政治評論家 浅川博忠氏講演要旨
小小戦争の舞台裏 (1)
今通常国会は活気がない。なぜ活気がないか。小泉さんも、岡田(民主党代表)さんも、前を半分向いているが、残りの半分は後ろを向いている。味方から鉄砲玉が飛んでいる。
郵政民営化反対、「小泉は首相を3年半以上やっている。辞めてもらったほうがいい」と言う。名は体を現すの正反対で亀井静香は一番うるさい人。岡田は、小沢一郎副代表が「岡田は未熟なのだから引きずり下ろして、俺がやってもいい」と思っている。
両方の党首とも、後ろから玉が飛んでいる。
昭和17年1月生まれが小泉純一郎、同年5月が小沢一郎、ついでに言うと、私は同年9月生まれ。小沢と小泉は慶応大学を卒業している。卒業して間もなく、小泉は、父小泉純也、小沢は、父小沢佐重喜の弔い合戦で出馬。昭和44年、佐藤内閣、田中角栄幹事長の時で、小沢は初当選、小泉は落選している。代議士としては小沢が一期先輩。
47年7月、ポスト佐藤を巡って、角福対決で田中が勝った。田中の愛弟子が小沢、福田の愛弟子が小泉。田中には真紀子より2歳年上、17年生まれの長男がいたが、5歳で亡くなっている。辛い思いをしている。その分、1人っ子になった真紀子さんを猫かわいがりし、わがままに育った。長男の死で、17年生まれへの思い入れが強い。
私の年恰好を見て「何年生まれだ」と聞く。「昭和17年生まれ」と言うと、「息子もジャーナリストになっていればこんなかなぁ」ということで、角さんに可愛がってもらった。小泉は、福田邸に下足番で出入りしている。
小沢が角さんの秘蔵っ子、小泉が福田さんの秘蔵っ子。
海部政権で、小沢は豪腕幹事長、このとき、小泉は安倍派の中堅議員で、差が付いていた。小沢のことを小泉はどう考えていたか分からないが、小沢は小泉を歯牙にもかけていなかった。
その後、大幹事長だった小沢が自民党を飛び出した。そのうちに格下だった小泉があれよあれよと言う間に総裁になった。細川内閣の人気を上回る超人気。自分と同じ年、しかも格下だと思っていた小泉が首相になって、小沢は、小泉を早く倒さなければならなかった。鳩山由起夫が党首の民主党に統一会派、選挙協力を呼びかけた。お坊ちゃんの鳩山だから根回しせずに、中途半端な形で党内に持ち出し、菅直人にやられた。小沢は菅のようなタイプは嫌いだが、小泉憎しで、菅が囲碁に凝っていたので、碁を打ちに行って、菅直人を篭絡(ろうらく)。民由合併。2年前の9月だった。「小泉を倒すためなら、俺は役職も要らない。一兵卒でいい。名前も民主党、政策も民主党の政策でよい」と言って、民主党に入り込んで行った。
菅直人が年金の未納問題があって党首を辞めざるを得なくなった。次に小沢はやる気満々だった。小が大を飲み込んでの合併。山崎豊子の「華麗なる一族」と同じ。小沢はやる気満々だったが、小泉は「そうはさせない」。岡田幹事長が、小沢に次期代表を引き受けてくれと言って行った。小沢が出てきてもらっては困る。
小泉は、6月に北朝鮮に行くと緊急記者会見。さらに、「小泉にも年金未納がありました」と首相官邸で記者会見。小泉もあるが、小沢もある。小泉は、小沢のことはチラとも言わないが、小沢は、「俺が民主党代表になったら、未納代表になる。一歩引いておこう」と、小沢は「私にも未納問題がある」と記者会見。代表を辞退する。1回涙を飲む。
1月に参議院議員選挙が行われる。渡辺秀央がぎりぎり滑り込みセーフだった選挙。民主党は改選前38議席。小泉内閣は人気がない。民主党が優勢だった。小沢は「5つ増やし、43議席くらいなら岡田を切ってしまおう」ともくろんだ。結果は12も増やして、50議席。小沢は打つ手がない。
海江田万里を代理に出そうとしたが、ならず、欲求不満。「1日も早く、岡田をぶっ潰して俺がやる」
今国会で、岡田が質問し、小泉が再質問を突っぱねたので、民主党は3時間半に渡り、議場を退席。「退席だ」と指示したのは小沢だった。このとき、国会の情勢は変わった。2月の頃に、橋本龍太郎の証人喚問をやるシナリオでいく予定が、3時間半の総退席をして、引き続き、予算委員会で、長期間引き延ばすことができず、2日間しかできなかった。
4月に衆議院議員の補欠選挙が行われる。福岡2区と宮城2区。福岡2区は、山崎拓が勝つ。相手は車椅子を使っているひとだが、表に出されていないことが出されて沈没。宮城は、鎌田さゆり代議士が選挙違反で失脚。小沢塾の一期生の民主党女性候補が出る。勝つだろう。
この辺りから、岡田下ろしと打倒小泉を仕掛ける。
(社主)
