合併問題めぐる混迷で誕生
「吉田町に働きかけ 大同合併」と意欲的
議長インタビュー(1)   燕市議会議長 赤塚功氏
 統一地方選挙によって、新潟県県央地域でも、多くの市町村では新たな議員の顔ぶれも決まり、議会人事などが行なわれている。

 全国的に、市町村合併が大きな政治課題になっている折、首長の合併に対する取り組みもさることながら、新しい議会の動きに、住民の注目が集まっている。

 そこで、合併推進派と反対派が拮抗して、一時は、議長の譲り合いという異常事態にまで発展、幸い、急転直下、議会人事が決定した燕市議会の赤塚功議長を皮切りに、三条市、栄町、下田村、田上町など県央地域の各市町村議会議長に、合併問題とそれぞれの市町村の主な政治課題への取り組みについてインタビューしていく。

 新潟県燕市議会第2回臨時会初日、5月13日の本会議で、議長に4回当選したが、4回とも辞退、休会明けの20日の議長選での通算5度目の当選で就任を決意した赤塚功議長に、当選から一夜明けた21日、議長就任の経緯、合併問題の今後の対応、議会運営などについて話を聞いた。

 合併問題のこじれから、合併反対派10人に5回にわたり、議長として記名投票された結果のたなぼた的な議長就任。3期目での議長というスピード出世に「運が良かったとしか言いえない。宝くじで3億円を当てようと思っても当たらないのと同じ。13日は議長をやる意志がなく、会派としてもやることができなかった。支持者からは、『大山さんと会派も同じで、どちらが議長になっても、9対10になることには変わりがない。生年月日も、大山さんと23日違いと年齢が変わらないのに、どうして議長を受けないのか、当選したら議長をやりなさい』と言われた。会派内でも、どちらが当選しても受けることを確認。議長就任の挨拶文を胸に登壇したが、くじ引きで当選するとは思っていなかった」と無欲の結果であることを強調。

 今後の議会運営については、「合併へのアプローチとして、吉田町議会に、燕市議会正副議長として挨拶に行ってもよいか、高橋甚一市長と相談はした。そのことについて大岩副議長も異議はないようだ。議長としての名刺が出来次第、近隣市町村にも就任の挨拶に伺う予定」

 2期目に議会運営委員会副委員長をした経験から、「議会運営委員会というものがあるのだから、議会の運営はそちらにお任せする」と、よく相談して進めることを肝に命じている。

 議長ではなく一市議として、県央東部合併を目指す場合、吉田町も含むのかどうかについて、「私は県央大同合併による30万都市建設を目指している。寺泊、分水、弥彦も含めたいほど。県央東部合併反対のみなさんは、できるところから合併し、雪だるま式に合併の市町村の輪を拡大していくことを目指している。合併自体に反対しているのではない。反対しているのは共産党の市議二人だけ。市の財政は大変苦しいうえ、仕事もなく追い込まれている市民もいる現状で、税収も落ちてきている。解決には大同合併しかない」

 改選前の3月定例会では東部合併反対派だったが、今回の改選で、推進派として立候補を表明した。「法定合併協議会設置を公約したが、法定の合併協議会を6月定例会に提出するかの見通しについては、高橋市長も『法定合併協議会の設置に関する議案を6月定例会に提出するのは厳しい』と話している。反対派から推進派に移行したのは支持者の勧めがあってのこと、町内の川前地域以外に、中山一さんの妹である妻の実家がある井土巻にも地盤がある。(三条市と接する)井土巻のことを考えると合併を推進せざるをえない。今回の選挙で反対派だったら私は得票数の半分もとれなかっただろうと思う」

 合併を予定している近隣市町村は、燕市の6月定例会に法定合併協議会への移行を提出するのを待っているわけだが、「今の段階では、法定合併協議会の設置案を議会に提出しても、否決される公算が大だ。合併を予定している四つの市町村から見放され、合併においていかれるのは怖い。高橋市長から、改めて考えを聞きたい」

 最悪の場合、燕市、吉田町だけの単独合併は考えるかについて、「吉田町の合併に関する住民意向調査では、燕市との合併が26%、県央東部との合併が11.3%で、燕市との合併が圧倒的だが、規模が小さく合併の意味がない。産業面でも同質、共倒れの危険性もある」

 東部合併推進派、反対派が10対10という状況については、「大変むずかしい事態」とする。

 女房役の大岩副議長について、「近所であることもあって昔から懇意にしていた。父親の代から付き合いがあり、工場の電気工事も大岩さんに頼んでいたほどだった。市議会議員に当選したのを契機に、議員同士でやった、もらったのやり取りがあってはいけないと思い他の業者に頼むようになった。仲はよい」

 赤塚議長が大岩副議長に引っ張られていくのではという憶測に対しては、「それはない。大岩さんとは夫婦同様仲良くしているが、市議をしている8年間で大岩さんから私に、文句や嫌がらせがあったことは一度もない」

 合併問題とは別に、燕市政の最大の課題は「少子高齢化の昨今、子供を産んでもらいたい。新潟県の出生率は1.38人と夫婦2人より少なく、人口は減るばかり。安心して子供を生み育てられる環境をつくらなければいけない。燕市でも子供2人以上から児童手当のようなものを出すべき。老人介護も問題で、老人ホームは単純計算で1床当たり1200万円ほど金が掛かる。現在、老人ホームに入居希望で待機しているお年寄りは、おおむね200人いる。在宅介護が理想だが、教育はじめ、車や携帯電話など生活に金が掛かり過ぎる。夫婦共働きが当たり前で、親を介護する余裕がない。『親は自分を勝手に産んだのだから、育てるのは当たり前』で、親の面倒をみようとする人が少ないことは嘆かわしい」

 市議会に出馬したきっかけは「次新から出ていた市議の鈴木整さんが交通事故で怪我をして、後遺症が残った。きのうのことも思い出せないほどひどくなった。鈴木さんの選挙運動をしていた関係で、鈴木さん本人から、平成8年の市議選で、告示35日前になって後継者として出馬を依頼された。引き受けなければよかったが、選挙が好きだったこともあって、告示30日前に出馬表明した」

 以来、3期連続当選し、1期目では総務文教常任委員会の副委員長、2期目では産業建設常任委員長、議会運営副委員長を歴任して、今回議長に就任した。

 赤塚議長は昭和7年3月4日生まれの71歳。燕市中川で農業を営んでいた赤塚武一さんの長男として生まれた。「健康な体を授かり、議長就任は天命だと思っている。19歳のとき盲腸を散らして以来、これまで病気をしたことはない」と健康には自信を持っている。

 昭和38年には洋食器製造の赤塚製作所を創業し、翌年には同社を株式会社にした。中近東への輸出を中心に洋食器の販売も始め、最盛期には月の売上げが5000万円に達するほどに成長した。海外製品の台頭など景気に陰りが見え始め、市議に初当選した後、35年間続けた同社を廃業した。

 産業衰退の理由について「燕市では、箸で言えば割り箸程度の洋食器を作り、輸出して儲かった時代があった。しかし、台湾、韓国など諸外国に追い越された。誰にでもできる仕事をしていたためで、今では仕事の注文を取っても品物の値段が安く採算が合わない。以前の同業者を訪ねると、廃業さえできずに苦しんでいるところもある」

 趣味は「現在はやっていないが歌をやっていた。『憧れのハワイ航路』が十八番で、町内の、のど自慢で鐘2つもらったことがある。アコーディオンを買うほど凝ったこともある。今は実家が農家だったこともあり、畑仕事と2反しかない家の敷地内の庭木いじりが趣味」

 妻の仲江さんとの間に2子を授かり、現在は養子の道夫さんと娘の香代子さん夫婦、孫1人の5人で暮らしている。   
                                                (外山)