チェーンストアのシステム産業目指す
コメリ創業からの歴史とHC経営など
(株)コメリ常勤監査役 捧欽二さん語る 
新潟経営大学ビジネススクール講座
 (株)コメリの捧欽二常勤監査役は、6月24日、新潟経営大学ビジネススクール講座の流通・サービス業マーケティングの一般公開授業で、「コメリ創業からの歴史とその後のホームセンター経営」について話した。

 捧監査役は、同社の歴史を踏まえながら、チェーンストアのシステム産業を目指すことや出店戦略などについても紹介した。

 同社の創業は昭和27年。捧賢一会長の父、故捧寅七氏が、代々続いている農業をしながら、米穀・薪炭業として三条市興野地内で「米利商店」を創業。

 捧会長も創業の翌年、昭和28年に県立加茂農林高校を卒業し、百姓の傍ら創業の手伝いをした。

 米だけでなく、固形燃料の扱いも順調に伸ばした。しかし世の中は徐々に液体燃料にシフトしていったが、米を入れる麻袋にニオイがつくと困るという理由から、同社は販売を見合わせていた。

 そこで、家庭用プロパンガス(LPガス)の取り扱いを開始。昭和39年の新潟大地震で都市ガスが使えなかった時にも大活躍し、その後、住宅設備機器などの販売も手掛けるようになった。

 その間、捧監査役は、故倉本長治氏が主幹する「商業界」に参加。「商人道や精神論を叩き込まれた」と懐かしそうに話した。

 第1次オイルショックを機に、経営の多角化にも目を向け始めた。この頃、社名を「(株)米利」に変更。

 ホームセンター(HC)事業は、昭和50年ころから本格化。捧会長がアメリカに行き、HCに感銘を受けたことが、きっかけだ。

 捧監査役を含め7人の幹部社員が集まり、勉強や研修を重ね、昭和52年4月20日、須頃地内に待望の1号店を開店した。「当時の須頃地区は、石上大橋もなく、新幹線もなかった。何もない田んぼの真ん中に建っていた」とし、「金物のまちでHCは愚の骨頂と言われたが、お陰様で県内初のHCは大盛況だった」と振り返る。

 店をつくる際、捧会長が一番気にしたのが、意思の疎通。そこで、企業の経営理念「コメリ綱領」の徹底を図った。今でも、大きな会議で綱領を唱和するほか、新入社員が入ると、捧会長自ら一節ずつ、どのような理念かを教えている。

 また同社では、アメリカ流通業視察セミナーを実施。捧監査役は「HCのコンセプトは、(1)住まいを良くするために便利な資材・建材・補修材・道具などを取り扱う店舗(2)誰でも自分で手軽に住まいを改善できるための材料と道具の総合的専門店に分けられる。日本は、日用品から玩具などまで、いろいろなものが置いてある。でもアメリカは、ほとんど(1)でDIYが盛ん。これは住宅の建て方などの違いもある。そして、男性主力(ランバー型)か家族連れ(DIY型)かの、どちらかに重点を置いている。日本のHCは、ほとんどDIY型。アークランドさんは、ランバー型に近い。同社でも河戸と新津に実験的に取り入れている」とし、「流通業は、喉首をちぎる、厳しい競争社会。これも消費者に満足を与えるため」とした。

 日本のHCの現状は、平成15年度の1年間に新店舗開設は257店、閉鎖などは170店、市場規模は3兆8000億円とし、HC企業数は374社、店舗数は3636店。HC企業数自体、前年に比べ47社減少しているにも関わらず、店舗数は87店増えている。この数字について「店舗数には同社のH&Gのような小型店舗も含まれている。企業数減は、HC事業に取り組み始めた世代の平均年齢が上がり高コストになっていること、売場面積の大型化や商品が多いことなどが挙げられる。ちなみにHC業界は、6年間で50社が消えた。対応しきれず、従業員ごと引き取ってほしいという店も多い」とし、同社とミスタージョン、ヤマキの提携に触れた。

 差別化戦略として、アメリカのHCのように、チェーンストアのシステム産業を目指していること、インターネットやカード、販売を積極的に推進することなどを挙げた。多店舗展開などにしても、「確かにロットが違えば、仕入れ価格も変わる。とは言え、売れなければどうにもならない」とし、出店時の条件なども紹介した。

 最後の質疑応答では、同社が中国・大連に2店舗出店していることから「中国が生産基地から消費基地に変わっているが、HCの立場で、中国は市場として有望か」との質問も。

 捧監査役は、大連に出店した経緯などを踏まえながら「例えばポットや炊飯器など1つ買うにしても、ポットのお湯が温まるのを見届けてから、炊飯器から湯気が出るのを見届けてから。いざ購入となっても、レジで人がたくさん並んでいるのに、そこで値段交渉するようなところもある」とし、中国と日本の生活スタイルの違いやマスマーチャンダイジングシステムなどについて話し、講義を終えた。

 講義終了後も、もっと捧監査役の話を聞こうと集まる受講生の姿も見られた。
                                                (廣川)