西別院本格調査見送る 
三条市教委・確認調査結果発表
破壊された!? 三条城跡
 新潟県三条市元町、西別院跡地に建設される三条鍛冶道場の建設に先立ち、三条市教育委員会(熊倉收一教育長)は三条城跡確認調査を行い、このほど調査結果が発表された。

 今回の調査では、三条城の跡と見られる痕跡は発見されず、全面調査は行わないことになった。廃城後の新田開発時に破壊された可能性が高いという。

 西別院跡地は、享保3年の裁許絵図などの史料によると、元和2年に築城された三条城の三の丸、内堀付近と見られており、市では文化財保護法に基づいて、本格的な調査の必要性を知るため、4月19日から30日まで試掘調査した。建設予定地内、7カ所を10平方メートルずつ、70平方メートルにわたって、2メートルほどの深さまで掘った。

昭和2年に再建された西別院の基礎 発掘されたのは、古いもので室町時代のものと見られる青磁、すず焼をはじめ、17、18、19世紀のものと見られる遺物、西別院の基礎など。

 地層は各年代の西別院建設時に地盤工事された痕跡があり、天保の西別院創建時に敷かれたと見られる荒砂の層、明治、大正の火災跡と見られる層、時代は不明だが、もう一層の火災層があった。

 西別院創建以前は自然の堆積層で粘土質、水田として利用された痕跡があり、堀の跡地を新田として開発した時に土を取ったため、三条城の痕跡も破壊、移動させられた可能性が高い。

室町時代の遺物 旧三条町から、すず焼などが発掘されるのは珍しく、遺物による地層の年代予測から、直接的史料のなかった三条城廃城時、天保期の創建から昭和に至るまでの西別院の土地利用が推測できた。

 見つかった基礎は、一番新しい火災層を掘りこんでいるので、昭和2年に再建された西別院の基礎と見られる。ほかの年代の基礎を築く時の掘り方は、「ぬの掘り」と予想される。

 享保3年の裁許絵図の100年後に書かれた古城田畑絵図面では、八幡堀だけ廃城後も残っており、八幡堀を生かすためにも、水を呼ばないよう埋めた可能性が高い。

 結果的に三条城の痕跡は確認できず、本格的調査は行わないことになった。
                                                (外山)