達で、五十嵐川の両岸に、数段の平地が形成され、そこに古くからの小さな集落が散在している現実を目の当たりにしてきた。
山も含めて311平方キロ、三条市の4倍強の広さを持つ下田村は確かに広く、今後の利用の仕方いかんで、土地は生きもするし、死にもする。
ただ、これまでの中心地荻堀地域を除くと人口が極めて少なく、土地を生かすには、地元の人々の力だけでは限界がある。
奥会津などに行くと、全くの山村に北里大学の関連機関が存在している。むしろ空気がきれいで、静かな環境が研究に適しているのだろうかと、ドライブの折などに眺めている。
下田村も、地価が安いからということで、工場を建設するだけでなく、何かしら、研究機関的な施設の誘致ができないものかと考える。そうした機関ができれば、人材も張り付くし、地元への影響も大きいだろう。
特養やケアハウス、老健施設などが、庭月、長野に誕生したことで、地域のお年寄りが老後を安心して暮らせるようになっただけでなく、雇用の場もできた。国道289号線の八十里越のトンネル工事が、苦労しながらも進められている。トンネルの完成によって、福島県只見町と新潟県県央地域が直結される。それを引き金に、新たな観光開発も可能だ。
ことしは、中越地震で打撃を受けているが、地震前の休日に桧枝岐まで足を伸ばしたが、桧枝岐などを巡るコースなどは紅葉の季節になると県外ナンバーの車が目立つ。長距離のドライブを楽しんでいる観光客だ。
人の往来が活発になれば、新たな産業振興の機会も増えるだろう。
もちろん、下田村が新しく三条市になることでプラスの可能性だけではない。
五十嵐川沿いを走る国道289号線は、先の水害でズタズタに切れ、やまなみロードの路肩も崩れている。復旧工事が進められているところと、手付かずで、危険を知らせる目印があるだけのところもある。
赤い山肌がのぞいている個所も見られる。
面積が広ければ、特に山間地だけに、水害や地震などひとたび災害が起きれば、その復旧が大変なことは、このたびの中越地震を見るまでもない。これから雪のシーズンになれば、除雪活動は欠かせない。三条市内の道路の除雪とスケールが違う。維持管理のコストもかかる。
それだけに土地と人を有効に活用し、経済的なメリットを生み出さなければならない。
笠堀ダム、大谷ダムなどの大規模な施設も、周辺の開発の仕方によっては、将来、観光資源として生かせる。ゴルフ場は、一時ほどの盛況でないにしろ、やはり、人が集まるレジャー施設として見逃せない。温泉のいい湯らていなどもまだまだ活用の余地はある。
スキー場開発の話は、時に出るのだが、なかなか実現しない。
いずれにしても、面積の広い下田村を、環境を守りながら多角的に利用することで、富を生む貴重な財産にしなければならない。

青年は都市づくりにどう関わる 燕三条青年会議所など
三条市と燕市の大同合併が失敗に終わり、県央大合併は、長期ビジョンとして温存しながら、当面、新「三条市」、新「燕市」づくりが、焦眉の急の課題となっている。
合併後の新しい都市がどのような形になっていくのか、また、両市の新市民が、10年、20年先を見据えながらどのような都市を築くのか、重要なテーマである。
特に、将来もこの地域に住んで、働きながら快適な暮らしをしたいと考えている若い世代にとっては、単に現在だけの問題ではなく、長い間、そこで生活していくことになるのだから、より真剣に取り組まなければならない。
ところで、燕市の元青年会議所理事長が、「新『燕市』を築いていくために、若い世代が中心になって活動していかなければならないのだが、燕三条青年会議所を一旦、2つに戻して、もう一度、吉田、分水の青年にも働きかけて、燕青年会議所を充実させ、新『燕市』づくりに努力してもらってはどうか」と提案していた。
そこには、次のような背景がある。合併後、燕三条青年会議所の会員のうち、燕市、吉田町などの会員が目に見えて減ってきたことと、行政が、新「燕市」づくりに、若い世代の声を反映しようとしても、燕三条青年会議所に働きかけにくい。燕商工会議所の青年部が、確実に会員数を増やし、活発になってきている。
どこの商工会議所も、青年部づくりに力を入れ、財政的にもバックアップしている。県央3商工会議所はいずれも青年部を育てている。
青年会議所のほか、エコノミークラブ、TMクラブ、あるいは青色申告会青年部など、青年部活動が活発だった三条商工会議所は、当初、青年部は屋上屋を重ねることにもなるとして設置しなかったが、今年度、山井太さんを初代会長にスタートを切った。
こうした動きの中で、燕市でも、青年業界人の代表は、燕商工会議所青年部という形になりつつある。
かつて、青年会議所は、地域づくりを大きなテーマに、市民ぐるみのイベントや、政治的な課題にも果敢に挑戦していた。
県央30万都市構想なども、今日、行政のスリム化を目指しての合併が叫ばれる以前から、県央地域が、このままでは、新潟市と長岡市の狭間になって埋没するという危機感を持って、三条青年会議所が提唱してきた運動だ。
燕三条青年会議所の誕生も、背景に県央大合併を目指してという志があった。三条、燕両市の合併を言うのなら、まず青年会議所が合併してみろと言われて、合併したという話すらあった。
しかし、三条、燕両市の合併が流れてからは、燕三条青年会議所の、政治への関わりは急速に冷えてしまったように見受けられる。
環境や家族などの問題を見直す風潮が強くなっているというせいもあるだろうが、新しい三条市、燕市づくりにどのように関わっていくのかという視点は薄らいでいるように、傍目には見える。
現場を歩いていると、本当に、新三条市は、五十嵐川の改修事業に追われそうだが、実は、栄町を水害から守るためには、見附市とともに刈谷田川改修も視野に入れておかなければならない。地震対策でも、文政11(西暦1828)年の三条地震の震源が栄町芹山だったことも、忘れてはならない。
燕市は、新庁舎が吉田町に移ることで、これまで中ノ口川沿いに、自然発生的に発展してきた市街地が衰退し、新庁舎周辺に、新しい町が形成されていくことを考慮し、国道289号線バイパス、国道116号線バイパスなどを生かした都市づくりが進むことを視野に入れて新しい都市づくりを目指すことになる。
商業ゾーンは既に大きく変わってきているが、学区をはじめ地域コミュニティーのありかたも、徐々にだが変わっていく。
将来に向けて重要なこの時期に若い世代が、新しい都市づくりに強い関心を示し、深く関わっていくことが重要だと考える。
燕三条青年会議所の会員は、広く県央地域を見る目と、足元の新市を見る目と複眼を持たなければならない。もちろん、地域を見る目と国際社会を見るという大きな目を失ってはならない。

