燕市出身 磴靖彦さん追悼集
さわやかに生きた33年を記録に
 新潟県燕市中川、磴(いしばし)靖也さんは、平成14年4月24日、脳内出血のため33歳の若さで急逝した長男靖彦さんの追悼集「さわやかに生きる」を一周忌に当たる今年4月に発行。福島県の高校教諭だった靖彦さんの教え子や友人など、生前、交流のあった人たちに配布している。

靖也さん夫婦と三女の梨菜ちゃん 靖彦さんは、昭和43年9月に、靖也さんの長男として生まれ、燕北中学校、三条高校を経て、昭和63年、明治大学文学部に入学、漕艇部に入部した。卒業後、福島県のボート強化選手になるとともに、高校の指導教員として、福島県立喜多方工業高校に赴任。2年後には、同校漕艇部をインターハイに、平成7年の福島国体では、高校男子の監督として、ボートチームを総合優勝に導いた。平成9年に、福島県立川口高校に赴任、全国大会出場を目標にしてきた漕艇部が大会を目前に控え、私生活でも平成5年に結婚、3子をもうけるなど、公私ともに充実してきた時期の急逝だった。その後、川口高校漕艇部は、靖彦さんの遺影と共に大会に参加、平成14年、15年と2年連続でインターハイ出場を決めている。

 靖彦さんは、赴任した両校で、担当クラス以外の生徒の相談にも乗るなど、部活動以外でも熱心な指導とユニークで優しい人柄で「兄貴のような存在」と生徒に慕われ、友人知人、教え子以外にも多数の弔問客が訪れた。その中から、靖彦さんの思い出を「一冊の本には、表せないほどたくさんだが、ぜひ、記録に残したい」という声が上がった。生徒の中には「磴先生の立派な姿を、残された幼いお子さんが、物心ついてから知るためにも、他の人に伝えるためにも、記録に残したい」という声もあり、両親の靖也さん、邦子さん夫婦が、靖彦さんの大学時代の同級生で、大手新聞社に勤めている大前仁さんに相談し、靖也さん夫婦が地元、学校関係は喜多方工業高校元校長の井上精三さん、散りぢりになっている関係者は、大前さんが中心となって原稿を集め、発行の運びとなった。

 靖彦さんと同じく教師だった母親の邦子さんは、「私が死んでもこんなに人は集まらない」とし、「はじめは、追悼集を作る考えは全くなかったが、自然発生的に声が上がった。原稿も1カ月という異例の早さで集まり、ほかにも、『自分にも書かせてほしい』という声が多々あったし、『書かせてくれてありがとう』という声もあって、追悼集制作を通じて人と人のつながりのすごさを感じている。本当によい出会いに恵まれた」と話す。今でもたくさんの人が弔問に訪れ、福島の家と燕の実家の二つに仏壇があるという。また喜多方工業時代の教え子が中心になり、「磴漕会」というボートチームを結成、大会に参加したほどで、関わった多くの人に影響を与え、慕われる存在だった。

 追悼集には、表題と同じく、「さわやかに生きる」5箇条を信念に生きた靖彦さんの足跡が、教え子や、友人知人、遺族の寄稿により、222ページにわたって記されている。その中の、妻、智穂さんの「天国のあなたへ」は、PHP読者手記特集で入賞し、14年11月号の同誌に掲載されたほどで、生前、交流のなかった人たちにも感動を与えている。

 関係者の追悼集への反響も高く、多くの手紙が、靖也さん宅に届いている。         
                                                (外山)
 「さわやかに生きる」5箇条は次の通り。
1、過去を懐かしがったりしない。
2、他人の悪口を告げたり、伝えたりしない。
3、一切愚痴を言わない。
4、衣、食、住に贅沢を求めたりしない。
5、苦労したという言葉を口にしない。