県内外で見られる大掛かりなまちづくり 2005・10・27
最近、JR駅周辺で大規模な再開発が進められているのを目の当たりにすることがしばしばある。
県内では新発田駅周辺で、病院建設と合わせて、大掛かりな再開発事業が進められているし、県外でも、最近、奈良駅周辺で、駅をはじめ、周辺地域でホテルの建設などが進められており、見違えるようになっている。高崎駅周辺も、古い建物が次々と取り壊されて、新しい建物が建ち始めている。
一時期、人々の開発の目は、国道や国道バイパスなど建設に伴う郊外に、ナショナルチェーンが積極的に進出。たちまち新しい商業ゾーンが生まれた。
三条市、燕市などでも、須頃地区に限らず、幹線道路のバイパスができるとその沿線には大型店やナショナルチェーンの専門店が進出して、新しい商業ゾーンが生まれてきた。もちろん、新発田市でも、奈良市、高崎市でも状況は同じだった。
駅近くに店舗を構えたかつてのスーパーなども、郊外店が発展するにつれて苦戦し、撤退してきた。三条市でも、長崎屋東三条店の閉店に象徴されるように、閉店後、後継店の入居の話もない。
三条市は、五十嵐川の水害対策で手いっぱいで、とても、東三条駅や三条駅、あるいは北三条駅周辺の再開発事業どころではない。
燕市も、合併問題と新庁舎建設による新しいまちづくりなどで、弥彦線燕駅や越後線吉田駅周辺の駅前再開発にエネルギーを割く状況にない。
しかし、東京周辺のベットタウンの駅周辺では、従来から、駅を含めた形で再開発が進められてきているが、それ以外でも県内外のJR駅周辺で再開発事業が行われているのは、なにか理由があるのではないだろうか。
これまで日本は、長い間、人口の増大、高度経済成長、車社会に対応して郊外への住宅地の拡大などから、郊外に大型店が進出してきた。
しかし、今後は、少子高齢社会、ガソリンの高騰、排ガスなど環境問題から、逆に、既存の町に暮らしに必要な商業、サービス業ゾーンを構築しようとする考えが出てきている。
市街地の地価が下落し、従来の商業、サービス業も衰退しているなどで、デベロッパーが積極的になれば、再開発も可能なのかもしれない。
東三条駅の場合は、通勤の便のよさを活かして、マンション業者が用地を確保し、マンションを建設してきた。
しかし、肝心の駅前は、長崎屋東三条店跡が、店舗、駐車場とも再利用されることなく、商業・サービス業ゾーンにマイナスイメージを与えている。
もともと、東三条駅周辺は、せっかく、学校跡地に金融、保険などのオフィスを貼り付け、長崎屋東三条店も進出したが、歩道を付けるための立ち退きもままならず、駅に入ってくる道路も整備が遅れていたために、新しい時代に対応できなかった地域。今更、駅前再開発事業で、かつてのような賑わいを回復することは困難かもしれない。
三条駅はと見ると、三条高校が駅の東側に移転し、せっかく、これを機会に、再開発事業と取り組もうとしたのに、地権者の反対で頓挫。これまた、中途半端な道路整備で、南北縦貫道路が開通しても、新しい商業・サービス業ゾーンとして発展しそうにない。
越後線と弥彦線が乗り入れる吉田駅も、合併後の新庁舎を、国道116号線よりも東に建設しようとしている中では、再開発事業は難しい。
少子高齢社会の新しい商業・サービスゾーンとして駅前周辺を活用しようとする動きが各地で見られるとき、三条市、燕市も、今すぐでなくとも、おいおい新しいまちづくりを念頭に置くべき時期が来ている。
小池市長、数々の横車 水道企業団を牛耳る?ことを許すな 2005・10・26
水道企業団議会の議員構成並びに参事を副企業長とする問題を巡って三条市と加茂市が、28日、急施市議会、田上町は臨時町議会を開く。
三条市、栄町、下田村が合併し、それ以前は、3市町村合わせて10人の議員を選出していたが、それを8人にし、参事だった加茂市長、田上町長を副企業長にすることをそれぞれの議会に諮るもの。
新三条市の議員が10人だと、加茂市4人、田上町3人で、新三条市の議員が結束すると、常に加茂市、田上町の議員の意見が反映しにくくなる。
1度は、新三条市8人、加茂市4人、田上町3人で合意に達していた。
ところが、何事につけても、自分の意見が通らないと会議をボイコットする癖のある小池清彦加茂市長は、先の企業団議会でも、阿部銀二郎議長が、小池市長の発言を静止したら、怒って退席。記者会見を開いて新三条市の議員を8人にする合意事項を翻して「7人に減らす」ことを主張。自分の言い分だけを披瀝、挙句の果てに、その記者会見の原稿を関係方面にファクスで送り付けた。
当然のごとく、新三条市の議員は、7人となると、逆に議長を新三条市から出すと、採決の際に、加茂市と田上町の議員が結束すると、新三条市の議員の意見が通らなくなる。
このことに限らず常に横暴極まりない小池市長に対し、新三条市の議員は、不快感をあらわにしており、特に、もともと、7割を三条市が負担していた水道企業団に占める負担割合が、合併によって、さらに新三条市の負担割合がアップしている。
これまで、三条市の高橋一夫三条市長は、水の不足している市町村に、余裕のある三条市の水を分けて、バランスを取るなど、配慮してきている。
ところが、加茂市は、小池市長になってから、水道料金の改定を行わず、すでに水道事業の財政的な蓄えをなくし、人件費の切り詰めや、一般職と水道局職員を兼務させることで、人件費を一般会計から回して遣り繰っているのが実情といわれる。
それでも、小池市長はかたくなに水道料金を据え置くことで、市民受けを狙っている。確かに水道料金が安いことは市民にとっていいことだとしても、補修改善すべき事業を遅らせ、本来独立会計で、その恩恵に浴した市民が、見合った負担をするというのが企業会計の本旨でそれに反している。
それを、加茂市民も水道料金が安ければいいと、この無理な加茂市の水道事業の運営を改善せよと求めない。
しかし、三条市や他の市町村は、これまで住民負担がアップしても上げるべきは上げてきたし、その中で、水道水の大本である水道企業団の水道水供給も可能になっている。
1人、加茂市だけが、安い水道料金ということで値上げをしないできているのは、それでいいとしても、その方式で水道企業団の運営がなされるようだと、新三条市は将来に禍根を残すことになる。
あくまでも、新三条市の基本的な考え方を水道企業団の運営の柱としていかなければならない。
三条市側の泣き所は、本来、合併した5月1日に定数を改訂しなければならなかったのだが、小池市長の抵抗にあって、なかなかことが進まず、結局、6カ月間の特例期間が来て、急施市議会を開いて決めなければ、今月末で新三条市選出の議員10人が失職するという異常な事態になっていることだ。
しかし、万に1つ、小池市長の傲慢な意見が通って、8人、4人、3人の今回の合意事項が決裂するようならば、三条市は「水道企業団を離脱する」くらいの覚悟を持って臨むだろうし、困るのは加茂市、田上町。
三条市民の目にはまだよく理解されていないだろうが、小池加茂市長の暴政は、情報の漏洩を極力恐れ、加茂美人の湯、元幹部職員の退職希望を半年以上も不問にしていることなどでも分かる通りだ。
水道企業団で、小池市長流の政治が行われることを極力恐れるのは、同市長の平素の言動を目の当たりにしてきた政治家諸氏でなくて誰だろう。

田上町の自立の道険し 合併した新市も他人事では 2005・10・22
10月19日開かれた第5回田上町総合計画審議会を取材し、田上町の広報紙「きずな」10月号を読んで、改めて、高橋一夫三条市長が「合併しない市町村こそ厳しい行財政改革と取り組んでいるはず」と、常々、合併した新三条市民に向けて、一層の行財政改革の必要性を訴えていることが肌で感じられた。
合併した新市、これから合併する市町村では、合併特例債が使えるから、早いうちに事業を行い使い切るというような発想があながちないでもない。燕市などは、公営のガス事業を民間に譲渡して得た資金を教育施設整備や、消雪パイプの敷設などにばら撒いて使い、その上、合併特例債を使って新庁舎の建設を急ぐなど、行財政改革どころか、投資が膨張しそうな形勢だ。
しかし、政府は、地方交付税や国庫負担金、補助金などの見直しを急いでおり、地方への税源委譲といっても、地方自治体の懐が楽になる保証はない。むしろ、経済的後進県の新潟県にあっては、税源移譲されても、肝心の税源が乏しいのだから、財政難が予測され、できるだけ無駄な投資を避け、今から、少子高齢社会に備えた地方自治体づくりを目指さなければならない。
県央東部との合併から、住民アンケートの結果に基づいて離脱、志向した新潟市との合併については新潟市から断られ、やむなく自立の道を歩まざるを得なくなった田上町。
人口は10月1日現在3996世帯、1万3622人の小都市で、家庭の、借金も含めた収入に当たる歳入が49億円、歳出が48億円。昨年度から住民サービスの見直しなど徹底した経費の切り詰め、住民負担の増加を図るなど、改善してこの数字である。
平成12年度は、歳入55億円、歳出54億円でまだゆとりがあった。しかし、年々、歳入は圧縮されてきている。
職員などの人件費、起債を償還するための公債費、扶助費など、優先的に支払わなければならない経常経費に、町税や地方交付税、地方譲与税がどれくらい当てられているかを示す経常収支比率が、平成16年度で、95・0%。最悪だった前年度の97・6%よりは改善されたといっても、健全とされる70から80%に比べるまでもなく依然として危険ライン。
事業を行ううえでの財源不足を補うため、町債を発行しようにも、平成十五年度には、発行が規制される起債制限比率20%を上回る21・8%に達し、ほとんど事業ができない状況。
16年度は19・8%まで下がったが、緊急かつ重要な事業以外、ほとんど事業を行わないでこの数字。
弱小の町村にとっては、単独で、自立の道を歩むといっても、いかに厳しい茨の道であるかを示している。
だからといって、合併した新市が、合併特例債を目いっぱい使って事業を行うというのも、起債の3割は新市の負担で、後年度に財政硬直化を起こすことになるので慎まなければならない。合併特例債を最小限使うだけで合併がスムーズに行われることがもっとも望ましい。
三条市や燕市など、全国の地場産業を抱える都市では、今まで活発であればあるほど、構造改革の大きな打撃を受けているし、今後も、なかなか回復が難しい状況。当然税収にも響いてきている。
住民サービスの切り詰め、住民負担の増加など、あの手この手で財政危機からの脱却を試みている田上町の窮状は、決して、合併した新三条市、これから合併する新燕市にとっても、よそ事ではない。肝に銘じて行財政改革を推し進めなければならない。

「死ぬまで働く」の覚悟 定年迎える仲間はどうしている 2005・10・19
「死ぬまで働く覚悟」などというと悲壮に感じる人も多いだろう。
僕らの幼少年時代も十分貧しかったが、僕らの1世代前は、まだ、物がない終戦直後の貧しい時代を経験しているから、堅実な暮らしを営み、定年を迎えるやいなや、リタイヤして、「第2の人生」を楽しむ人も多いようだ。
先輩の暮らしぶりを見ていると、ある種のゆとりを感じる。僕も、50代のはじめには、毎日、仕事に追われる多忙さの中で、10年後は、現役を退いて、40代から準備してきた「趣味に生きよう」と漠然と考えることもあった。
しかし、60歳を1年後に控えてみると、「第2の人生を」などと言う気にすらならない。もともと、会社勤めの経験はあるが、区切りのある暮らしをしてきたわけでもなく、志半ばの仕事や現実の生活を目の前にすると、体力の衰えを感じながらも、ますます、労働意欲は増し、心の暮らしを豊かにしたいと奮い立つ。奮い立たせていると言った方が的確かもしれない。
最近、経営者の同級生に会う機会は多いものの、サラリーマンの同級生と話す機会がほとんどないのだが、サラリーマンの同級生らは、50代の初めから、すでに、第2の人生のことを考えていたように思う。10年前は、ちょうど、バブル経済が崩壊し、大手企業も大リストラに着手したころだから、出向などで、どんどん、職場環境が変わってきていたからなおさらなのだろうが。
市役所の先輩などは、課長級は、結構、天下りというほどではないが、協同組合やさまざまな団体の専務理事、事務局長などにおさまっている。
所得面、退職後の社会保障面では比較的恵まれている役所関係者はともかく、民間企業に勤めていた先輩たちの、その後の暮らしはどうなのだろうか。
ほかの企業に就職し、給与に見合った仕事をしている人もおれば、まさに「第2の人生」を、悠々自適で送っている人もいるのだろう。
いつも取材先で姿が見えていた先輩たちが、退職とともに僕の視界から消える。そんなときには、僕の活動する範囲の狭さを感じることもあるのだが、いずれにしても、サラリーマンには定年という転機が待ち構えている。
関わりを持っていた人々が視線から消えることに、これまでさほど抵抗はなかったのだが、自らがその年齢に近づいて、こうして考えてみると、多くの人々が、どういう形にしろ、60歳で一区切り付けて、新しい暮らしに入るのだなと想像してみる。
したい時にしたい仕事をしてきた僕などは、人生の半ばを同じ職場で働くというサラリーマンのライフスタイルとは無縁に近いのだから、想像しても、実感がわかないのだろうが、今は、「死ぬまで働く」の覚悟をいよいよ深めている次第だ。

新聞週間にあたって 新しい情報の時代に向けて 2005・10・15
10月15日から1週間は新聞週間。
情報収集の先端を走る新聞記者に限らず、毎日、新聞を制作し、新聞販売店のスタッフを通じて、新聞が読者に届けられるまで、いろいろな形で新聞に関わる僕たち新聞人にとっては、自らを省み、読者の目線で、新聞を見直す機会だ。
とかく、読者には、直接、取材に当たる記者や、広告依頼に回る営業担当、あるいは、集金に回る新聞販売店のスタッフなど、直接触れ合う機会のあるスタッフの顔しか目に映りにくいが、新聞発行は多くのスタッフに支えられている。
毎週5回発行のローカル紙の小紙でも、社員は、アルバイトを含めて14人、それぞれの地域の配達を担当していただいている新聞販売店の協力がなければ発行を継続していけない。
その意味で、新聞週間は、読者の皆様に、取材から新聞発行、配達までの赤裸々な姿を知っていただくということのみならず、新聞人自身が、読者の側を向きながら、新聞発行に関わるスタッフの関係を互いに十分意識し、思いやっていく機会でもある。
江戸時代の瓦版はともかくとして、言論の自由が求められた明治時代以降、特に第2次世界大戦後、報道の自由が認められるや、全国各地で、沸くように誕生した個人が発行するローカル紙。
小紙は、それより、少し時代が後れて、昭和53年に、週刊紙として創刊。すでに、ローカル紙も淘汰の時代を迎えて、個人が発行する新聞が減りつつあった。先輩諸氏の発行する新聞を眺めながら、少しでも新しい時代のローカル紙作りを目指してきた。
個人で発行する新聞では、印刷、新聞配達は部外の協力を得るとしても、情報収集に自ずと限界があるし、個人の体力、知力との勝負で、若いうちはともかくとして、40歳を過ぎ、50歳台になると、体力的に無理が生じて、紙面も力が落ちてくるのが常。
ローカル紙は、この個人から脱皮し、スタッフを迎えて組織化できるかどうかが、1つのハードルになる。
限られたエリアで、複数のスタッフが生活していくには、かなりの資力と営業力が求められる。
創刊後、3年ほどしてスタッフ1人を求めて始まった小紙の組織作りは、幸い地域の多くの企業家から資本出資していただく機会に恵まれ、バブル景気の絶頂期といわれるほど地域経済が好調のなかで、基盤を築くことができた。
小紙の後に、三条市、燕市では、ローカル紙も含め新しいメディアが生まれたが多くは消えていった。
これまでの、30年近い歳月、情報の伝達技術の発展は著しいものがあった。ワープロ、パソコン、携帯電話など情報伝達の道具が普及した。かつて、テレビが普及した時に「新聞の役割は終わった」と言われたように、再び「新聞の役割が終わる」と言われる危機的な状況を迎えた。
もちろん、新聞は、新聞としての存在感を維持し続けているが、ローカル紙にとって、これまでと同様の形でいいはずがない。
収集した情報を、記事に仕立て、紙に印刷、新聞販売店を通じて読者に届けるまでに、一定の時間がかかる。記者に限らず、誰でも、パソコンに向かって打てば、瞬時に、情報を不特定多数に伝達できるインターネットの世界のスピードには太刀打ちできない。
一方で、インターネットの世界を活用しながら、他方で、新聞ならではの情報世界を維持していく。
ローカル紙に限らず、マスメディアも含めて、容易ならざる時代であるが、それを乗り切っていくところに、読者の期待に応えて存在し続ける「新聞」の意味がある。
などと考えながら、逆に新聞の読み手、情報の受け手としての僕自身の姿も見つめ直しているのだが。

既存市でも難しい庁舎移転 合併協議会で急ぎ過ぎ、秘密に過ぎた 2005・10・13
来年3月20日の合併を控えた燕市・吉田町・分水町の合併問題は、時間がない中で、新庁舎の建設位置をめぐって、暗礁に乗り上げそうな雲行きになってきた。
それというのも、最も人口の多い燕市の市議会に、用地問題について全く経過を知らせず、9月16日の燕市議会合併調査特別委員会に、吉田町西太田地内の広域農道8号線沿いの農地について、候補地として合併前に地権者と同意書を取り交わしたいという突然の提案。
もちろん、合併協議会の会長が高橋甚一燕市長であり、燕市の理事者側や、星野義則合併調査特別委員長など一部の市議は知っていたが、大山治郎燕市・吉田町・分水町合併協議会総合調整委員長でさえ、ほかの市議と同様、候補地について知らされたのは、合併調査特別委員会の開催3日前だった。
名称は燕市、新庁舎建設用地は吉田町地内で、あくまでも吉田町が用地確保の主導権を握るという点については暗黙の了解事項だったとしても、なぜ、高橋甚一市長は、すでにお盆頃には内定したとされる候補地について、燕市議会に経過を知らせなかったのか。
それも、候補地は、歩道も付けられない2車線の広域農道8号線しかない田んぼのなかで、急きょ22メートル幅の道路の計画法線を引いての提案。加えて、合併後では遅いので、合併前に地権者と同意書を交わすという踏み込んだ話にまでなっていた。
行財政改革により、住民負担をできるだけ抑えながら高い行政サービスを維持するという合併の最大の目的を逸脱しそうなほど巨額の投資が見込まれ、将来の新市都市づくりの核に位置づけられる市庁舎建設。
いかに建設用地は吉田町地内ということで暗黙の了解がなされていたとしても、その重要な問題について、内容が十分審議されないままに、なぜ、候補地が決められ、急いで用地確保を進めなければならなくなったのか。
そこには、吉田町側にしてみれば、合併後10年以内に庁舎を建設するとしても、合併後、直ちに行われる市長選挙で、新市長が選ばれるし、その後に、市議会議員が改選される。
今の、高橋燕市長が再選される保証はないし、再選されても、新市議会の雲行きによっては、合併問題で「180度転換」の実績を持つ高橋市長だけに、約束は絶対に実行される保証はない。
名を捨て、新庁舎建設という実を取った吉田町にしてみれば、何が何でも、今のうちに、候補地を決定しておかなければならない。
しかし、新庁舎建設の問題は、既存の市でも、必ず市民の反対軋轢が加わるものだし、ましてや、まだ合併していない燕市・吉田町・分水町合併協議会の場で、この重要な問題について、候補地の決定を急ぎすぎたのは拙速。
多少の温度差はあるにしても燕市議会の11人の市議が、撤回を求めた意見書に名を連ねたのも、秘密裏にことを進めようとしてきた高橋燕市長と一部市議らの思惑が見え隠れしてきたせいだろう。連休明けの11日に秘密会で開かれた燕市議会議員懇談会で、高橋市長はひたすら言い訳に終始したと伝えられる。
それにしても、燕市議会議員懇談会で結論を見出すことができず、次回に持ち越しとなるなど新庁舎建設の問題の難しさを改めて見せ付けられた。

高橋燕市長、西に走る 燕市議11人撤回意見書は 2005・10・5
燕市議会議員の過半数に上る11人が計画の撤回を求めて意見書を提出した新燕市の新庁舎建設問題は、合併協議会で、継続審議となり、山場を迎えている。
竹野健吾吉田町議のように、新庁舎建設の用地を合併前に決めないことは、合併を壊すことになるという暴論もあるが、それが暴論ではなく、新庁舎早期建設を目指す側の「殺し文句」になりつつある。
3市町とも、他市町村との合併協議につまずき、今回、相手を変えての仕切り直しの合併協議で、「まず、特例債の認められる来年3月までに合併」という大前提で走ってきた。
吉田町側は、三条市などとの合併に失敗した高橋甚一燕市長の出直し選挙での再選、合併相手を変える180度の転換という選択を見ながら、確実に「名を捨て、実を取ること」を考えた。
人口が倍の燕市との合併で、数の力ではかなわない。新市の名称は燕市に譲って「燕市」としても、新庁舎建設、道路建設など都市づくりの要の部分は、あくまでも吉田町を中心に進めようと。
そして、そのように確実に手順が進められてきた。早い時期に高橋燕市長が、新庁舎の建設用地は「法花堂地内」と口を滑らせて、燕市議会で物議をかもした。
それから、燕市議会では、一部の議員にしか、用地問題は知らされないまま、今日に至った。
全く、経過を知らされていない議員は、怒り心頭に来て、このたびの撤回の意見書提出にまで発展した。
しかし、高橋市長は、3日の定例記者会見で、この問題について、しつこく質問した記者に対して「あまりしつこいと定例記者会見をやめる」「三条市長なら今頃席を立っている」と暴言を吐いたという。
高橋市長は、このたびの新庁舎建設用地を合併前に内定するという行為に対する反省は全くない。むしろ、なんとか燕市議会を取りなして、賛成に持っていこうという腹構え。
高橋市長にとっては、吉田町のペースに乗せられているという思いではなく、国道116号線の東で、国道289号線の南の広域農道沿いという建設用地を、合併前に内定するということについては、確信を持って進めようとしていると見るべきだろう。
燕市議会の議員の過半数が、用地選定について経過を知らされておらず、撤回の意見書を提出するくらいだから、燕市民には全く分かろうはずはない。
本来、「政治のことは政治家に任せておく」という市民性、また、三条市などとの合併は住民投票によって否定されているのだし、その後、市民の合併への興味は急速に薄らいだ。いまでは、新庁舎建設などにほとんど興味がないというのも事実。
今回、11人の燕市議が、撤回の意見書を出したことに対しても、市民の具体的な運動は起こりそうにない。
新庁舎建設の是非も、どこに建てるかも、大きな関心事ではなかったのだろう。
ましてや、三条市では、もはや、燕市の動きに対する関心は極めて薄い。
高橋甚一市長の、将来、新三条市と新燕市との合併もありうるかのごとき発言を、誰も本当にしていない。
新庁舎建設と、それに関連した道路、下水道事業をはじめとする都市基盤整備に要する事業費の膨大さなどを考えれば、むしろ、今後、新燕市の重心は西側、国道116号線沿線に移るというのが普通の見方なのだから。

合併の目的は新庁舎建設? 建設用地確保急ぐ吉田町に燕市議反発 2005・10・1
燕市と吉田町、分水町の3市町合併は、合併特例債の適用期間である、来年3月末日までの合併を目指すあまり、任意協議会、そして法定協議会と審議を急ぎすぎてきたために、すでに国が合併を認めたこの段階になって、新市庁舎建設をめぐって、3市町の思惑の違いが表面化した。
特に燕市議会は過半数の11人が、用地の特定を急ぐべきでなく、合併後、新市長が誕生してからにすべきだと意見書を燕市長である高橋甚一合併協議会長に提出。合併協議会では、吉田町の竹野健吾委員が、「燕市議会の問題」と切り捨てたが、人口4万3000人と合併市の半数を占める燕市民の合意形成なくしては、今後の合併に向けたあらゆる審議がストップしかねない情勢だ。
というのも、高橋燕市長が、とにかく合併を成立させるために、穏便に取り計らおうとしてきたために、名称は、形ばかりにしろ、市民アンケートに基づいて、最も数の多かった「燕市」にしたが、新庁舎建設位置については、吉田町地内と特定してしまった。
ところが、吉田町地内と限定したために、用地選定のペースは吉田町の思惑で進められることになった。
吉田町は、早くからまちづくりとして国道116号線の現線拡幅か、バイパスかで住民の意向を調査し、バイパスの方向を決めた。
バイパスは高規格道路と言って、車優先の考えで、一部の主要な交差点は平面交差だが、あとは土盛りで、交差点の数も限られるし、多くは立体交差になる。
しかし、幹線道路が整備されれば、周辺の都市基盤整備が進むことから、吉田町では、その沿線に広域農道や町道を計画して、新しいまちづくりを進めようとしてきた。
そこへ合併の話で、当然のように新庁舎を誘致するとともに、周辺の道路整備を進めようと積極的になった。
まず、新市建設計画の重点政策に新庁舎の建設計画を盛り込み、位置を吉田町地内とすることに成功。次いで、建設時期を10年以内のできるだけ早い時期とし、合併協定書ができてから、今度は、用地選定を合併前にし、地権者の同意書を取り付けるところまで踏み込んだ。そうでないと、合併後10年で新庁舎が完成しないという理由だ。
こうなると新庁舎の建設は決定的となるし、新庁舎の用地取得、建設、関連道路の造成などが優先事項になり、何のための合併かということにもなりかねない。
大事業の新庁舎建設のための合併ではなく、あくまでも、合併してから、新市長のもと、新市民の合意を得て、建設位置や建設の時期を決めるべきで、なかに、「今、新庁舎は建設すべきでない」という強行な意見を持っている市民もある。
それもそのはずで、新市建設計画では、当初、合併特例債の借り入れ限度額306・7億円のうち、80%を利用するという計画だったが、事業量が増えて、修正を重ね、最終的にはほぼ満額の98%も使うことになった。このうち、国が負担する分は7割で、新市が負担する分は、3割、金額にして90億円にも上り、合併後の市政運営に大きな負担になることが予測されるからだ。ほかの合併市では、新市の負担の大きさと、今後の税収、地方交付税などの状況も考えて、70%からせいぜいで80%程度に抑えているのが実情。
それはそれとして、何故吉田町は、合併前に建設用地の確保を急ぐのか。それも新市の市民の合意形成をしないままに。このところが、大きな問題としてクローズアップされてきている。
もしも、合併前に、地権者と用地買収についての同意書を取り交わし、合併後、選ばれる新市長が、新庁舎の建設事業は、最後の最後という政治判断をした場合、地権者が損害賠償を要求することにもなりかねない。
合併後の市長選挙は、新市づくりの政策で争われるのだから、新しい市長の政策を大きく拘束するような事態だけは回避しなければならない。
それが、合併後に用地取得をという意見書を提出した燕市議会の過半数11人の思いではないのだろうか。
燕市民がどう考えるかだ。
