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  越後ジャーナル
  パルジェ
水害の2次災害 ゴミの悪臭、体調の変化など  2004・9・27

 7・13水害からまる2カ月半が経過した。

 アッという間で、水害に遭った嵐南地域のほぼ全域と、嵐北地区の一部は、外見的にはすっかり復興したように見える。

 しかし、きのうのように30度を越す残暑厳しい天気の日には、市民プールの駐車場に建てられたプレハブ建設の仮設住宅で、入居者はどのようにして暑さをしのいでいるのだろうか。

 また、水害のゴミを一時的とは言え、廃棄した競馬場や金子新田工業団地のグラウンドなどでは、猛烈な悪臭が発生し、2次災害を起こしている。

 競馬場は、ゴミの量が違うため、発生する悪臭が、風に流れて広範に広がるし、金子新田工業団地グラウンドは、道路1本挟んで、すぐ各工場が並んでいるため、悪臭がストレートに工場内に入っている。工場によっては、社員が悪臭に気持ちが悪くなって、会社にいられないとか、食堂は、臭いで食事が取れなくなるので暑くても窓を開けられず、締め切ったままにしている工場もある。

 関係者が、何か、工場団地だから、ゴミの山を積んでおいてもいいというような錯覚を起こしているのではないかとさえ思われる。

 近所の工場では、「水害対策のことだから文句は言いませんが」としながらも、丸々2カ月半、それも日を追って臭くなるゴミの山に悲鳴を上げている。市の職員が実態調査にすら来ていない。「弁当を持ってきて、食堂で食べてみてほしい」とさえ言っている。

 せめて、現場の調査をし、いつ頃までにゴミ処理が終わるのかくらいの説明があってもよさそうなもの。

 まだ、これに類した2次災害的な事柄が、眠っているかもしれない。

 とにかく、朝夕のラッシュ時の、西大崎西本成寺線の混雑は、災害復旧のさなかに比べれば落ち着いてきたが、災害前に比べると、依然として混雑している。

 事業所の機械の整備や工場の補修、一般家庭の家の修繕、改築などの関係で、さまざまな業者が、嵐南地域に入ってきているからだろう。

 こうした具体的な事柄はともかく、水害の疲れがたまっている被災者は多いだろう。普段であれば、疲れれば身を横たえ、あるいは土日曜日などには、ゆっくりと休息できるのだが、災害後は、平日は、水害で落ちた業績を回復するために懸命に働き、逆に土日曜日など休日に家庭の後始末をしなければならない状況。ゆっくり休みたい気持ちを抑えて、頑張ってきた被災者が多い。復旧の疲労から、体調を崩し、隠れていた病気が顕在化して、倒れる被災者もあるようだ。

 それでなくとも、夏バテは、夏にではなく、秋になると体調を崩す形で現れる。今年は、被災した市民は、ことのほか健康に留意しなければならない。体調を崩すとしたらこれからなのだから。

 水害からの復興は、長丁場だ。くれぐれも健康に気を配って、ペースを崩さない努力をしなければならない。





徹底検証これから 水害発生と対策のメカニズム


 7・13水害からの復興と再発防止策は、水害の発生のメカニズムを徹底的に解明しなければ打てない。

 このたびの水害による被災地の広さと被災者への打撃の大きさ、多くの人々にとっては「まさか」の水害とあって、発生時には、ダム管理者や市職員のなかから責任を取って自殺する者が出るのではなかろうかという危惧さえ抱かれた。幸い、自殺者が出たとは聞かない。

 ただ、責任追及の意味からではなく、この災害の発生からその後の対応までのメカニズムの欠陥は、徹底的に解明されなければならない。

 消防長が、消防団へのポンプの引渡し式にあたって、「被害を最小限度に食い止めた」というような発言をしていること自体、認識不足もはなはだしい。今回の水害が、最悪な事態だったことは、誰の目から見ても明らかで、その意味では、防災に関わる関係者は、猛省しなければならないはず。

 まず、ダム関係者は、ダムがあったから、災害を最小限に食い止めることができたと信じきっている節があるが、ある市民は、ダム管理のデータを踏まえ、学術的な見解も聞きながら、「多目的ダムは防災にならない」と指摘している。本当にダムは的確に管理されていたのか。

 ダムの「ただし書き放流」によって、五十嵐川下流のいずれかで堤防が決壊することは予測されたが、決壊個所を含む危険個所にあっては、防災体制は十分だったのか。

 一部で、決壊個所は、「越水」のためとされたが、大学関係者が、早くから指摘していたように、堤防の下から水が漏れ、まず堤防が50メートルほどにわたって崩落、一気に越水して170メートル近くも崩壊してしまった可能性がある。単に、農家が、毎年、薬剤散布で雑草を枯らせているから決壊しやすかったなどという話でなく、河川管理者は、堤防管理を怠っていなかったのか、徹底的に検証する必要がある。

 また、市長、助役は、嵐南地域にも、災害発生前に、避難勧告を出しているとしている。また、市民の1人が、午前11時過ぎに、市役所に電話をしたら、電話口に出た職員は「全市に避難勧告が出ている」と答えたという。

 多分、応対した災害対策本部詰めの職員なのだろうが、にもかかわらず、なぜ、広く市民に伝わらなかったのか。単に「庁内が混乱していたため」というのでは理由にならない。

 また、学校教育、社会教育の現場では、午前中、平素と変わらない状況だった。役所の組織内ですら、避難勧告が周知されていなかった節がある。一部、学校長の判断で、臨時休校にしているが、教育委員会からの指導ではなかったと言われる。

 災害時における高齢者対策の遅れと並んで、弱者である幼児、子どもを災害から守る体制は十分だったのか。結果的に、子どもの犠牲者が出なかっただけではないのか。

 今後、市民が落ち着きを取り戻す中で、再びこのような災害が起きないようにするために、さまざまな事柄を検証していく必要がある。逆に言えば、災害のむごさを過去のものとして忘却しないように、検証し続けていかねばならない。

 市民が裏付けのない憶測で好き勝手を言い合い、それを煽り立てているようにさえみられるというが、それでは三条市民が笑い者になるだけ。

 三条市は、市民の、とりわけ被災市民の立場に立って、市役所自体も含めて、厳しく検証してほしい。






怨念残る県知事選に 坂上元代議士、支持者に檄文


 先の参議院議員選挙では、比例区から立候補していた民主党の渡辺秀央参議院議員を、全力を上げて支援していた坂上冨男元代議士だが、今回、渡辺参議院議員が、自民党の一部と手を組んで、県知事選に、代議士時代から息のかかった前通産官僚、泉田裕彦氏(41)を擁立したことに怒り、支持者に対して「県知事選候補『多賀秀敏』推薦決定の連絡」という檄文を郵送した。

 檄文の日付は、9月8日付けで、関係者の話では、支持者1000人くらいに宛てて郵送したという。

 内容は、「今次の、新潟県知事選挙の推薦に当たり、党員、サポーター、応援団、後援会、支持者の皆様に大変ご心配を頂きましたが、民主党県連の9月5日の常任幹事会で、推薦願いが出ておりました『多賀秀敏』候補に推薦決定致しました。一部、別の候補を支援する人もあって、分裂選挙になると報道されておりますが、民主党としては、多賀候補に推薦決定致したのであります。県知事選候補者中、多賀候補が最も有力と言われておりますが、気を引き締めて闘う決意です。仲間の皆様方にご連絡下さるようにお願い申し上げます。」というもの。

 渡辺参議院議員は、自ら県知事のポストを夢見たこともあり、今回、自らの意に従って行動する泉田氏を、中曽根派だった父稲葉修元法務大臣の息子稲葉大和代議士ら自民党県連幹部と組んで、県知事選の候補に祭り上げたもの。

 自民党県連でも、渡辺参議院議員が自民党だった時代から縁のある古参議員が、泉田氏の推薦を決める原動力になったものの、若手の中には、反発があり、今後、どのような展開になるかわからない。

 また、民主党県連の人気を高めてきた菊田真紀子代議士、森裕子参議院議員、西村智奈美代議士の女性国会議員3人だが、今度の県知事選では、渡辺参議院議員の息のかかった菊田代議士、森参議院議員は、泉田予定候補、西村代議士は、多賀予定候補を支持して闘うことになる。

 怨念の残りそうな県知事選であり、誰が当選しても、旧新潟3区は、ますます、政治が泥沼化するだろう。






被災者再建支援金 なぜ、単身、複数で異なる?
  2004・9・9

 このほど、三条市の被災者生活再建支援金の内容が、被災世帯に通知されたが、交付限度額が、複数世帯と、単身世帯で大きく異なっていることについて、市民から疑義が出ている。

 水害で被災し、家財を一切失ったのは、複数世帯も、単身世帯も同じ。食費や被服費などは、確かに人数で違ってくるが、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、あるいは、畳の入れ替え、流し台から風呂までの改修など、最低の暮らしをするのに揃えなければならない家財や設備は、複数世帯も、単身世帯も同じ。

 支援金の交付は、住宅が全壊か、大規模半壊世帯、住宅が半壊、または床上浸水世帯となっており、被災日の後、県外に転居した場合は半額。

 交付金額は、半壊が、複数世帯50万円、単身世帯37万5000円、床上浸水が複数世帯30万円、単身世帯22万5000円。

 もちろん、この金額ですべてがまかなわれるというものではないが、逆にいえば、この金額では、複数世帯、単身世帯共通の必需品を買うのにも足りるはずがないということになる。

 また、単身世帯は、高齢者が多く、年金生活者や何らかの理由で働き手がない場合が多く、複数世帯は、誰かしら大黒柱になって働く人がいるはずというのも理屈だ。

 母子家庭、父子家庭などで、これまでも、生活が苦しいなどの場合は、違った面での保護があるだろうし、あって当然。

 市では、国の基準にのっとったものという説明だそうだが、現実にそぐわない制度があまりにも多く、この際、現実をよく見極めての制度運用はできないものかとの市民の声に耳傾けてほしい。






ダムの放流時点で決壊予測か その重大な事実は被災地に伝えられなかった

 8月23日に開かれた三条市議会全員協議会で、嵐南地域について、「避難勧告は出したが、庁内が混乱していたため、十分、自治会長に届いていなかった」という反省が高橋一夫三条市長自身の口から明らかにされた。

 災害発生直後の報道陣の取材に、高橋市長が、「避難勧告は出した」として激怒する場面があったと聞くが、被災地では、地域にもよるのだろうが、全く、避難勧告など届いてこなかったことは事実だ。

 もっとも、僕などは、7月13日午前中に下田村の五十嵐川と大平川の合流点から、下流部の五十嵐川両岸の状況や、市役所で災害対策本部の動きなどを見たうえで、被災地西本成寺2の本社オフィスに戻っていたのだから、避難勧告が届いても、会社を守るために、避難しなかったろう。

 周囲の排水路の水が、降る雨に増えていると思いながら、窓の外を見ていたら、排水路をはさんで隣の一段高くなっている水田から、さらに高さ20センチほどになって水が押し寄せてきて、たちまち社屋の敷地内は水をかぶった。

 それからどれほどの時間が経たのだろうか。自動車を高いところに移動し、1階にあった、濡れては困るようなものを、一応2階に上げたが、さしたることもできないうちに、水は床上に達し、後は、水の引くのを待つことだけ。避難などできなかった。諏訪、曲渕地域のように濁流が直撃した地域ではなかったので避難の必要性も感じなかった。対策はなかった。

 結果的に2日2晩、一部の社員とともに、オフィス2階に寝泊りすることになったが、食料などの準備にも気が回らなかったし、そのようなゆとりすらなかったというのが本当のところだろう。

 電気がダウンし、2階のコンピューターが使えなくなったのが何時かも確認しなかった。

 それ以上に、社屋2階から見える幹線道路の西大崎西本成寺線が動かなくなっていく状況や、周辺の事業所、住宅、マンションなどの動きを眺めているうちに、日が暮れていった。

 その意味でも、避難勧告は、届いても僕にとってはあまり意味をなさなかったろう。

 避難勧告が出された時間と堤防が決壊するまでの時間のわずか数時間の間で、果たして被災市民はどれだけのことをなしえたろう。特に一人暮らしのお年寄りや、ご主人が会社で、被災地の家に残された女性、子どもなどは、どうしてみようもなかったというのが実情だろう。

 ただ、堤防が決壊し、嵐南地帯が水没する被害にあった後で、笠堀ダムが放流しなければダムそのものが決壊するかもしれなかったという事情が報道されたが、降雨量やダムの放流水量の変化を見れば、笠堀ダムが放流すれば、どこかは分からなくとも、五十嵐川が決壊するだろうということは明らかだった。

 決壊することを前提にして、放流したとみるべきだろう。決壊の恐れがあるから避難するというのではなく、決壊するからと断言して避難を促さなかった、その事実が、市民に伝えられていないことが問題だ。

 後になって、降水量やダムの放流水量を示して、堤防の決壊はやむを得なかったと言っても何の解決にもならない。

 今回は、堤防の決壊を十分予測できた上で、やむを得ずダムの水の放流に踏み切ったのであれば、その対応はずいぶんと違ったものになっていなければならない。

 一概に降雨量の問題だけでなく、多目的ダムが治水に果たす役割と、管理の難しさが、このたびの笠堀ダムの放流と五十嵐川の決壊という事実から浮き彫りになっている。専門的な知識がないと解明できない問題だが、当然、市民に知らせるべき核心に触れる問題点だ。





新燕市の情報媒体の創刊 水害で遅れたが再度準備に  2004・9・2

 7・13水害から1カ月半余、お盆も過ぎ、朝晩、秋の気配がいよいよ深まる中で、新しいスタートを切る。

 今年もあと4カ月しか残っていない。燕市、吉田町、分水町が合併して誕生する新「燕市」向けの新たな新聞づくりという新しい仕事を手掛ける準備を始めようとしたところへ、突然降って沸いたような7・13水害。

 完全に1カ月出遅れた。しかし、県央大合併が当面実現不可能な中で、新「燕市」の市民のために、良質な情報の提供とコミュニケーションのための情報紙の創刊は、いつか果たさなければならない仕事。

 吉田町、分水町に特別な手がかりがあるわけではないが、時間を掛けながら、足がかりを築いていかなければならない。

 もちろん、新「三条市」、新「燕市」になっても、両市の市民が、互いに、必要な情報を交換していかなければならない。

 ただ、これまでの三条市と燕市が合併するという前提と、これからの県央地域に生まれる新しい2つの市という形での報道ではスタンスが大きく異なってくることは避けられない。

 例えば、三条市民は、栄町、下田村のことを、これまでのように、隣町、隣村のこととして放ってはおけない。同じ新「三条市民」として、これまで以上に強い関心を持ちながら、新しい市づくりを進めていかなければならない。

 燕市民も同様で、吉田町、分水町の町民とともに新「燕市」のあり方を模索していかなければならない。

 それぞれの市民は、しばらくの間、まず第1に、合併する新しい市町村のことを意識しながら学んでいかなければならない。

 相互理解のために、それぞれが正しい情報を発信していかないと、新市民も、新しい都市づくりに関心を持ちながら、どのように新しい市づくりと取り組んでいいのか分からなくなる恐れさえある。

 それほど、お互い、隣の市町村のことは分かっていないのが現実だ。

 合併すれば、当然、新市を理解するためのさまざまな行事や広報が行われるだろうが、それとても、広く、新市民の声を聞きながら進めるには困難も考えられる。

 さりとて、事件、事故など興味深い事柄のみをスキャンダラスに伝えていると、お互いが、真実を理解せず、感情的になって、相互理解の妨げにこそなっても、プラスに働かなくなる。

 三条市並びに栄町、下田村は、三条市で育った僕などにとっては、親戚、知人も多いので比較的理解しやすいが、吉田町、分水町となると、高校時代の同期生が少しいる程度で、ほとんど交流がなく、祭りなど以外は理解していない。

 地域の行政、産業、文化を理解しないでは、さまざまな出来事も伝え得ない。ローカル紙のローカル紙たるゆえんは、地域に密着して情報収集できるという点だ。

 燕市については、10年の空白期はあったが、記者生活を通して、政治、経済、文化の各方面に知友を得て、活動しやすかった。

 加茂・田上版については、平成8年の創刊から8年余にわたって、加茂市、田上町に通って、主だった市民とコネクションを築き、十分ではないが、各階、各層のリーダーと情報交換できるようになっている。このほど、ほぼ、全般にわたって、若い廣川和子記者にバトンタッチできたのも、そうした努力を続けてきた結果だ。

 吉田町、分水町については、加茂市、田上町以上に難しさがあると想像できる。

 確かに、政治は、合併問題の取材を通して、若い外山敦洋記者が理解してきている。経済も、吉田町の大通川沿線に開けた工業団地群は、燕市などから進出していった企業が多く、いまでもかなり理解している。ただ、吉田町の商工会、分水町の商工会などとなると、ほとんど分からないし、情報もない。これでは、きめの細かい報道はできない。

 文化については、僕が、郷土史の勉強から入ることで、徐々に、現在の文化活動の現状も理解できるだろう。

 こうした、基礎になる一連の情報を収集して、はじめて地域に支持されるローカル紙を創刊することができる。

 決して容易な仕事ではないが、新「三条市」、新「燕市」の発展のためには、地域をよく理解した記者による報道が絶対不可欠と考えるし、新市民も、全国、世界共通の話題である事件、事故などの情報を除けば、そうしたきめ細かな情報を求めていることだろう。
 さて、遅れを取り戻しながら、改めて新しい仕事のスタートを切りたい。