節目祝い感謝の集い盛大に
田中衡機 101年目の船出
昨年12月に創業100周年を迎えた新潟県栄町福島新田、(株)田中衡機工業所(福山匡社長)は、4月21日午後零時半から、三条市旭町2、ハミングプラザビップ三条で、100周年記念の「感謝の集い」を開催し、取引先を中心に140人を招き、盛大に祝った。
同社は、明治36年12月、農商務省から度量衡製造免許を受け、現在の三条市本町3で、曲尺、マス、棒ハカリの製造を開始。大正12年3月に社名を田中衡機製作所として、衡機製造に絞り、裏館地内の官有地払い下げを受け、工場を建設。また、同14年には品質保持のために、鋳造工場を建設している。
昭和に入ってからは、21年に東京支店を開設、22年には法人改組し、社名を田中衡機工業所とした。23年には、本社、工場を三条市南新保地内に移転し、長年営業していたが、昨年11月に、本社、第一工場を第二工場のあった現在地へ移転している。
また、100年の歴史を通して、3回の叙勲を受けており、昭和41年に田中佐造初代社長が勲五等雙光旭日章、平成3年に社員の小野勝雄さんが職人としての腕を評価され勲六等瑞宝章、同9年に2代社長の田中正佐久相談役が、勲五等雙光旭日章をそれぞれ受章している。
福山社長は、4代目として昨年11月に就任している。
式典で福山社長は、歴代社長の功績を紹介しつつ、同社の歴史を振り返った。
「創業当時は、曲尺を主体としていた。三条は曲尺メーカーが多く、当時は全国の80%シェアを持っていたそうだ。また、初代の佐造社長は、当時画期的だったステンレス製曲尺の製造を始めた。ステンレスは錆びないということがあまり知られていなかった時代、スウェーデンから輸入したそう。その後、はかりを主体とした。現相談役の正佐久二代社長は、昭和16年、17年に20歳台で飛行機のはかりを設計している。そして、戦時中に貨車のはかりを設計した時には、戦地で散る覚悟だったとも聞いている。幸いにして復員して、法人化した。戦後は、品質を徹底しつつ、大型のはかりでは全国ナンバーワンだったと自負している。厳しい時が訪れたのは、昭和50年代後半。電子化の波の中で、機械式はかりをメーンとしていたために、若干出遅れた。しかし、現会長の悌司3代社長が、営業本部長として会社を引っ張り、1キロから100トンと多様なはかりを生産するようになった。そして今、変化のめまぐるしい中で、同業各社との提携や事業引継ぎなどに力を入れている。ことしから、101年目の船出で、私も4代目社長として、若手を起用するなどしている。若輩ゆえに不安もあるが、みなさんからの倍旧のご支援をお願いします」とした。
来賓祝辞では、嵐嘉明県議、高橋一夫三条市長、岩下貞治全国計量器販売事業者連合会会長の3人が登壇し、それぞれ同社との関わりや思い出について語った。
うち、田中家とは「家が提灯屋を挟んで同じ並びだった」という高橋市長が、2年先輩だった悌司相談役との小学校当時の思い出などを述べ、「福山さんとは、小学校のPTAでご一緒した。その時は、あまりおしゃべりではないとの印象だったが、きょうの挨拶をお聞きして、すっかり経営者になったと感心している。企業が100年も続くには、時代を超越した社長の信念、企業理念が必要。田中衡機には、そういったものが脈々と流れていると感じている。これからも一丸となって進んでください」とした。
続いて、仕舞、鏡割り、小林弘右栄町長の発声で乾杯し、開演。祝舞や大道芸のアトラクションを楽しみながら、午後3時過ぎに閉会した。
(重藤)
