斎場建設推進で今なぜ議員発議 三条市議会 2004・3・31
このほど開かれた新潟県三条市議会3月定例会最終日の本会議で、久住久俊市議が提出した「斎場の建設推進」に関する議員発議案が、共産党市議3人を除く全議員の賛成で可決された。
なぜ、この時期に、理事者側に、斎場の建設推進、関係機関への協力を求めるよう促す、議員発議案を提出したのか。理由は、きわめて複雑だ。議員発議の理由にも述べられていたが、月岡地内の予定地での建設に対して、月ヶ岡養護学校のPTAなどが反対しているとしても、なぜ、斎場建設が進まないのか。関係している三条市、栄町、下田村の住民には理由がわからない。
三条市は、奈良県大淀町の例などを視察しながら、斎場が、子どもの教育に悪影響を与えないという信念を持ちながらも、PTAの要望も聞いたうえで、少しでも学校から離れた位置に建設しようと、建設用地の拡幅を計画。そのなかに、県所有の同校の学校畑がある。
ところが、三条市が、この学校畑を、月ヶ岡養護学校から少しでも離れた位置に建設するために買収しようとしているにもかかわらず、県教育委員会は、頑として、断り続けている。一方で、月ヶ岡養護学校に接近しすぎているといい、少しでも離れた位置に建設するために、用地を拡幅しようという三条市側に対して、これを拒み続けている。
役人は、自ら火中の栗を拾うことはしない。反対のあるものには、極力、手を染めたくない。御身大事である。三条市や南蒲原郡選出の県議が、県教委に強力に働き掛けをしているのかどうか、事態が好転しないなかで、ほかの地域から選出された県議の知るところとなった。
三条市議会で、できるだけ多くの市議の賛同を得たなかで、建設推進、関係機関への協力の要請に関する議員発議を可決し、三条市がそれに従って、県ならびに県教委に働き掛けてもらう。そうすることで、県教委が、県有地の用地買収に応じようとしないために、三条市の努力が結実しないのだという事実を、三条市、栄町、下田村の住民に知ってもらうとともに、県、県教委への圧力にしようという狙いもある。
三条市議会が、斎場建設の建設推進を議決したことで、当然、県議会でも、具体的に、県ならびに県教委の姿勢を追及することになる。三条市から2人の県議が出ており、南蒲原郡からも、1人出ているのだが、これまで、具体的に、県ならびに県教委を動かすだけの力になっていない。
ここまでくれば、他地域から選出された県議でも、一人でも多くの県議の力を借りながら、県ならびに県教委を動かし、県有地の買収を実現、少しでも、月ヶ岡養護学校から離れた位置に斎場を建設できるようにすべきだ。
その意味で、市議会が議員発議で、建設推進ならびに関係機関への働き掛けを促す提案を可決したことは意義が大きい。これで、県ならびに県教委も積極的な姿勢を示さないと、県議会で、その姿勢が問われる。
今秋に改選期を迎える平山征夫県知事も、できるだけ臭いものには蓋をしておきたいのだろうが、三条市議会が議員発議で、事態の進展を求めている以上、三条市も、地権者も、現在の予定地内での建設に向けて大いに努力しなければならない。
高橋一夫三条市長も、市議会のバックアップを得て、さらに県、県教委に働き掛けて、一日も早い斎場の完成に努力してほしい。すでに、建設の話が出て20年近くたつし、当時から、県内各地で煙の出ない無煙式の斎場が建設されてきた。
今では、無煙式はもとより、大理石づくりで、お斎会場も併設、犬などのペットを火葬するカマまで備え付けられている斎場もある。真っ黒い煙を、もくもくと吐きつづけている三条市の斎場を見れば反対の声も出るだろうが、立派な斎場、緑樹が植えられた広い公園内となれば、反対の声も静まるだろう。
生命のあるものはやがて滅びる。せっかくなら、整備された斎場で、手厚く葬られればそれにこしたことはない。一日も早い斎場の完成を期待する住民は多いはずだ。

合併という政治選択 結果は50年後、100年後に 2004・3・23
新潟県燕市・吉田町・分水町の合併の話が急速に浮上し、合併後の都市基盤整備の資金として有利な合併特例債が使える合併特例法適用ギリギリの期限のなかで、合併協議会がスタート。新市の名称、新しい役所の建設とその位置、合併後の議員の数と、改選のスケジュール、それぞれの市町で異なる福祉、教育など、さまざまな制度の違いの調整など具体的な話に入る。
これまで、各市町村の住民が見てきたように、総論で合併賛成でも、各論に入ると、それぞれの住民感情などに至るまで、温度差は大きく、市町村の枠組みの変更などが続き、無傷では、法定合併協議会の設置にまでこぎ着けられないところが多かった。
燕・吉田・分水の3市町は、いずれも、枠組みから離脱したり、合併協議会を解散するなど、時間や経費の面で、苦い経験をしている。それだけに、初めての組み合わせにもかかわらず、ギリギリの二年ほどしかない期間に、任意の合併協議会、次いで法定合併協議会の設置、具体的な合併調整などの難しい作業をこなす覚悟が、各首長、議員にはできていることだろう。
特に、小泉内閣の三位一体の改革による、平成16年度予算における、地方交付税交付金、国庫補助金の大幅カットで、大半の地方自治体が予算編成にあたって、かつてない厳しい現実を見せ付けられている。
これはまだ序の口で、政府は、合併の進み具合によっては、合併特例法の期限を多少延長するにしても、平成17年度予算については、地方分権、税の地方への委譲を行う方針で、さらに、地方交付税交付金や国庫補助金などが減額される見通しだ。
田上町の例を見るまでもなく、住民意向調査の結果に震え上がった佐藤邦義町長はじめ理事者側と、議会側が、安易に、合併協議会からの離脱を決めた後、三位一体の行財政改革の厳しさを知り、今に至って「やはり合併しなければならなかった」という後悔の念を強くしている。
それだけに、燕、吉田、分水の3市町は、過密なスケジュールをこなし、合併にこぎ着けたいところだろう。合併参加を望んでいた寺泊町を拒んでさえも、期限内に合併を果たしたいという3首長の願望は並みではない。
これで失敗すれば、田上町の例を見るまでもなく、後悔を免れないことになる。そして、寺泊町のように、合併の仲間にすら入れてもらえないような仕打ちを受けることにもなる。
ただ、これから合併の前提条件となる事柄の調整が具体的に進む時に、例えば、新市の新庁舎は、交通の便や新潟市、長岡市とのアクセスも睨んで、国道116号線バイパスと国道289号線の交差する辺りか、それよりも分水町側にするなど、将来の都市づくりの具体的な話になれば、住民感情に揺らぎも出てくるだろう。
政治家や、識者が、それらを克服しながら、新潟県第三位の工業都市、産業立市を築くことになる方向を明確にして合併に一路、まい進することが必要だろう。むしろ、タイムリミットであること、三位一体の行財政改革の厳しさの一端を覗き見たことで、関係者の覚悟は固まったと言える。
もちろん、燕、吉田、分水の3市町の合併が成立した暁には、新市の都市構想によって、これまでの都市づくりと大きな違いが生じるし、それは、県央地域の都市づくりにも大きな影響を及ぼすことになる。
まだ、合併が成立しないうちでの仮定での予測は危険だが、先を見るに敏感な住民は、今後の都市づくりと人の流れがどのようになるのか、須頃地区を中心とした県央地域の都市づくりの基本は変わらないのか、新市が二つの核を持たざるを得なくなるなかで、投資が分散して、大きく変わる。あるいは発展が遅れるのかなどをさまざまに考え始めている。
新しい役所の位置によっては、国道289号線沿線でも、燕商工会議所周辺の充実が今後も続くのか、それとも吉田町地内が発展するのか。国道116号線沿線の発展がスピードを増すのか。
あるいは、全国的にスーパー、スーパーセンターの競合が激化するなかで、新しいスーパーセンターが進出するとしたら、どの位置になるのか。須頃地域の国道8号線沿線がすでに開発し尽くされているなかで、広い土地と幹線道路を睨んで、どこに照準を合わせるのだろうか。
市町村合併を、単純に行政の合理化と捉えるのでなく、100年先の都市づくりとして、またビジネスチャンスとしてとらえる視点が必要だ。燕、吉田、分水の3市町の合併、三条、栄、下田の3市町村合併の方向性を見定めておく必要がある。
これから1、2年の間だが、二つの合併の動きをしっかりと見定めていかなければならない。例えば、須頃地区でも、土地区画整理を実施した三条市下須頃や燕市の井土巻地域と、参加しなかった三条市上須頃の姿の違いは、今日に至って歴然としている。当時は目先の事柄にとらわれて、上須頃は、土地区画整理に参加しなかったのだ。ひとつの政治選択の結果が何十年後に表れる。これが政治選択の怖さであり、重要さだ。

燕・吉田・分水、県内第3の工業都市へ 2004・3・17
3月9日の紙面でお伝えしたとおり、8日、新潟県燕、吉田、分水の3市町が、合併協議会を設置して、平成18年3月の合併を目指してスタートを切った。寺泊町の合併参加の要請を断ったのは残念だが、それはそれとして、3市町の工業製品製造品出荷額を合わせると平成12年ベースで3527億円余、新潟県でも第3位の工業都市が誕生することになる。
三条市と、栄町、下田村の3市町村が合併しても、2794億円余で、燕市・吉田町・分水町の新市に及ばないことになる。加えて、燕市と吉田町は、元来、燕市などの企業が、吉田町に進出して、吉田町の工業の発展を支えてきた経緯があるが、分水町は、基本的には、燕市の工業と関わりがほとんどない形で発展してきている。
洋食器、器物などのステンレス製品の加工技術をベースに、さまざまな分野にまで発展してきた燕市の工業界だが、農機具などの機械生産技術を持つ小池地区を除けば、大量生産、大量消費型の産業であり、必ずしも高度な工業技術とは言えなかった。
分水町と合併すれば、いやおうなしに、分水町の機械加工などの業界との交流の機会が生まれてくる。いや、これまで、燕でも、小池地区の企業は、燕全体の工業界からみると、別の動きだった。
異業種が交流することで、さらに新たな産業の興る可能性もある。もちろん、ステンレス製品の加工と、機械加工などの分野では、同じ工業でも、基本的な思想が異なるかもしれない。そこをどう乗り越えて、深い関わりを持つのかが、今後の課題だろう。
下手をすれば、合併しても、分水町の工業界との交流が生まれないこともあり得る。新市誕生の暁には、政治家はもとより、産業界も、商工会議所、商工会が交流を活発にして、新しい産業集積地を築くことを目指して努力しなければならない。
基本的には、新潟県の政治は農業、建設業を軸に展開し、西蒲原郡も比較的平坦で水田地帯が広がる穀倉地帯であり、ややもすると政治が農政中心に展開されかねない。新潟県第3位の工業製品製造品出荷額を誇る新市の誕生を目指すのであり、産業界、なかんずく、工業界の関係者は、そのことを十分意識して、新しい都市づくりを目指さなければならない。
国道116号線と国道289号線という縦と横の幹線を軸に新しい都市づくりが可能になる。須頃郷を軸にした県央地域の大躍進という観点からすれば、やや後退の感も免れない。しかし、今度の新市構想は、人口や面積では、三条市・栄町・下田村による新市を下回るが、工業製品製造品出荷額が一挙に飛躍することは、実に素晴らしいことだ。
小泉内閣が、三位一体の行財政改革を進めるなかで、地域の産業基盤が強化されていかなければ、地方分権、地方の自主的な行政運営などといっても、絵空事に終わる。人口規模の割に工業力の強い燕市・吉田町・分水町の新市は、国、県からも、新たな注目を集めるだろう。分水町の参加で、燕市と吉田町との合併という視点では考えられなかった、工業を中心とした、新たな産業立市が生まれることになる。
当初の合併の構想では考えられていなかった分水町の合併参加の意味は大きい。それを生かすも殺すも、燕市の業界人をはじめとした市民の心構えだ。県央東部合併の挫折の後、しばらく、気分的に沈滞していた燕市民だが、このところ、新しい方向性を模索しながら、新市を築こうとする意欲が現れている。
三条市・栄町・下田村の新市民も、このことを十分意識しながら、新市の目指す方向を見極めていかなければならない。特に、三条市は、県央最大の都市として、また工業をはじめとする産業都市として県央地域をリードしてきた。しかし、新市誕生の暁には、工業に関しては、燕市・吉田町・分水町に一歩譲ることにもなりかねない。
燕市・吉田町・分水町の新市を新しい角度から見ていかなければならない。危機意識を持って、地域の工業振興を目指さなければならない。小売商業に関しても、国道8号線を中心とした須頃地区のみに視点をおくのでは、発展の可能性が揺らぐ。見附市を含む国道8号線に沿った地域の開発が大きな意味を持ってくるだろう。
東と西に新しく生まれる二つの新市が、これまでの三条市、燕市以上に、工業都市としての存在意義を高めていくうえで、いい意味でのライバルであり続けることは、有意義だ。

加茂市と燕市の財政 借金で膨らむ加茂市の予算
市町村長の政治手腕は、かつては、国、県から多くの事業、予算を持ってくるという点に象徴され、政治家への陳情政治や官僚との人脈を頼って、情報を得ながら政策を進めていくことだった。
しかし、今では、国が財政難でアップ、アップ。三位一体の行財政改革というが、あらゆる面で、予算を切り詰めていかなければ、国債の償還ができない。国債を償還するために国債を発行している借金地獄。
新潟県などは、独自の財源は少なく、これまた国からの金に依存してきたのだから、頼りがいがない。三位一体の行財政改革で地方交付税交付金を大幅にカットされたと言って、今ごろになって国のせいにしている平山知事では、所詮、情報もなく、先見性もない。どこかの市町村長レベルだ。
国は、行財政改革をやると言い、地方交付税交付金のカットなどを行うから、今のうちに合併を進め、コストのかからない行政に体質を転換するようにと口が酸っぱくなるほど言い続けてきた。
ただ、これまで、国に依存し、地方交付税交付金に依存して政治を行ってきた新潟県や県内市町村のように、経済基盤の弱い地方自治体の首長は、自分に都合よく、「一挙にカットはしまい」と、高をくくっていたきらいがある。
いや、そうでも思わなければ、あまりにも多く、国に依存していたために、国への依存を急激に弱めざるを得ない場合のことなど考えられないのだろう。対応策も見出せないので、国の行財政改革を認めたくないというのが本音ではないのだろうか。
いつも、批判している加茂市の小池清彦市長の政治手法をみると、まさに、国への依存度がどれほど大きく、小池市長自身が「加茂市民は税金を納めない方がいい」とまで言い切る理由もわかる。
加茂市の平成16年度一般会計当初予算は、140億円余り。前年度当初予算の133億円を上回ってさえいる。人口が1万人も多く、4万3000人の市民が一生懸命働いて税金を納めている燕市の当初予算が、127億円余り。
市町村によって、あるいは、それぞれの年度に行う事業によって、予算の伸び縮みはある。それにしても、加茂市と燕市の当初予算になぜこうした矛盾とも受け取れるほど差が生まれるのか。予算の中身を見るとわかる。
加茂市の予算を見ると、市税が平成16年度は27億円余り。13年度は約30億円、14年度は29億円、15年度は28億円だから、確実に減少してきている。燕市の16年度の市税は、減ってきたとはいえ、52億円余りと、加茂市の2倍近い。
そして、国からの地方交付税交付金を見ると、平成16年度は、加茂市が38億円余り、燕市が18億円。税金が上がらない加茂市に、いかに多くの地方交付税交付金が配分されてくるかがわかる。加茂市と燕市の2市だけでも、これだけの矛盾をはらんでいる。ましてや、富裕で、地方交付税交付金などない大都市、東京都と貧しい新潟県とでは比べ物にならない。市税をたくさん納めている燕市でも、地方交付税交付金に依存していることは事実なのだ。
さて、貧しい加茂市の予算が多い理由には、もう二つの理由がある。借金である市債を償還するための予算を公債費という。その公債費が、加茂市では16年度、22億円にも上っている。平成16年度に市債を15億円も発行しても、間に合わない。15億円のうち、4億円は、借り換えのための市債だ。燕市は12億円の市債発行額だ。公債費は13億円。いかに加茂市が借金に依存し、借金返済に苦しみ始めているかがわかる。
加茂市は、その上、財政調整基金など、貯金を大幅に取り崩しはじめている。16年度は、5億円に上る。燕市は2億円余り。これで、財政難と言われるこの時期に、加茂市が燕市を大幅に上回る予算を組んでいる理由、組まざるを得なかった理由がわかる。
地方交付税交付金というのは、市と市民の関係でいえば、収入が足りず、最低の暮らしができないから、給付される生活補助のようなもの。市税が不足で、市民に国が定めた最低のサービスを与えられないから交付されるのが地方交付税交付金。
そう考えると、いかに、加茂市は市民が働かず、税金を納めていないかがわかるし、そのために収入不足で、地方交付税交付金をたくさんもらっていることもわかる。それにもかかわらず、小池市長が、めちゃくちゃなお金の使い方をしているから、借金残高が増え続け、返済する公債費が膨らみ、借金を借り換えざるをない状態に追い込まれているというのが、平成16年度の予算の実態だ。

なぜ拒む寺泊町を 合併の道、吉田ペースに 2004・3・12
泉光一吉田町長は、新潟県燕市との合併の土俵に上がる時、旧県央東部との合併を警戒し、市長辞職まで、旧県央東部との合併を推進してきた高橋甚一燕市長に、180度の方向転換を迫った。
そして、今度は、寺泊町の、燕市・吉田町・分水町合併推進協議会に参加したいという働き掛けを、泉吉田町長、吉田町議会がこぞって拒否した。吉田町が、旧西蒲南部・寺泊町合併協議会から離脱した本当の理由や、その場での、吉田町と寺泊町の関係がどのようであったのか十分調査していないので、軽軽に、吉田町の態度を批判することはできない。
なぜ、県央大合併を最終目標に掲げている県央広域圏の仲間として、寺泊町を受け入れないのか。これほど意固地に寺泊町を拒否し続けるのはなぜか。分水町と寺泊町が、弥彦村との3町村合併を否定したのは同時であり、その後の両町の動きに大きな差はなかったとみられる。
にもかかわらず、分水町とは、すんなりと合併の方向で話が進み、寺泊町は置いてきぼりをくった。何か、そこには、吉田町と寺泊町との間に、表面化していない確執があったのではないかという噂も囁かれている。
それにしても、燕市の一部市議の間でも、寺泊町を含めるべきでないという意見が聞かれる。なかには、寺泊町も加えるべきだという市民の意見に「合併を壊す目的でないか」という猜疑心に満ちた見解を述べてはばからない市議もいると聞く。もちろん、一笑に付されているが。
そんなものだろうか。例え、合併特例法の適用される平成17年3月までの期限が、多少延長されて適用されるとしても、本当に、これから、3市町が、現在の異なった行政サービスの基準を統一する作業を丁寧に進めていったとしたら間に合うのだろうか。
合併作業では一歩先んじている三条市と栄町、下田村では、基準を統一するために、3月、4月の毎土曜日に、会合を重ねて作業を進めていく。それほど、期限までにしなければならない手続きが多いということだ。
燕市、吉田町、分水町には、三条市、栄町、下田村に比べて、協議がスムーズに進むという、何か別の要素でもあるというのだろうか。あるはずがない。これまでも離合集散してきた3市町である。
合併問題の基本である、広域的で効率的な行政運営を考えたら、目先の時間を急ぐよりも、より枠組みを大きくして、将来の大合併に備えることが必要ではないのか。寺泊町の参加を拒否して、しこりを残し、長岡市への合併という選択を許したら、二度と、寺泊町が県央大合併に参加する可能性はなくなる。
高橋甚一燕市長は、3市町の中核市の首長として、リーダーシップを取っていけるのか。それとも、燕市議会、そして吉田町の泉町長と町議会に振り回されることになるのか、その試金石として今回の寺泊町の合併参加に対する高橋燕市長の采配が注目されていた。
しかし、結果は、吉田町、分水町との合併という方向で、吉田町の意向を重視する燕市議会の流れに従わざるを得ない状態になった。燕市議会が、寺泊町の参加について結論を出すことを見送ったのは、協議の始まる前に、吉田町議会が、泉町長の意向を受けて、寺泊町の参加拒否を決めたからだ。
合併推進協議会の席で、議論し、結論を出すというが、すでに吉田町の方針が決まっている以上、覆せば、吉田町が不参加になる可能性もあるなかで、それを覆すことはできないだろう。
県央大合併は、ますます、絵空事になっていく気がしてならない。燕市民がそれを選択するのであればやむを得ないことだ。三条市・栄町・下田村も、県央大合併の夢は夢として、長岡市への合併を見送った見附市、栃尾市などと合併する可能性を残しておくことも必要だ。

後進性を認めて 知恵、資本、労働意欲の結集を 2004・3・9
政治、経済とも、ただならない状況を迎えている。いつの時代もそうだが、時代の変化に敏感に対応できる市民と、過去のしがらみにとらわれて時代の変化に対応できない市民との、政治的、経済的なポジジョンが大きく違ってきている。
日本の政府が、少子高齢社会を迎えるなかで、返済不能に近い借金を抱えながら、そのまま行き詰まるのか、それとも、世界の政治、経済の動きのなかで、小泉内閣の三位一体の行財政改革によって浮上できるのか。
また、地方自治体、なかんずく、太平洋側の経済的な発展に甘え切って、経済発展の後進性を放置してきた日本海側の地方自治体は、地方分権という主権の回復と経済的な自立という責任分担の双方に耐え得るのか。
人口わずか8万人とか、4万人とかのレベルで、効率的な都市経営ができるはずがないし、非効率的な都市経営が、結局、市民生活、産業活動の足かせになって、新しい時代へのチャレンジを不可能にする。
合併問題などは、理屈抜きの問題であるにもかかわらず、いたずらに住民感情を煽って、指導力のない首長の居座っている市町村は混迷の縁に立たされる結果に終わっている。新潟県が、この県央地域の市民が、全国、世界に目を向け、今後、どのように対処していかなければならないかを考えた時、合併問題などに時間を費やしている余裕などないはず。
あぐらをかいている政治家が多く、経済的には、時代の流れに取り残されていることに気付かず、日に日に、窮地に追いこまれている市民が目立つ。小市民的な暮らしのなかに逃げたくとも、逃げる余地はない。
資本主義社会の成熟に向けて、世界があまりにも激しい変化を遂げている。それが、結果的に、世界の人びとの幸せにつながるのかどうかは別として、変化の方向だけは見定めていかなければならない。
早くから、世界でも、人口が桁外れに多い、中国、インドをはじめとするアジアの時代が来ると言われ、今まさに、中国、インドなどの一部の有能な人材が台頭し、世界経済を振り回している。
中国、インドなど、アジアの人びとにも、幸せ、経済的な豊かさを得る権利がある。日本人であれば、みんな、経済的に豊かで、安定した生活が送れると信じたいものだが、日本人が、すでに仮死状態に陥っている「過去の社会制度」を引きずりつづけ、働くことを忘れ、知恵を使うことを忘れてしまえば、幸せはあっという間に手元から逃げていく。
そう考えれば、一時の感情に流されて、進むべき方向を誤り、時間とコストを無駄にしていては、遅れている状況を一層悪化させてしまいかねない。世界は、中国バブル、アジアバブルで沸いている。その流れから、意固地とも思える態度で、外れていて、果たして21世紀の前半を乗り切れるのか。
ノーと言いたい。知恵も、金もなく、ましてや労働意欲までも失ってしまっていては、日本の僻地からの脱出はできない。アジア諸国が、たとえ、一時的な幻想にしろ、資本主義の流れのなかで、かつての日本の繁栄を手本にしながら、なおかつ、行き過ぎた社会保障制度という日本の失敗を参考にして、新しい国を築こうとしている。
そう考えれば、進むべき道は見えてくる。真の教育によって、世界の動きに目を向け、知恵を使うことを教え、働くことを惜しまない市民を育てなければならない。そして、資本を集めて、新しい時代への投資をしなければならない。政治も、経済も、等しく、地域社会を豊かに、都市として発展の可能性のある形を築くことが必要だ。
少数であっても、そのために、日々苦労している政治家、経済人、そして豊穣な文化を育てていこうとする意欲のある市民が報われる時代がくる。新潟県の後進性を認め、時代の流れを見誤ってダッチロールを続けている地方政治に喝を入れ、経済的にマイナス志向で苦しんでいる人びとに真実を語って、抜本的な改善をしなければ、この地域は救われない。そう思いませんか。

鍛冶屋の暮らし 中世大崎鋳物師は豊かだった 2004・3・4
小生が、戦後の昭和21年に生まれ育った新潟県三条市西裏館は、荒町、東裏館、旭町、横町、林町と並んで、「鍛冶屋」の多いところだった。一方で、機械生産による工場が並び、他方で、昔ながらの鍛冶屋もあった。
鍛冶屋は、朝早くから夜遅くまで、動力付きのハンマーで包丁などを鍛ていた。コークスで鉄を熱するものだから、真夏は、暑くて、男女とも上半身裸になってせっせと生産に励んでいる。そんな光景が脳裏に焼きついている。
また、東裏館の友人宅が、和釘というか、学校の教室に、鞄などを掛けるための曲った釘を生産していた。薄暗い土間で仕事をしている姿を記憶している。鍛冶屋にも、高級品を作る職人と、並品以下の安物を作る職人がいたのだろう。
握鋏や木鋏、鋸、玄能でも、名工とうたわれた職人は、戦後も、長く命脈を保ち、昭和50年代までは、仕事量もそこそこあって、本紙でも、昭和53年の創刊当時、名工を訪ねて取材を続けたものだ。
他方、並品以下の製品を作っていた鍛冶屋は、戦後の機械の発達に伴って、機械化に成功してメーカーに発展、あるいは、機械化の波にのまれて消えていった。鍛冶屋として生き残れなかった職人は、積極的に金物卸へと転換、あるいは工場に勤めるなど、さまざまな方向で転換を図った。
時代の変革期に、衰退して行く鍛冶屋の姿を見ているものだから、名工と呼ばれるような特殊な腕を持った鍛冶屋はともかく、全般に、鍛冶屋のイメージは、決して裕福なものではなかった。
そうした過渡期的な時代の鍛冶屋のイメージで、三条の鍛冶を考えていると、どうも、間違った判断をしてしまいそうだ。特に、三条の鍛冶の発祥とまでは断定できなくとも、間違いなく、中世には、「大崎鋳物師(いもじ)」と呼ばれ、鋳造や鍛造などの金属加工が盛んだった大崎地域。同地域の各遺跡(遺跡指定はされていないが)を訪ねていると、鍛冶の跡を思わせる仕掛品や、鉄を溶かした後の残滓がたくさん見つかる。
それらとともに、周辺から、能登半島の先端部の中世窯業地、珠洲で焼かれた珠洲焼の甕や擂鉢の破片に加え、青磁碗、白磁碗などの中国からの輸入磁器の破片も見つかる。これまでは、輸入磁器は、中世寺院や地域の有力者の屋敷跡などから出てくるもので、一般庶民の手には入りにくいものとされてきた。
それゆえ、青磁碗、白磁碗などの破片が出土することで、即、寺院跡や有力者の屋敷跡と考えがちだった。しかし、今では、中世の鋳物師は、かなりの経済力を持ち、青磁碗、白磁碗なども用いる裕福な暮らし向きだったのではないかと考えざるを得なくなった。
もちろん、大崎地域には、麻布谷のように、要害山の麓に開けている谷もあって、寺院跡の伝承もある。ところが、麻布谷でも、鉄の残滓がゴロゴロと発見され、なおかつ、青磁碗、白磁碗の破片などが採集される。当時の金属加工業者であった大崎鋳物師の暮らしが、寺院や地域の有力者の暮らしぶりと肩を並べるものであるとしたら、当時の大崎地域の経済的な繁栄ぶりが想像される。
越後の国に、三島郡大久保村(大窪村)、頚城郡青野村と並んで、蒲原郡大崎村に鋳物師本座があったことが古記録に残っており、大崎村の鋳物師の作った鉄鍋は、蒲原郡、高志郡などで販売されたという。
文明3(1471)年には、神社の鰐口を、文明6(1474)年には、会津高田・法用寺の梵鐘を鋳た大崎鋳物師たち。豊かな暮らし向きだったとしても不思議ではない。

燕市、吉田町よ、なぜ寺泊町を嫌う 2004・3・2
新潟県分水町、弥彦村、寺泊町の3町村による合併協議が頓挫した後、新たな合併の枠組みを模索する寺泊町が、分水町とともに、燕市、吉田町と合併したいという申し出に対して、なぜか燕市、吉田町に、寺泊町の参加を歓迎しない雰囲気がある。旧県央東部の合併を中心に、燕市、吉田町の動きを探ってきた小生には、なぜ、寺泊町の参加を拒もうとするのか、理由はわからない。
寺泊町は、財政力も弱く、都市基盤整備も遅れているので、合併すると、燕市、吉田町、分水町の足手まといになる。燕市と吉田町だけなら、合併の協議はスムーズにいくし、分水町を加えただけでも、譲歩しているのに、寺泊町が加わり、数が増えると、合併が遅れる。寺泊の参加を拒む理由として一部には、こうした考え方が、まことしやかに言われている。
しかし、そうだろうか。県央11市町村のうち、新潟市との合併を目指している岩室村、西蒲南部・寺泊の合併から浮いた形で、孤立している弥彦村はやむを得ないと思われるが、将来県央の大同合併のことを考えれば、自ら進んで合併に参加しようという寺泊町を拒んで、果たして、県央の大同合併を実現できるだろうか。
三条市との合併には、「人口規模、経済力で劣る三条市にいいようにされる」と、拒否し、一方の吉田町も、燕市と三条市が相手なら、合併もいいが、下田村などが入るのは反対というような、目先の欲得で物事を見ている。
寺泊町に対しても、単に財政力が弱く、都市基盤整備が遅れているという理由から合併に参加するのを拒むとしたら、地域エゴでしかない。数が増えると合併はスムーズに行かないという恐れは確かにある。しかし、燕市、吉田町、分水町の三つであっても、それぞれが地域エゴを剥き出しにすれば、かならず、合併は破綻する。現に、西蒲南部・寺泊町の枠組みは、一つとして核になる存在が現れず合併はできなかった。犠牲を払おうとする市町村がなかったからだろう。
もちろん、県央地域の大同合併は、遠い未来のことで、数年の間には実現しないという見方もあろう。小生なども、燕市民の「三条市民に負けてなるものか」という、三条市に追いつき追い越せという気概からすれば、3市町合併が成立して人口8万4000人からの新市が誕生すれば、ますます、対抗意識を持って頑張るだろうから、県央大合併の可能性は遠のくと見ている。
それにしても、せっかく、寺泊町側から合併に参加させてほしいというものを、拒む理由はない。今回、拒んだことで、寺泊町が長岡市や、三島郡との合併に傾いたら、県央の未来にマイナスである。
寺泊町は、弥彦村、岩室村が参加しないなかで、唯一の日本海に面した町である。観光資源も開発の仕方次第だ。そして、何よりも、大河津分水によって、新しい陸地が自然に造成されている。50年後、100年後のことを考えれば、大変な財産になるかもしれない。
大河津分水のお陰で、逆に、寺泊港が埋もれて、良港とはいえないし、維持に資金が必要かもしれない。それでも、海のある県央地域にしておかなければならない。目先の欲得で判断してほしくない問題である。
さて、新潟市と長岡市の中間地帯に、新潟県で3番目、あるいは、上越市に次ぐ4番目の都市を築く気概がなければ、どうして、今回の3市町の合併も成功させることができるだろうか。県央広域市町村圏の圏域が広がるのは結構だが、狭まる愚だけは避けてほしい。

