次期狙う小池市長の人気 秘密はどこにあるのか、哀れを誘う
2005・9・30
ある三条市民が、僕に「小池市長の評判を加茂市民に聞いたら、『人気がある』と言っていたよ」と、面白そうに話してくれた。
なるほど、小池市長の熱烈なファンはきっと少なくないのだろう。困ったことがあれば、よもやま話で聞いて、直ちに財政出動するのだから、それで助かっている市民は少なくない。いや得をしている市民も多いだろう。
これだけ失政を重ねても、まだ、当の小池市長は、再来年4月に迫っている改選を意識して、必死で新たな政策を打ちだし、まだまだ、なんとかやりくりをして、人気を維持しようとしている。
元官僚で、記憶力はよく、国の制度を利用することに長けているがゆえに、法解釈をぎりぎりまで曲げてなんとか、国の官僚、市民の目を欺いて、やりくりしている。
辞表を受理しないのだからやめられない状態といわれている水道局長の長期欠勤が続く水道事業は会計が火の車であり、何度手直ししても、またもパイプが詰まって温泉が湧き出なくなった美人の湯、市議会選出の監査委員は、2年以上にわたって不在、もはや親戚やイエスマンにしか監査を任せられなくなっており、責任ある立場で厳しく財政運営をチェックする監査委員では市政運営が思うようにできなくなる恐れを感じてさえいるようだ。
不況の時こそ、国は札を印刷してでも公共事業を増やせという古い経済政策を標榜し、市町村合併反対、1年に平均1・6人しか出産する人がいなかった県立加茂病院なのに産婦人科を復活せよと県に無理難題を吹っかけ、挙句の果ては、自民党党友だったはずが、亀井静香元建設大臣とともに、国民新党に移ったのか、このたびの選挙で、国民新党支援に夢中になった。
場当たり的な無理な市政運営が、自らの首をじわじわと絞めているのに、都合が悪くなると「小泉内閣が悪い」の一点張り。
加茂市民は、こうした小池市政の実態が分からないだけに、いや薄々気付いているのだろうが、自らの弱さを隠すために、小池市長の強がりを、本当の強さと勘違いして、すがり続け、支持し続けているのではないだろうか。
そう考える以外、「小池市長は人気がある」などと、正気で三条市民に話せるはずがない。
もちろん、小泉内閣以前の歴代政府が、不況といえば財政出動とばかりに、返すめどすら立たないほどに赤字国債を発行し続け、結局、財政再建どころか、高負担国家をつくりあげたように、その頃、高級官僚だった小池市長は、市長になっても、まだ、当時の政治手法をそのまま実行に移し、将来はどうなろうと、財政のほころびを隠し続けることで、人気を維持するのに必死なのだ。
実態を知らない加茂市民は、内外の小池市長批判を不問に付し、むしろ、批判する声を批判しかねない状況。
知恵あるものは知恵に溺れるというが、まさに、小池市長は、知恵のありったけを使って、ぼろ雑巾のようにボロボロになっている市役所職員体制ならびに市財政、度重なる失政を包み隠している。
ぼろ布のほころびから、その失政の傷跡が覗き見える。その失政は、歴史に残る。小池市長の人生観は、いかなるものかは知らない。「死んでしまえばただの骨、後は野となれ山となれ」と本気に考えているのかもしれない。
哀れは加茂市民であり、小池市長に本気で次期出馬を考えさせてしまう市民の罪の深さこそが恐ろしい。

何故急ぐ市庁舎位置決定 城を失うことに燕市民は納得? 2005・9・28
高橋甚一燕市長は、都市づくりにおける「市庁舎」の重要性、それゆえに、位置をどこにすべきかという重要性についてほとんど認識していないようだ。
もちろん、燕市民も、合併問題によって、現在の燕市の市街地から庁舎を失うということまでは考えていなかったのだろう。
三条市と合併すれば、人口が2倍の三条市のペースに巻き込まれるという警戒感を持って三条市との合併に反対し、三条市との合併推進派でさえ、「燕市は、やはり西蒲原郡で、南蒲原郡ではない」と、ことここに及んで自らを慰めている。
しかし、そうした合併に対する市民の認識の甘さ、180度方向転換した高橋市長が再選されたことで、燕・吉田・分水合併協議会の場で、燕市という名称を残したということ以外では、ことごとく、吉田町ペースで進められ、この事態にまで発展している。
南波憲厚市長時代、市庁舎が老朽化したので、現在地から燕西小学校の位置に移転する計画がありながら、水面下での反対にあって、議場では何ら審議されることなく、ご破算になった。
三条市でも、現在の市中央公民館から、現在地に移転する時には、議会の、というよりも嵐南側の地域住民の猛烈な反対にあって、住宅、事業所の密集していた三条市の市街地に道路を通し、五十嵐川に橋を架ける、いわゆる「南北縦貫道路」を建設するということでようやく、市議会で可決された経緯がある。
市庁舎の移転は、それだけでも、市民の猛烈な反対を覚悟しなければならない政治課題。
というのも、これまでも、何度も書いてきたが、庁舎は、外国はいざ知らず、日本においては「城」であり、戦国時代から、城がそれぞれの街づくりの中核になってきたのだということを、何故、燕市民は考えないのだろう。
工場などは郊外にあって、経営者自らが率先して通勤してもかまわない。しかし、市庁舎は、市民の身近なところにあることが、好ましいと考えているから、これまで、さまざまな市町村で、同じ市町村のエリア内の少し郊外に庁舎を移転するというだけでも大きな反対が巻き起こってきた。
もちろん、車社会であり、車で行けば、遠くても、10数分、市民が市庁舎に足を運ぶのは1年に何度もない。その上支所として現在の庁舎の窓口業務は残すのだから、そういった面では、市庁舎がどこにあっても、さほど不便はないということになる。
しかし、合併の意味は、第1に合理化である。小さい政府、小さい行政を目指すことである。それならば、やがて、支所は縮小廃止する、もしくはせざるを得なくなるというのが本当のところだ。
そして、街が市庁舎を中心につくられ、やがてそこが新市の中心になるということは、これまでの明治の大合併、昭和の大合併の結末でも同じことだ。庁舎を失った地域で、発展している市町村があるだろうか。
県で言えば、単なる川港の新潟市が今日の発展を見ているのは、県庁が置かれたからだし、三条市の市庁舎周辺が発展してきたのも、庁舎が移転してきたからだ。
いずれにしろ、市街地の宮町に住む高橋甚一市長が、市庁舎を吉田町に移すことに重要な役割を果たしてきたのだし、少なくとも、三条市との合併に最も強く反対してきた市民、市議が燕市の西に多かったのだから、この事態もやむを得ないと見るべきか。
吉田町の現在の候補地にするにしても、もう少し、じっくりと、新庁舎の位置を検討する余裕が必要なのではないか。市民に「市庁舎」について考える機会を与えてみてはどうか。

自民党県連の質の改善を自浄能力を失っている現状 2005・9・24
新潟県の自民党の改革は、大きく後れを取っている。
新しい時代の産業のあり方や、都市づくりを模索することなく、相変わらず、農業、建設業にのみ目を向け続けている体質は、新潟県の米単作地帯という状況にもよるのだろうが、ほとんどが兼業農家で、農業を経営として考えてこなかったことに原因がある。
そして、新潟県の地形が南北に長く、丘陵面と海岸線が極めて長く、土砂崩れ防止、道路建設、海岸線の護岸、港の浚渫(しゅんせつ)など、土木事業が豊富だったことによる。
それが田中型政治、利益誘導型の政治を可能にした。
しかし、そうした時代はとおの昔に終わっている。少なくとも小泉政権が発足してからは、国と地方自治体の双方に、少子高齢社会を支える資金も乏しく、増税、年金支給額の削減を目指さなければならないし、公務員の削減と公務員の待遇の引き下げを図らなければならない状態が続いている。
それなのに、人のほとんど住んでいない地域に大規模な道路改良や河川改修を進めることなど可能であるはずがない。山岳地帯の長野県がいち早くダム建設をストップしたのは、時代の要請であるし、長野県自身が地元負担に耐えられないからだろう。
長野県人は、山岳地帯に住み続けなければならない事情がるのだろうが、新潟県は肥沃な平野を抱え、扇状地や丘陵縁辺部も、災害の危険はなくはないが、新しい都市づくりをすれば、集住できる。山奥に生活道路を造成し、維持していくより、平場に移住してもらうほうが、当事者にも、快適な暮らしの条件が整うだろうし、投資の削減にもつながる。
もちろん、新しい生活環境に適応できないお年寄りをどうするか、むしろ山間部に残っている人たちの多くがお年寄りになりつつあるところに課題があるのだが。
それでも、積極的に21世紀の地方都市のモデルづくりを進めていかないと、少子高齢社会の現実の前に、地方都市は、一層疲弊してしまう。
ゴミのように、住民負担を求めるという発想は間違いではないが、現在の所得水準を維持できない時代、所得の下がる年齢に達する人々の割合が、大都市に比べどんどんとアップする。
その中で、快適な暮らしを営める都市を築くのは至難のこと。そのことを考えながら、都市開発をしていかないと、無用な都市基盤整備ばかりが目立って、人が住んでいない都市ができかねない。
新潟県の首長、県議、市町村の首長、議員のどれだけが、公共投資の抑制を考えながら、都市基盤整備を目指しているだろうか。
「票」のための利益誘導を考えているうちに、有権者である県民から見放されてきている。特に都市部の県民からあきれられているのが、今の自民党県連の姿だ。
自民党県連の体質を変えるのは、それを支持している企業経営者や勤労者だ。政治家自身に自浄能力がないことは、今回の総選挙でもはっきりした。
新潟県に健全な自民党が育たないと、健全な民主党も育たない。2大政党時代、地方もしっかりとした政治の受け皿をつくっておかなければならない。
地方分権が進めば、おのずから地方の政治家の質が重要になってくるのだから。

大恐慌のころでも 時代を先取りして発展 2005・9・22
「変化の時代は、チャンスの時代」と言葉で言っても、変化する時代を生きたことのない若い人には、理解しにくいだろう。
ここに昭和14年に刊行された「商工人名録」から、「会社」という欄を紹介しよう。
今は、ちょっとした事業を営んでいればみんな会社だが、当時は個人経営がほとんど。「会社」という言葉がまだ新鮮さを保っていたようで、ある種の存在感を持っていた時代だ。
この資料には、称号、業種、資本金、所在地、代表者氏名、設立年月日、電話番号が記されている。会社数は66社。
設立年月日の古いものをみると、明治30(1897)年6月の三條物産株式会社で、業種は足袋、資本金15万円、三ノ町にあって、経営者は佐藤庄七。
この年は、古城町で、367戸を焼く大火があって、連続して大洪水が発生している。一方、今の信越本線である北越鉄道沼垂一ノ木戸間が開通。今はないが、一ノ町に三条座が落成し、市民に娯楽を提供するなど三条の文化の揺籃期でもあった。
三条物産は、設立当初三条足袋株式会社という名称で、翌年改称したもの。三条市史には、「広川栄助らにより明治31年六月設立」とある。
ついで古いのが、保證責任三條信用組合。明治34年3月設立、金融、10万5800円、大町、金子左武郎。
大正時代には、大正5年4月に、合資会社丸山商店が設立。一ノ町で、塩海産物洋酒肥料を商い、資本金は3000円、丸山寅吉の経営だった。
ほかに、倉庫業の三條倉庫(株)、三條市塲(株)、新潟塩元売捌三條支店、三條度器(株)、中越牛乳(株)、三條合同運送(株)、三條合同東三條支店が設立された。
三條市塲は、果実、青物などの委託販売を始めている。資本金1万円で、経営者は丸山治平。
昭和に入ってからは、昭和2年、第四銀行三條支店、新潟銀行一ノ木戸支店、生焼麩の合資会社吉田商店をはじめ、会社の設立が相次いでいる。昭和3年の世界大恐慌の時でも、履物販売の合資会社石甚商店、新潟銀行三條支店、新潟銀行一ノ木戸支店、三條瓦斯(株)、乗り合いバスの中越自動車(株)、漆器販売の合資会社箱忠商店などと続く。
資本金では、(株)新潟電力三條出張所の3750万円が群を抜いて大きく、第四銀行三條支店の1801万3000円、新潟銀行三條支店、同一ノ木戸支店の64万円、(株)新潟製氷三條出張所の51万8750円、三條瓦斯50万円などと続く。
もちろん、昭和14年以前に設立され、消えていった会社もあるかもしれない。
この頃に設立され、現在も立派に存続している会社も少なくない。もちろん社名が変わり、事業内容が変わっている会社もあるが。
隣加茂市などでは、60年続いた会社が数社と言われるから、三条市は多いのかもしれない。
合資会社池上商店は昭和5年、合資会社山田屋酒店は昭和6年の設立だし、合名会社栗山庄之助商店、相塲合名会社はそれぞれ昭和10年、三条印刷(株)は、昭和11年、(株)野水機械製作所は昭和13年など。
合資会社町田時計店、合名会社井須商店、合名会社原勇商店、合資会社早通屋商店など小売店の名前も見える。
このように、時代の変化に合わせて、新しい事業が起こり、新しい会社が生まれる。
被害者意識だけで世の中を見ないで、時代の変化を先取りし前向きに新しい事業に取り組んでいく人々がいるのだ。

新燕市の新庁舎 西に動く中心市街地 2005・9・20
合併後の新燕市の新庁舎建設位置が発表された。
吉田町地内で、国道116号線と計画段階の同バイパスの中間であり、国道289号線と地方主要道燕分水線の中間。
境界だけを見ると燕市、吉田町、分水町の中間地点に近い。
ただし、都市の形からいくと、吉田町の都市づくりの計画範囲以内で、住宅、商業地域として発展が見込まれる水田地帯。
燕市側から見ると、大通川沿線に開けた工業団地群の西側になる。
特に、国道116号バイパスの西側に入る。このバイパスは、巻町地内を見れば分かるが、高規格道路で、ところどころ主要幹線と平面交差しているが、基本的には立体交差で、いわば道路の壁ができる。
将来人口、都市規模を想定すると、市役所建設に伴う市役所周辺の都市開発、市街地化は吉田町地内に限られる。
3市町の中間点で、主要国道近くとなれば、このあたりしかまとまった用地を確保できないということだろうが。
燕市民は、合併後も市長になりたい高橋甚一市長の、ひたすら吉田町に媚を売る政治姿勢に気付くことなく、新市の要になる新庁舎の建設予定位置について、全く発言する機会を与えられないまま選定の運びになった。
人口が2倍の燕市が、人口半分の吉田町に、将来都市構想に直結した新庁舎建設位置決定について、「まる投げ」だったのだ。
さて、将来のことを考えれば、新庁舎の建設効果で、周辺の開発は、バブル景気の頃ほどスピードはないにしろ、確実に進むだろう。
吉田町の周辺農家や不動産業者が、土地の価値が上がることを承知して、吉田町に市役所庁舎を誘致することに懸命だったことは言うまでもない。もちろん、吉田町民も、身近なところに新庁舎ができるのだから歓迎だろう。
それに比べ、燕市民は、一方の商業都市の中核は須頃地域であり、行政の中心は吉田町にと2分される。
そのうえ、市町村の都市計画で、工業団地を市域の外れに確保するという発想で、燕市も吉田町も、境界を流れる大通川周辺に工場を貼り付けてしまったために、合併後の都市づくりでは、新市の中心に工業団地がデンと構えることになった。
新燕市の中心に工業団地が、それも県内でもまれに見る規模の工業団地が横たわるのだから、今後の都市づくりに大きな障害になるだろう。
できれば、新市誕生の暁には、これらの工場団地の周辺にグリーンベルトを設けて、常緑樹や落葉樹などを植えて、都市の美観を保つ工夫が必要になる。
また、燕市民が、工業団地を通らずに新庁舎に行けるルートを整備しなければならない。
燕市街地からは、自転車では、新庁舎に行ける距離ではなくなるから、マイカーに乗れない市民が新庁舎ならびに周辺地域に所要で行く場合の交通アクセスも考慮しなければならない。
電車利用の場合、吉田駅が、吉田町の市街地の中心になっているから、新庁舎の位置からはかなり遠い。電車利用は、越後線乗換えで南吉田駅からとなる。
いずれにしても、新燕市の新庁舎ならびに将来の中心市街地は、須頃地区から遠く西に移動することになる。
これが合併によって派生してくる都市づくりの現実である。燕市民は、今、何を考えているのだろうか。
政治家と選挙 自らの旗を掲げて歩め 2005・9・14
政治家というからには、市町村議員から代議士に至るまで選挙の洗礼を受けなければならない。
そして、自らの選挙だけでなく、政治的盟友のために、さまざまな選挙を戦わなければならない。
特に、市町村議員から、県議、国会議員はもとより、首長へと、より大きな選挙を戦わなければならないポジションを目指す政治家は、自らの選挙のときに、目先の損得を言わずに手を貸してくれる政治家や、支持者の信頼と協力を得るために、戦わなければならない。
選挙によっては、時には、盟友と袂を分かって戦うこともあるし、盟友が時にはライバルになることもある。
政治家の宿命であり、それを恐れて、信念を曲げて、目先の欲に走ると、そのときは何とか凌げても、その後の政治家としての道は極めて険しいものになる。
選挙のたびごとに、取材を通して、さまざまな政治家の言動に直面する。
選挙は、戦いであるから、まさに、それぞれの政治家、いや政治家以外にも、政治家を支持し、あるいは運動に加わる市民の心がまるで透視するようによく見える。見えないのは、無党派層と呼ばれる新潟県民の心だ。
市民は、黙っているが、そういうときの政治家の言動をよく記憶していて、その政治家の選挙のときに、決断する。
このたびの総選挙も、まさに、政治信念もなく、目先目先で、軸足を変えてきた政治家の戦いの苦しさを目の当たりにすることになった。
国会議員、県議会議員、そして市町村議員に至るまで、保身のためにあまりにも簡単に主張を変える政治家の群れ。
そして、自らの変節のゆえに、市民の理解を得られず苦しむ姿を見ながら、当落を別に、政治を志す者は、自らの節を曲げてまで、政治家の地位にとどまりたいと願った時から、苦しい日々が始まるのだという現実を見せ付けられた。
その場、その場、当選回数を重ねていけば、いつか立派な政治家に育つというものではない。
選挙に有利、不利というのでなく、市民、県民、国民のために考えて良かれと思うならば、信念をもって戦い続ける。
もちろん、そのために、二度と政治家の地位を得られなくなるかもしれないが、それもまた止むを得ないことだ。志を曲げてまで、極端に言えば、権力にこびてまで有利な道を歩き、一、二度は市民の目をごまかせても、長く続くことはない。
まして、上のポジションを目指し続けるならば、政治家、支持者など盟友を裏切っては、次の目がなくなる。
特に、政治家が、それぞれの政治課題について、選挙の時に自らの考えを示さないでは、信頼を得ることはできない。
自分の選挙が大事だから、ほかの政治家の選挙は避けて通るという、市町村議員には小ざかしい政治家が多い。
「それも止むを得ない」と認めている市民も少なくないが、その時々の選挙の争点に自らの意思を示しえない政治家が大成するとは信じがたい。
今回の総選挙で、泉田裕彦県知事が、政党の違う複数の候補を、選挙区が違うという理由で推した。少なくとも、一方の候補の応援にはせ参じた。県民の目にどのように映ったろうか。
県政を任せる政治家として、政治判断ができない県知事に将来を託す不安はぬぐい得ない。
もちろん、どちらもしないと公言してはばからなかった市議会議員もいたと聞く。次にどのような立場で選挙に臨むのか。
自らの主張を持たず、戦うことを恐れていて、政治ができるのだろうか。自らの選挙の時に、その人の下に人は集まるだろうか。
どういう理由にしろ、常にリーダーとして高く自らの旗を掲げて堂々と歩む姿を市民に見せてこそ、市民は支持すると思うのだが。

意外、新潟県各区の結果 自民県連、追い風取り込めず 2005・9・13
今度の総選挙で、全国的には自民党が圧勝し、衆議院の480議席のうち、自公で、3分の2を超える327議席を獲得。国民が強く郵政民営化などの政治改革を求めていることが明らかになった。小泉首相自身が、予想外の伸びと見ているほどの結果。
一方、新潟県を見ると、全国の動きと全く関わりがなく、小選挙区では、6選挙区とも前職が当選、新潟1区と新潟6区で自民が、新潟2区で民主が北陸信越ブロック比例で議席を確保するという形になった。自民は当選者の数では、面目を保った形だが、新潟2区の前職、近藤基彦候補が、全くの新人で、知名度のなかった民主、鷲尾英一郎候補に、最後まで追い込まれ、旧新潟2区の燕市、旧新潟3区の柏崎市で、鷲尾候補に敗れるという予想外の苦戦を強いられている。
新潟4区では、県知事選でのねじれ現象などで苦しいスタートを切った民主前の菊田真紀子候補が、新人とは言え、栗原博久元代議士の後を受け継いだ栗原洋志候補を2万票も引き離すなど圧勝。開票場別でも、栗原候補の地元、旧新津市を除いて、すべての開票場で栗原候補を上回った。
新潟県に限って言えば、無党派層の多くを民主候補が獲得しており、結果的に、自民にとって、郵政民営化の追い風はほとんど吹かなかった。というよりも、解散前まで、自民党県連は、桜井新参議院議員を筆頭に、郵政民営化反対であり、民主党と全く同じスタンスで、総選挙になって、あわてて郵政民営化賛成に回るというドタバタ。結局、県民支持を得られず、追い風を呼び込めなかったことが最大の敗北の要因と受け止められる。
県知事選にあっても、自民党の候補者を立てられず、渡辺秀央参議院議員の秘蔵っ子泉田裕彦氏を「自民党推薦」で擁立するという無様で、無力化している自民党県連の実態をうかがわせてきた。
新潟4区にあっては、ダーティーなイメージの栗原博久元代議士を引退させ、栗原洋志候補を擁立しながら、菊田候補に2万票の差を付けられた。特に、三条市では、6000票以上の差であり、嵐嘉明県議の責任は大きい。
全県では無党派層の支持を強く受けた民主党に対して、今回の追い風を取り込めず、公明の推薦などの好条件を生かせなかった責任を自民党県連首脳部、新潟四区では嵐嘉明県議が取るだけの覚悟が必要だろうし、田中時代に築かれ、老朽化の著しい組織の若返りを図っていく知恵が必要だろう。
この時流と全く異なる結果となった新潟県の政治状況をどう読めばいいのか。県民の支持を得られなくなった自民党を立て直すことができるのか。もちろん、民主党も、自民党県連の自壊に助けられた形だが、全国の民主党の大敗から学ばなければならないことは多いだろう。
自民、公明の与党は、絶対多数の状況から、今度はなかなか解散しないだろう。その間に、自民は建て直しを図り、県民の信頼を得られる組織を構築できるかどうか。
新潟4区では、自民は、大票田の三条市から候補を立てられるかどうかも大きな研究課題になるだろう。

組織に弱さ抱えた両陣営 2大政党時代に適した形を目指せ 2005・9・10
多くのハンディを背負いながら議席死守で必死の民主前・菊田真紀子候補、郵政民営化の追い風や父博久元代議士と選手交替でやりやすいと順調にすべり出した自民新、公明推薦の栗原洋志候補。
男女の違いはあっても、若さでは、35歳と34歳の1つ違いでしかなく、菊田候補は前職といっても在職期間、1期、1年10カ月であり、実績で押すというには日が浅いし、栗原候補は医師であり将来性が買われても選挙では新人。
郵政解散の風は、小泉首相の戦略どおり、大都市部で吹き荒れたが、田中型政治に慣らされ、長い間中央依存の強かった新潟県など地方では思いのほか風は弱く、ともすると痛みを伴う分、逆風だったのか。
それとも、まだ、有権者の多くは、2大政党時代の到来の意味を理解できず、中選挙区制の時代のまま、政策の違いではなく、長い間の人間関係で投票する候補を選ぶ土着性が強いのか。
あるいは、そうしたことと関係なく、新潟4区における民主党と自民党の組織力の違いなのか。
民主党とひと口に言っても、新潟四区、特に菊田候補の場合は、明らかに、バックボーンである渡辺秀央参議院議員の出身が自民党であり、竹山昭二県議の地盤も労働組合ではなく、保守層が圧倒的。それに旧社会党、旧民社党系の労働組合などを軸にした「連合」。
もともと、菊田候補には、2大政党時代では消える運命にある保革相乗りの組織。
その複雑な事情から起きた泉田裕彦県知事誕生劇のねじれ現象が、今回の選挙でも、菊田候補の苦悩となった。
最後の最後で、連合新潟支部三条加茂地域協議会の緊急の政治集会で、菊田候補が、お詫びし深々と頭を下げるというシーンに現れた。
今後も選挙のたびに、菊田候補は、この内部矛盾を調整しながら、支持基盤作りを進めていかざるを得ない。
一方の栗原候補の陣営は、滑り出しのよさを継続できず、公示から3、4日にかけて行われたマスコミの各種世論調査が、5日ころから「菊田リード」と発表されるにつれて、スタート時の感触のよさが薄れ、菊田候補のさまざまな悪条件を目の当たりにしながら、逆に、動かない組織に歯ぎしりすることに。
栗原候補の魅力を1人でも多くの有権者に伝えるには街宣ではなく、個人演説会が有効だったし、5日夜の加茂市での4カ所の個人演説会がそれを証明していたが、肝心の三条市では、後半に入って7日に1回、1カ所しか開かない嵐南公民館で、集まった支持者が130人と、出席した県議、市議らがよくも恥ずかしくなかったものかと思われる低調さ。
ここに及んで、まだ、中選挙区制時代の自民党代議士の後援会組織が、自民の旗の下に1つに結集し切れておらず、陣頭指揮を執る首脳部の指導力、戦略の是非が問われ始めた。
保守層の最大の基盤である企業なども、1部が危機感を持ち始めたが、全体に波及するまでに至らなかった。
全国的には、政策で争う本格的な2大政党時代の幕開けであり、話題性の多い総選挙であるにもかかわらず、新潟4区にあっては、マスコミ関係者をして「面白くない選挙区」と言わしめたのは、中盤から終盤にかけて、栗原候補の陣営の急追が目に見える形にならなかったからだろう。
当落は新潟4区全体の状況で決することで、大票田の三条市や菊田候補の地元加茂市の状況だけでは判断できない部分もある。
両陣営とも、組織作り、選挙戦略の立て方など多くの課題を抱えながら迎えた選挙運動最終日の10日。
両候補とも、苦しいのは同じ。果たして、支持者がどこまで当選を信じて票の掘り起こしを続けてきたか、そして最後の最後まで手を緩めず走るか。
当落は11日夜には決する。勝っても、負けても、民主、自民、そして公明とも、新しい時代の支部組織の再構築をその時から始めなければならない。

新潟4区、2日間で情勢動くか 短期決戦だけに、最後の総力戦で決着
2005・9・9
いよいよ総選挙も、運動期間は9日と10日の2日間を残すのみとなった。
わずか2日間ではあるが、今度の選挙は、運動期間が短く、各陣営とも不完全燃焼の形だけに、この2日間でどれだけの支持票を確実なものにするか、まさに総力戦を展開しなければならない。
激戦区の新潟4区は、民主・前職菊田真紀子候補が、前回総選挙で2区に鞍替えし、菊田候補に地盤を譲った坂上富男元代議士との、その後の関係修復がなされていなかったことや、県知事選で、自民党推薦だが、渡辺秀央参議院議員の秘蔵っ子という泉田裕彦県知事を応援したことで、多賀秀敏氏を推す民主党の主流とねじれ現象を起こし、選挙戦が始まるまで、下部組織と修復できなかったこと、草の根が機能しなかったこと、それに郵政民営化の逆風など、多くの課題を抱えての選挙戦突入。
一方の自民公認・公明推薦の新人栗原洋志候補も、父親の栗原博久元代議士が、新潟4区の県議団から、「戦えない」と引退を迫られ、長男として急遽出馬することになったが、自民党新潟4区支部は、代議士を失ったこの1年10カ月で、前回の敗北の要因を検証しないまま、なおかつ、先の県知事選では、泉田裕彦県知事を推した主流と、小林一三元新津市長を推した加茂農林高校OBとが今ひとつしっくりいかないなかで、建て直しができていないまま選挙戦に突入している。
大票田の三条市では、総選挙が始まるまで栗原事務所が空になっていたことなどで、自民党三条支部の弱体化、後援会博山会も機能しなくなっていた。
菊田候補の陣営が、多くの弱点をさらした中で選挙戦に突入したにもかかわらず、栗原候補が攻め込むかにみられたが、負けた前回の選挙以上には激しい動きは見られずじまい。郵政民営化の追い風で、ムードはいいが、それをどこまで、栗原候補の票に結び付けているのか、自陣営でも疑問視する見方が出るほど。
この弱点を、自民党を支持する企業経営者が、最後の最後で、どこまでバックアップするかが鍵。
また、前回の選挙では、栗原候補のポスターに「金返せ」といった内容の落書きがなされたが、今回は、菊田候補の学歴「中国黒竜江大学留学」は学歴詐称という内容のチラシが撒かれ、目を覆うばかりの中傷のはがきが郵送されている。
菊田候補の陣営は、学歴詐称のチラシに対して、記載されている氏名が実在しないことが分かっていても、あえて告訴するほどの気の使い方。
もっとも、NHKラジオの放送では、学歴は加茂高校卒と報道されているのに、公式の選挙公報には、「中国黒竜江大学留学」となっている。
とにかく、土壇場にきての中傷誹謗の選挙戦になっており、7・13水害の対応でも、両陣営の話を聞いていると、何が真実なのか疑いたくなるほど。
若い候補の激突という意味では、最初のイメージはよかったのだが、両陣営とも、決め手を欠き、全力を出し切れない選挙戦だけに、傍で見ている記者の目には、接戦の割に、盛り上がりを欠いているように見えるのは止むを得ないことか。
期日前投票が、前回より大幅に伸びていることがせめてもの救い。

新潟4区予断許さず 栗原候補の足、どこまで伸びる 2005・9・8
菊田真紀子候補を追い上げる栗原洋志候補という、民主と自民・公明の激烈な選挙戦。
加茂市の金谷国彦、新津市の目黒正文県議など自民党新潟四区支部の各県議は、この総選挙で勝つことで、次の自らの県議選にも影響してくると言わんばかりに、懸命の応援。それに市議会議員が応援するという自民党支部組織、栗原博久元代議士の後援会博山会の各支部など、組織選挙で、新人としての知名度の低さ、顔や人柄を知られていない不利を補いながら集票にやっき。
嵐嘉明県議は、4区支部全体の責任と、大票田の三条市を預かり、「選挙は回ることが大事」と、選挙区内を支持者回り。
加茂市などでは、日曜日の5日に4会場で個人演説会を開いて、追い上げムードを高めているが、三条市では、7日夜の福祉センター会場1カ所のみ。
かつて中選挙区制の時代には公示直前に数千人規模の大集会を開いて気勢を上げて選挙に突入するパターンが流行ったが、盛り上がる割に本番で票が伸びないのが通例で、小選挙区比例代表並立制が定着してきて、大規模な集会は見られなくなった。
動員のためにバスを仕立て、運動員を張り付かせるなど大集会のためにエネルギーを費やすより、有権者から投票してもらうための実戦的な運動を重視する傾向が強くなっているからだろう。その上、バブル経済が弾けて、企業側の支援も厳しさを増し、政治資金規正法もあって、資金を掛けられなくなってきている。
しかし、夜の時間帯に、個人演説会をマメに開いて、支持者に候補者の人柄、考えを聞いてもらうというのは、選挙運動のムードを高めていくのには有効で、栗原候補にはうってつけなのだが。
加茂市での5日の個人演説会は、各個人演説会場で予想を上回る出席者があって、主催者側は「前回とは感触が違う」と、運動に自信を深めていた。
4日付けの新潟日報、5日付けの日本経済新聞は、いずれも3日までの調査結果で、菊田候補ややリード、栗原候補が追い上げる構図としている。時間の経過とともに、その差は縮まり、大接戦になるだろうことは、今回の両陣営の選挙組織からうかがえる。
栗原候補が、菊田候補を追い抜けるかどうかは、時間との勝負であり、前々回、前回と栗原博久元代議士が苦戦した大票田の三条市での戦いぶりいかんというところにまで来ている。
渡辺秀央参議院議員の後援会組織秀央会の竹山昭二県議、滝口恵介元県議をはじめ、原茂之、阿部銀次郎市議などが、懸命に運動しているが、前回ほどの勢いは感じられない。
先の県知事選で自民党推薦の泉田裕彦県知事を全面支援したこと、大災害では、野党民主党の立場で目立たなかったこと、郵政民営化では、渡辺参議院議員とともに反対の立場を取ったことなど、逆風が強い。
それでも、選挙戦序盤の各種世論調査で、三条市などで栗原候補をリードしていたのは、前職の強みと、これまで2回の選挙戦での清新なイメージが有権者の印象に残っているからだろう。
前回、地元加茂市、三条市など当選の勢いをつけるのに役立った旧3区地域で、その優位さをどこまで維持できるかが勝負。
そのために、加茂市では、日曜日の4日、月曜日の5日と、個人演説会を重ねて、直接、有権者に「地元の代議士」を強調しながら支援を求めている。必死の様相が伝わってくる。
今後の両陣営の作戦の展開にもよるが、新潟4区の有権者は何を基準に投票するのか。
期日前投票がやりやすくなったせいもあるが、今回の異常な伸びは何を意味しているのか。
