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  越後ジャーナル
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「木工の町」復活の起爆剤になるか 12日から加茂桐たんす見本市 2007・9・12

 12日、13日の2日間、新潟県の加茂市産業センターで「加茂桐たんす」見本市を開催する。

 この見本市開催に先駆け、11日、デザインコンペが行われた。

 デザインコンペは、昨年から開催されているもので、今回で2回目。同見本市出展企業が自信の一品を、社名を出さずに出品。審査委員は「桐からKIRIへ、夢見るKIRI家具」という次代の桐製品を生活者に提案するというテーマに沿っているかどうか、発想、工夫、表現力などを項目ごとにチェック。それらの集計結果をもとに、各賞の受賞製品を選出する。

 今回は、出展企業20社中、18社が参加した。

 昨年は、初めての試みということもあり、各社様子見といった感もあったが、今回は桐たんすをはじめ、チェスト、AVボード、テーブルなどバラエティーに富んだ桐製品が並んだ。以前どこかで見たような製品だったとしても、面白味のあるものが出品されていたように感じた。

 「桐たんす」にしても、着物を入れるような引き出しよりも、ジャケットなどをハンガーにかけてつるせるようしたり、幅をコンパクトにしたりと工夫されていた。チェストも、高さが似ているところを見ると、各社がユーザーのニーズを拾ってつくっていることが感じられた。
 阿部大爾加茂商工会議所会頭ら審査員は「甲乙つけがたい」「いいものが多く、拮抗している」と頭を悩ませていた。

 私も会場を見て、「いいなぁ」と思うものがかなりあったが、何と言っても価格面が厳しい。

 取材を通して、職人の技術も手間も苦労も分かっているだけに、その価格に対して納得する部分もあるものの、いざ購入となれば諦めざるを得ないものばかり。

 今年、加茂JAPANブランドでも、一般の人も購入しやすい製品をつくるということだったが、今までで1番難しい課題ではないだろうか。

 昨年の受賞製品を各社が実際に販売したのか、売れたのかなどは不明だが、ここでの受賞製品が売れ筋になるほどに同見本市やコンペが発展すれば、「桐からKIRI」への転換はもちろん、「木工の町・加茂」復活の起爆剤になるのではないだろうか。 
                                              (廣川)





初日はバイヤーズデーのみでも1万2000人以上来場 DIYショウ2007初日取材体験記 2007・8・31

 23日から25日まで、千葉市・幕張メッセで開催していた「JAPAN DIY HOMECENTER SHOW2007」に、初日の23日に取材してきた。

 名誉総裁の高円宮久子妃殿下が出席した開会式の華やかさはともかく、初日は一般来場者が入れないバイヤーズデーだったため、特に午前中は「ゆっくりできるかな」と、たかをくくっていた。

 しかし実際は、3日間のうち1番来場者数が少ないとはいえ、1万2245人が来場。ほかの2日は一般来場者も参加できたので1日当たり3万人以上。3日間で8万4070人が訪れたとのこと。

 開会式に出席しない出展社と来場者は、開会宣言が行われる前から、活発に商談活動。特に三条産地と兵庫県の三木産地のブースでは、各社の一押し商品のアピールに力を入れるスタッフが多く、すでに声をからしている人も。久しぶりに「商魂」という言葉を思い出した。

 毎回本紙は、このショウを取材しているが、私は今回が初めてだったので、その規模の大きさに驚いた。

 どうしても県央地域で取材していると、県央地場産センターでの展示会が1番大きく、この人数に人酔いしそうになった。

 今年のショウは、同メッセの2番から5番ホールを大きく3つに分けて展開。

 その中でも3番、4番連絡通路内「やすらぎのモール」では、鍛冶のまち「三条」をアピールするため、三条鍛冶の技の実演や来場者の参加体験によるオリジナル包丁づくり教室を設けているほか、商品の展示、販売コーナーも用意。

 私は、高円宮妃殿下が会場内を視察するというので、同行取材した。

 最初に視察したのは、「DIY新商品・ヒット商品コンクール」の出品コーナー。

 このコーナーには、新商品が国内から62社の62アイテム、海外から18社18アイテム出品。

 ヒット商品が、国内から57社57アイテム、海外から16社16アイテムが出品されていた。

 高円宮妃殿下は、1つ1つの商品を手に取って確かめ、視察に同行した(社)日本DIY協会の坂本洋司会長ら同協会の役員らと楽しそうに談笑。

 「報道機関はここまで」と線引きされていたため、その会話を聞き取れなかったのが残念だった。

 このコンクールのヒット商品の一般人気投票部門で1位になったのは、三条市南四日町4、高森コーキ(株)(高森武志社長)の「鏡の鱗状痕落とし」。

 この商品は2年前から発売されていて、鏡やガラスなどに付いた、うろこ状の汚れやタイル、タイル目地の黒ずみ、ステンレス製看板、建物、外壁などの水アカ落しに効果があり浴室などの鏡の曇りを抑制するもの。

 バイヤーの間では、すでに高い評価を受けていたが、一般消費者の認知はこれからというところだっただけに、同社としては、今回の1位獲得は喜びもひとしおだろう。

 三条産地の商品が1位というのは、私もうれしい。
                                              (阿部)





コンパクトシティの行き着く先は? 中心市街地活性化には有効でも… 2007・08・16

 9月24日を目前に控えて、パルム問題が熱を帯びている。

 このパルム問題、過去の経過を抜いて考えると、つまりは中心市街地活性化問題。パルム再生連絡協議会の会長も務める箕輪勲男会長は「パルムを抜きに、中心市街地活性化問題は考えられない」とさえ言っている。

 新潟県三条市では、新法に対応するために、新たに中心市街地活性化基本計画を作るかどうかなどを検討するために、三条市中心市街地活性化懇談会を設置し、議論を重ねている。また、市議会でも中心市街地活性化の問題については、必ずと言っていいほど、一般質問の議題に上る。

 この中心市街地活性化問題を論じていると必ず出てくるのが、コンパクトシティという考え方。

 コンパクトシティはその名の通り、町をコンパクトに保つというもの。都市機能を集中させ、歩いていける範囲を生活圏としてとらえる。住むところ、遊ぶところ、働くところ、公共サービスを一カ所に集めることで、そこで生活を完結させることができる。結果、中心市街地に人も戻り、にぎわいも戻る。さらには、車に頼らないため、環境にもやさしいという万々歳な考え。

 このコンパクトシティ、その範囲はどれほどのものなのか。歩いていける範囲ということで、半径1キロメートルほどと仮定すると約3平方キロメートル。三条市の面積は約432平方キロメートルなので、わずか7%。仮にコンパクトシティ圏をいくつか作るとしても、そのためには駅などの公共交通機関が必要となってくるので、場所は限られてくる。

 中心市街地に住んでいる人にとってはコンパクトシティという考え方は魅力的なのかもしれないが、私のように生まれてからほとんどを郊外で暮らしている者にとってはなんら魅力的ではない。郊外のロードサイド店が街中に移動するといった程度。その上、中心市街地には駐車場不足問題が伴う。となれば、郊外型の大きな駐車場を完備したロードサイド店の方がどれほど魅力的か。

 もちろん、まずは中心市街地を第一として考え、中心市街地の活性化、環境にいいまちづくりを推進。郊外の住民には、多少不便でも我慢してもらうというのも、まちづくりの1つの形としてはいいのかもしれないが。

 ただその場合、参院選が終わったばかりだが、地方出身議員がこぞって口にした地方格差是正がむなしく聞こえる。極端な考えなのかもしれないが、コンパクトシティの考え方は、県レベルで見たとき中心となるのは新潟市で、国レベルでは東京都。結局は一極集中を助長し、地方格差は拡大するのではないのか。

 仮にコンパクトシティという考えを進めた時、三条市は、新潟県は、日本はどういう形になるのだろうか。     
                                             (石山)





新潟県を「お祓い」?『原発』の風評被害大きく
 2007・08.01

 中越沖地震から2週間ほど経った。

 三条市をはじめ加茂市や田上町など自分が動く範囲で見る限り、地震があったことすら忘れてしまうような日常が流れている。そのため、目には見えない「風評被害」は、もっと忘れてしまいそうになる。

 田上町の湯田上温泉も、地震直後にキャンセルが相次いだと聞く。住んでいる人間としては柏崎市と田上町ではかなり離れていることを知っているので、「何で?」と聞きたくなる。その理由も「地震」でも「余震」でもなく「原発」とのこと。

 地震や余震は天災でどうしようもないが、今回の原発は「人災」。被害状況の発表が二転三転した挙句、再稼動まで一年かかるような状況で、お客に対して「大丈夫です」などと軽々しく言えない。

 7・13水害、中越地震時も風評被害を受け、そこから回復するまで2年かかったと言っているのを、どこかのテレビ番組で見た。中越沖地震は、まさにその回復の腰を折るような出来事だったと思う。

 中越地震後、復興キャンペーンと銘打って「がんばろう!新潟」「ありがとう!新潟」などとしてきたが、「そろそろ『ありがとう』とかも使えませんね」などと言った矢先の今回の地震。

 ある取材先で「新潟は中越地震、中越沖地震の2回だけの被害とされているが、本当は能登半島地震の時も被害があったので、実際は3回目。でも、これを言うとイメージダウンになるだけだから」と話していたのを聞き、複雑な気持ちになった。

 3年前もそうだったが、被害状況を声高に訴えれば「激甚災害」指定などが受けられ、復旧のための支援なども受けられる。その一方で、被害を受けていない観光地などは風評被害を被る。震災復興が第一なのは分かるが、諸手を挙げて賛成しかねる自分がいる。

 今回も地震直後に、東京や京都などの友人から安否確認のメールが届いた。無事を告げる返信に対し、友人の1人が「新潟ばっかり震災があるね。お祓いしてもらった方がいいんじゃない?」と打ってきた。

 「県全体をお祓いしたら、面白いだろうな」と不謹慎なことを思いながらも、最後は神頼みなところが悲しかった。
                                             (廣川)





住民の危機管理意識の低さ 津波注意報も出ていたのに… 2007・07・19

 「きのう16日は『海の日』。しかし、午前10時13分に発生した地震の影響で、津波が発生。午前11時20分に、津波注意報は解除されたものの、例年なら、家族連れでにぎわっているはずの海も海水浴客の姿はほとんど見られなかった」。

 そんな記事を書こうと思い、ガランとした海岸を写真に撮ろうと、野積浜へと向かった。

 野積浜の駐車場に着いたのは午後2時頃。駐車場には何台かの車が停まっており、「こんな状況でも来る人は来るのか」と、カメラを持って海岸へと向かった。

 しかし、浜辺に着くと、さらに驚きの光景。何十台の車が乗り付けてのお祭り騒ぎ。たぶん、何かのイベントだったのだろうが、いかに注意報は解除され、高さも50センチメートルほどだったとはいえ、津波が発生していることに違いはない。

 先日行われた知事とのタウンミーティングでのパネルディスカッションで、泉田裕彦新潟県知事は、「ことしも津波警報が何度か発令されている。しかし、この際にどれだけの人が避難したかを調査すると、わずか5%未満。三条市でも、避難準備情報が出たことがあるが、その時に逃げたのは5%」、「避難勧告を出しても逃げてくれなければどうしようもない」と、住民の危機管理への意識の低さを嘆いていたが、まさにその通りの光景。

 せっかくの3連休の最終日。何カ月も前から計画していたイベントなのかもしれないが。

 それとも、津波注意報が解除され、1時間ほど様子を見て、安全だと確信して再開したところに、たまたま私が出くわしただけなのだろうか。  
                                              (石山)






例えようもない憤り 3年目の7・13考
 2007・07・14

 今年も7月13日を迎えた。水害を経験した1人として、改めて記憶をたよりに当日の様子を綴ってみたいと思う。

 おそらく燕市内の小中学校が代休のため7月12日の「洋食器の日」の学校行事が13日に先延ばしになっていて、その取材に向かう道中、携帯電話で呼び戻されたのが午前11時30分過ぎ。

 清流大橋、一ノ木戸商店街、諏訪1丁目地内の破堤箇所対岸の三竹付近を取材。当時は、破堤と越水の区別も付かない状態で右往左往し、最後には南四日町4丁目の交差点付近で自動車が飲み込まれて、水の中を歩いて社に戻った。

 被災地では、まるで市内全体が水に浸かったかのように感じるほどで、当日、実家には男手がないことを思い出し、無理を承知で私の胸より上に水があるなかを徒歩で実家を目指した、道すがら出会った女の人と常盤橋まで励まし合いながら歩き、帰宅した。すると、実家は大した被害もなく安心する以前に、あまりにあっけらかんとして危機感のない家族に八つ当たりしたのを憶えている。

 会社で寝起きしていた同僚らに食糧を運ぶ必要があったとはいえ、夜、水に浸かった嵐南バイパスを歩いて通ったことは、今、こうして生きているのが不思議なくらい無謀だった。特に交差点付近は、私の身長から推測して水深1メートル40センチほどで、条南町方面から金子新田方面へ向かってかなり早い流れがあり、足をとられながらもなんとか渡りきった。と、ここまでが私の経験した平成16年7月13日。

 尊い9人の犠牲、各家庭や事業所に残る爪あとは大きすぎるし、多くの人が言うように精神や体に残る後遺症、事業や家屋再建のための膨大な借金など、水害はまだまだ終わっていない。

 一方で、災害復興住宅が役目を終えて姿を消し、河川改修が進むにつれて表面的には、水害の記憶は薄れつつある。

 取材や普段の生活の中で水害の話になったとき、被害が大きかった人ほど、例えようのない憤りを抱えているように感じ、その一端が「7・13水害は人災か天災か」という議論に通じているような気がしてならない。

 この3年、我々の目線で、何をどれほど論じたところで水害の傷は癒えないことを思い知らされ、打ちひしがれる。 
                                                (外山)






「めぐみちゃん、早く帰ってきてね!」因幡晃アコースティック
コンサート
  2007・06・15

 先月、新潟県新潟市西蒲区岩室温泉、ほてる大橋(石添邦彦社長)が開いた因幡晃アコースティックコンサートを楽しんできた。

 このコンサートは、夕食や温泉の入浴券付と決して安い値段のものではないにも関わらず、220人余の観客が集まり、会場は開演前から観客の熱気に包まれていた。

 因幡さんは、私より少し上の世代が夢中になったシンガーソングライター。そのため、私が知っている曲は代表曲の1つ「わかって下さい」とカラオケでおなじみの「夕映えを待ちながら」の2曲だけ。それでも全13曲およそ90分のコンサートを十分満喫できる内容で、ホテルの従業員も「さすがプロは違う」と舌を巻いていた。

 圧巻だったのが6曲目の「めぐみ」。

 この曲は因幡さんが書いたものではなく、ほかから「これは北朝鮮に拉致された横田めぐみちゃんのために書いた曲。ぜひ因幡さんに歌っていただきたい」と頼まれたものだという。

 因幡さんは、「これだけ大きな政治的な問題をはらんだ曲を僕が歌っていいのかと悩んだ。しかし、めぐみちゃんのご両親に会った時、『ぜひ歌って下さい』と言われ、歌うことを決心。もう6年ほど歌っている。この曲を聞きながら心の中で、『めぐみちゃん、元気でいてね。早く帰ってきてね』と祈ってほしい」と、呼びかけ歌を披露。観客の中には目に涙を浮かべながら、その甘い歌声に聞き入る人の姿も。私も思わずもらい泣きしそうになったのをグッとこらえるのに必死だった。

 アンコールでは、今回の観客への感謝の気持ちを込めて、因幡さんの故郷、秋田県の民謡「秋田長持唄」とサルバトーレ・アダモの名曲「雪が降る」を熱唱。最後に大ヒット曲の「わかって下さい」を歌い、コンサートは終了。私は大きな拍手を因幡さんに送った。

 閉演後、因幡さんは即売会場に出てきて、観客1人1人と握手。観客がすべて退場した後、石添社長が因幡さんに礼を述べ、堅い握手を交わす姿に、「このコンサートは大成功だったんだな」という印象を強くした。      
                                               (阿部)