新三条市のスタート 県央地域の核都市づくり目指して 2005・6・28
弊社では、毎年、4月第1金曜日の「金物の日」に合わせての春季特集号Vol.1と、中旬に同特集号Vol.2を発行してきた。
今年は、5月1日に、三条市と栄町、下田村が対等合併して、新三条市になることから、あえて、Vol.2を4月30日に発行し、メーンの特集として合併による新三条市の特集を企画した。
弊社の総力をかけて取材するという段階まで至っていないが、重藤則夫記者が担当し、さまざまな角度から取材を試みたようだ。
特集号のたびに、インタビューしている高橋一夫三条市長のインタビューはならなかったようだが、合併後の新三条市の姿が理解いただければ幸いだ。
高度経済成長時代に、30万都市を目指しての県央広域合併を唱えてきた若者たちがいた。現在の高橋三条市長もそのメンバーの1人だが、新潟市と長岡市の狭間になって、県央地域が埋没するという危機感が県央広域合併の推進のエネルギーだったように記憶している。
しかし、結果的には、国の財政、地方自治体の財政が大幅な赤字となり、小泉政権になって、地方交付税、国庫補助金の削減など行財政改革の大鉈が振り下ろされるまで、合併は成就しなかった。
そればかりか、行財政改革の面で、もっとも効果のある三条市と燕市の合併の夢も、燕市民の反対の前にあえなく消えて、今、新しい三条市と、新しい燕市の双子の都市が生まれようとしている。
政治は、理想ではなく現実であるから、県央地域の住民がそれを選択したのはやむを得ないこととしても、現実に、政令指定都市を目指す新潟市、新潟市に刺激されてか、大合併を目指して突き進む長岡市、上越市の中にあって、県央地域だけは、四分五裂した形で、まさに新潟市と長岡市の狭間として、新しい時代に対応していかざるを得なくなった。
その意味では、必ずしも、新三条市のスタートは、手放しで喜べない。
田上町が、合併反対の小池清彦加茂市長の影響を強く受けた中で、三条市との合併から離脱し、目下、新潟市との合併を目指している。見附市も 長岡市との合併に踏み切っていない。西蒲原郡では唯一弥彦村が合併を見合わせている。
これらの中間地点に残った市町村は、今後、新潟市と合併した中之口村、白根市新飯田地区、岩室村、あるいは長岡市と合併した中之島町などの合併後の姿を見ながら、単独で行くのか、合併するならどこの市と合併するのがいいのかを真剣に考えざるを得ないだろう。
その意味では、新しい三条市は、合併効果が極めて薄い可能性があり、合併しても、見違えるほど三条市政が大きく変わるということはないにしろ、周辺市町村の手本になるような、合併市の政治を行っていかなければならない。
燕市は、合併しても、人口規模8万人台で、現在の三条市並であり、核になる市街地がトライアングルのように3つに分かれている状況だから、合併効果を発揮するのが難しい。むしろ新しい中核市街地の建設にかなりの投資が必要になる。
やがて、新三条市と新燕市が合併する時期が来るだろう。失敗すれば、ともすると、燕市は新潟市と、三条市は長岡市と合併することになりかねないことも念頭に置かなければならない。そのとき、県央地域は、都市としての求心力を失うことになるのだが。
地方自治体、特に産業活性化が後れている地方都市は、「地方自治体の自立」と言えば聞こえはいいものの、そうした厳しい環境にあることを忘れずに、さらに改革の努力を目指さなければならない。
このたびの新三条市のスタートは、まさに新しい時代の三条市、そして燕市の将来を占う重要なスタートなのだということを新市民が肝に銘じておかなければならない。

進む市町村合併 取引先企業にも及ぶ影響
農協の合併で、金物卸業界の流れも変わった。市町村の合併で、やがて市町村で消費していた物やサービスの流れと量、質までも変わるだろう。
分かりやすいことで言えば、三条市と栄町、下田村の3つの市町村、燕市と吉田町、分水町の3つの市町が合併すれば、3つが共通して消費していた物やサービスは、それぞれ1つでいいことになる。
首長が、3人から1人になれば、首長を乗せて走っていた公用車は、3台から1台になる。運転手の数もその通り。
議長専用の公用車がある市町村もあれば、ない市町村もあるが、それ自体も1台でよいことになる。
部長、課長の数も極論すれば3分の1になるから、役職員のハンコの数も減る。もっとも、こちらは、押す回数が増えるので、磨耗度は増すかもしれないが、さほどではないだろう。
机、椅子まで、当初はあまり数は変わらないが、目に見えて減っていくだろうし、減っていかなければ、合併効果がないことになる。
学校もしかりだ。市町村は、合併前に、立派な校舎を建設しているようだが、長い目で見れば、学区再編は避けて通れない。少子社会になって、児童数が激減してきたのに、教諭も含めて教育の受け皿だけは従来通りというのでは、行財政改革にならない。福祉協議会など、さまざまな外郭団体もひとつにしなければならない。
こうして、3つの市町村が1つになれば、3つの市町村には、それぞれに納入業者がいたのだろうが、当面は地域性を重んじていても、やがて、競争入札で、仕入れや販売に強い納入業者に絞られていく。
農協の合併で、弱い農協に納入していた金物卸業者は、強い農協に納入していた業者にはじき出されてきている。
もちろん、ホームセンター業界でも、吸収合併などの場合は、多くは吸収する側のホームセンターと取引していた金物卸業者が引き続き、納入するケースが多い。もちろん、時に、吸収する側のホームセンターよりも、された側に安く商品を納入しているというような例外的な場合は別だが。
当然、役所も、強い役所と取引のある納入業者は、人脈やノウハウを生かして、取引を拡大していくチャンスになる。
行財政改革のための市町村合併などというと、それぞれの企業の仕事とあまり関わりのないことのように考えがちだが、回りまわって、多くの企業の競争は激化、改革を促すことになる。
市町村合併は、全国的に進んでいるのだから、全国の取引先企業に影響を及ぼさないではいない。
行財政改革と並行して少子高齢社会の到来という史上初めての急激な変化を体験するのであり、すべての面での効率的な経営が必須条件になる。
県央地域に、新しい三条市、新しい燕市という2つの核が生まれる。直接、それらと関わりを持って取り組んできた企業は、この変化を厳粛に受け止めなければならない。
そして、全国の市町村で消費されている物やサービスも急激に減るのだということを考えて、平成大合併の企業に与える影響の大きさを考えなければならない。
合併によって市町村の事務、サービスレベルがアップするのだから、市町村と取引のある企業の側もレベルアップしないと対応できなくなる。
もちろん、市民生活、生産活動に密着している報道陣も、市町村の合併問題をわがこととして、真正面から受け止めていかなければならい。

変化する社会の中で 自社の社会適応度チェックを
社会は、あるべき姿、あるいは向かうであろう方向性など原則的な状況と目の前の現実的な状況に、多少の時間的なずれがあるものの、おおむね、原則的な状況に向かって動く。
従って、原則的な事柄を踏まえながら、目の前の状況を的確に捉えて、対処しないと、バランスを欠いて、物事に失敗する。
例えば、労働の質について、日本の置かれている状況は、経済は強い円で示されるが、それに加えて、少子高齢社会というなかで、目指すべきは、労働の質のアップであり、アジア諸国の低賃金な労働者との労働時間、体力と言ってもいいが、それとの競争ではない。
目先だけ考えれば、中国事情などで、一時的に、仕事が国内に戻ってきても、それは、流通の抱える問題なのであり、最終的には、賃金格差が大きすぎ、国内で生産しても、採算が合わないものは、やがて、中国を含むほかの低賃金の労働力を提供できる国で生産されるようにシフトしていく。
日本の産業構造が、貿易という国際的な取引の上に成り立っているために、資本と情報、物流システム、安全、快適を確保できる商品の生産技術など、あらゆる面で、従来の日本の産業構造に比べて、随分と量から質へとハイレベルなものに発展してきている。
しかし、従来どおりの情報に基づいて、従来どおりの生産、物流システムを維持しようとしている企業は、明らかに変わりつつある流れの中で、淘汰の波に飲まれている。
産業別の格差ではなく、それぞれの産業において、社会が求めるものを提供していけるよう大きく体質改善を果たし続けている企業こそが発展している。
それは、景気、不景気に関わらず、社会の変化によって消費構造が変わり、減少していく需要と増大していく需要があることが原因だ。増える需要に対応できている企業は、不況の中でも、確実に業績を伸ばしてきているが、それは従来の需要に向けてではなく、新しい需要に適応し、需要を掘り起こしている結果だ。
従って、社会が何を求めているのかをリーダーが、自覚しながら「自らの事情」を、変えていくことによって可能になる。
自らの事情を優先して、変化している社会の状況に対応できていなければ、やがて、社会から葬り去られる。
日本の社会は、経済的には堅調を維持している。県央地域の企業が、この堅調な経済に乗り遅れているとしたら、変化している世界の経済の仕組みに乗り遅れていることになる。
原則を理解しながら、変化が見えにくい目の前の現実に的確に対処していることで、事業は継続されるし、現実に多くの企業は、変化を遂げながら現状を維持し、発展している。
社会の変化、目の前の現実を理解するには、情報を得やすい状況に身を置かなければならない。社会に向かって目を開き続けなければならない。
一方で、国内でも依然として安い労働力を求める企業はあるだろうし、それを提供し続けざるを得ない企業もある。しかし、安い労働力を提供している間は、そこからは利益が生まれない。より質の高い労働にシフトしていくところに、教育の必要性も含め、新しいチャンスがあると、ある企業経営者は語っていた。
それは、日本の企業としては、従来のシステムで、安い商品を安く販売していると、やがて自らの首を絞めることになるのと共通している。
日本の産業構造が、より質の高い方向へとシフトしているとしたら、資本も技術も、物流も、それを支えるスタッフも、質の向上に裏打ちされて変革していかなければならない。
それぞれの企業経営者は、一方で利益が出ている、出ていないという目の前の現実をしっかりと見極めながら、他方で、自らの企業の社会適応度をチェックしてみる必要がある。
これまで堅実な経営を続けてきた経営者は、無自覚のうちにも、習い性として、社会の変化を捉えて企業の体質を変えてきている。
社会が生き物だということを、毎日、変化している目前の現実の姿として捉え、対処していくには、経営者の目が、複眼として鍛えられていなければならない。組織が大きくなればなるほど、スタッフ一人一人の目が的確に物事を捉え、理解できていなければならない。
大げさに言えば、それぞれの企業が外部のスタッフによって、事業内容の社会適応度をチェックするくらいの心構えが必要だろう。

建設業の草刈場になる恐れ 公共事業の取り組みの難しさ
三条市、燕市では、全県を対象とする総合建設業者がなかなか育たなかった。 燕市の場合、西蒲原郡で唯一の市でありながら、県、国の出先機関がほとんどなく、特に、建設業にもっとも深い関わりのある県の出先機関である土木事務所、農地事務所などが、巻土木事務所、巻農地事務所と呼ばれてきたように、巻町にあって、燕市になかった。
勢い、燕市は草刈場となって、かつては、加賀田組が、今は水倉組、吉田建設など、新潟市や巻町に本社を置く、総合建設会社が力を振るってきている。
三条市では、三条土木事務所、三条農地事務所などがあって、かつては、羽賀組、石丸組など、それなりの建設業者が育ったが、いずれも、事業に失敗して倒れた。「三条市では、建設業者は大きくなると倒れる」というジンクスが生まれ、建設業者の事業拡大の意欲をそぎさえした。
三条土木事務所管内では、見附市のエリアが、長岡土木事務所管内に移管されたとき、三条市の政治関係者は大きな反対の動きを見せなかった。
まるで、今回の平成の大合併を読んでいたかのように、見附市こそ、まだ長岡市との合併を決めていないが、同じ三条土木事務所管内の中之島町が長岡市と合併することになった。
これで、また、三条土木事務所管内建設業者の拡大の可能性はそがれる。
加茂市では、昭和40年代の2度にわたる加茂川水害で、加茂市内の河川の多くが激甚災害の指定を受けて、大改修された。
良くも悪くも、田中角栄元総理が破竹の勢いで勢力を伸ばしていた絶頂期で、大規模な改修計画が長期間にわたって進められた。
地元が、改修にもっと予算を付けてほしいと陳情した時、一時的に大きな予算を付けるのはたやすいが、それでは市外の業者が仕事を取らざるを得ないと、あえて地元業者が仕事を取りやすいように長期間にわたる建設計画を進めてきた。
その結果、加茂市では、昭和の大合併を機会に粟ケ岳の麓の七谷村から本社を加茂市に移した小柳建設をはじめ、今はなくなった菊田建設、老舗でかつては鉄道に強かった小柳組、あるいは涌井組、涌井建設工業、堀内組をはじめ、人口3万人規模の都市にしては珍しいほど建設業者が育った。
三条市、燕市では、せっかく地場産業が活発で、鉄骨、鉄筋建設などの民間需要が活発だったのだが、逆に、次々と建設業者が生まれ、熾烈な競争を続けるなかで、政治的にもまとまりを欠いた。今となっては談合は批判の的であるが、高度経済成長時代も政治家と建設業者の癒着が比較的少なく、談合破りも日常的に行われてきた。
主力になる総合建設業者が育ちにくい土壌であり、制限付き一般競争入札が一般的になりつつある今日、建設業者が競争の時代を迎えて、一層厳しい生存競争を強いられている。
県が事業主体の五十嵐川の河川改修でも、億単位の工事が発注されたが、受注した建設業者は、長い間、五十嵐川改修工事を手掛けてきた安達建設興業三条支店(本社白根市)、4月1日から本社を三条市に移した小柳建設、同じく、同日から三条市内に営業所を開設した本間組、新潟県内ではトップで、三条市に営業所のある福田組、早くから三条市内に営業所のある水倉組、そして、初めて聞く名は新潟市の佐藤企業であり、特に、注目されるのは、燕市が本社の春木建設。
かつて、三条市の石丸組が燕市の下水道工事にわずかの工区だが参加したことがあるが、土木事務所管内が異なる燕市の建設業者が、三条土木事務所管内の大型工事を請け負ったのは、僕の知る限りでは初めてだ。
制限付き一般競争入札で、工事が公開入札になる傾向の中で、これからこうしたことが起こりうるが、かつて、市外業者の草刈場だった燕市では、今もって建設業者が育ちにくい土壌。
五十嵐川大改修はこれからが本番だが、三条市も草刈場になる恐れがある。大いに発奮して、実力の伴った総合建設業者が育ってほしいものだ。

まず、不満でるだろう駐車場難
5月1日の、三条市、栄町、下田村の合併まで25日を切ったが、心配なのは三条市役所の駐車場難。
もともと、駐車場不足が深刻だったが、特に昨年の7・13水害後、市民や企業が市役所を訪れる機会が増えて、いつ行っても駐車場が空いていない。
以前あった数台分の報道関係者専用の駐車場がなくなったのは、これだけ訪れる市民の駐車スペースがないのだからやむを得ないことだと思っている。
平素の取材は、若い記者に任せており、特別、急ぐ用事がないので、どうしても急いで駐車場を探さなければならないことはない。
しかし、市役所に時折訪れて、当面の政治課題などについて調べておこうという思いで、ふらりと訪ねても、低層棟の下や、厚生福祉会館の管理棟前の駐車場などをぐるぐる回って、空き駐車場が見つからないと、そのまま、急ぐことでもないからと、寄るのもやめてしまうことが幾度かあった。
水害後の特別な事情での混雑はやむを得ないとしても、年が明けてからもこの混雑は一向に収まりそうにない。
急ぐ用がないのだから、寄るのをあきらめればいいだけのことだが、もしも、どうしても急いで用件を足さなければならない市民だったら、本当に困ることだろう。
数日前は、弊社の新人記者が市役所駐車場に駐車しておいた車が、取材を終えて出てきたら何者かに当て逃げされてバンパーが壊れ、怒りの持って行き場もないまま帰社した。
狭い駐車スペース、混雑してなかなか空かず、空きを見つけると競うようにして入れる状況。雨の日は特にひどい。
合併前でもこれなのだから、合併して、新市民も含め訪れる市民が増えるとなると、どういうことが起きるのだろうか。
合併特例債で、新しい役所を造るような無駄をしないという方針は、今後の住民負担の増大のことを考えれば好ましいことだ。
しかし、駐車場だけは、市役所に用事で訪れた市民が車をスムーズに駐車できるようになんとか確保しなければならないだろう。
下田村役場も決して駐車スペースが十分とはいえなかったが、それでも停める場所がなくて困るというほどではなかった。
栄町役場については、庁舎が新しいというだけでなく、駐車スペースがたっぷりあった。いつ行ってもらくらく駐車できた。
わざわざ、遠くから三条市役所を訪れる新市民が、まず驚嘆し、不満を感じるのは、この駐車スペースのなさだろう。
初めから分かっていることに対して対策を取らない手はない。
職員駐車場を有料化したが、減り目が見えないようだ。
三条市は、環境問題の面からノーマイカーデーと取り組んでいるようだが、三条市は、電車、バスなどほかの交通機関の便が特別よいわけではない。
とても、歩いて市役所に用件を足しにいくほど、時間的なゆとりもないし、車なしでは仕事にならない。
ノーマイカーデーに対しても趣旨は理解できても、もっとも、排気ガスを大量に出している大都市部で、ほかの交通機関も発達しているのだから積極的に実施すればいいこと。
田舎の産業都市三条市では、ノーマイカーデーに対する市民の不満も聞かれるほど。
その前に、三条市役所周辺の駐車場整備が緊急の課題と思える。
市役所職員の目で、庁舎を見るのでなく、日中、役所を訪れる市民の目で、もう1度見直してみる必要性があるのでなかろうか。

