「運も実力もなかったおかげ」
100円SHOPダイソー 矢野博文社長講演
 新潟県の燕商工会議所、中小企業相談所は、8月29日午後6時30分から、燕市井土巻3、燕三条ワシントンホテルで、経営講演会を開催、600人が参加し、矢野博丈(株)大創産業社長を迎えて、「生きる」の演題で話を聞いた。

 矢野社長は、昭和18年広島県生まれ。42年中央大学理工学部を卒業。学生結婚した妻の実家のハマチ養殖業を継ぐが3年で倒産。その後、9回の転職を重ね、47年矢野商店を創業。52年(株)大創産業を設立。62年からは、「100円SHOPダイソー」の展開に着手。平成11年に年商1000億円を達成、現在は年商3200億円を突破。平成12年には、年間優秀企業家賞を受賞。

 開会にあたり、山ア悦次燕商工会議所会頭が「商議所でも、いろんな講演をやっているが、こんなに集まるのは初めて。革新的な経営者の話を聞きたいと、矢野さんにお願いしていて、ようやくきょう実現した」とし、「矢野さんの波乱万丈の人生には私も感銘している。燕でも、多くの会社が矢野さんの会社にお世話になっている。きょうはユニークな話も聞けるはず」と挨拶。

 矢野社長は、同社の新入社員に対しての言葉、自らの半生を織り交ぜながら、約2時間講演。予定時間を20分ほど延長したが、席を立つ人はほとんどなく、最後まで矢野社長の講演に耳を傾けていた。

 講演の要旨は次の通り。
                                                (石山)

 21世紀になってまだ5年しか経っていないが、20世紀と21世紀はまったく違う世紀。20世紀が成長する社会なら、21世紀は縮む社会。

 私が、新入社員に対していつも言っていることは、「きょうから、実社会に出ることになるが、あなた方学生が思っているほど、現実は楽ではない」、「楽しさの中に楽しさはない。苦しみの中で、もがいてもがいて楽しみを見つけることができる」、「『生きる』ということは、大変なこと」ということ。

 学生時代は、檻の無い動物園で育ったようなもの。社会人になったら、学生の時のように、「嫌いな教科は勉強しない」、「嫌いな人とは付き合わない」というわけにはいかない。私も大学卒業時は、「オレは社会で有能なひとかどの人間になれる」と思っていた。それが、わずか3年ちょっとで、運にも見放され、営業もうまくいかず、実力が無いことも分かった。わがままで自信家な新入社員を見ると、昔の自分を見ているよう。

 楽しさの中に楽しさはない。楽しさは苦しさの中でもがいて初めて手に入るもの。いい学校に行けば、偉くなるのではない。そこで、どれだけがんばったかが重要。勉強でもスポーツでも一生懸命やってこそ。「オリンピック選手の中に天才はいない」という言葉があるが、人よりも汗をかくことでうまくなれる。苦しさの中で必死に努力してこそ、楽しさが手に入る。それを間違えてはいけない。

 20世紀が終わり21世紀に入り、勤勉とがんばりで築いてきた100年は、まさに縮んできている。あと18年もすれば、60歳以上が人口の5割を占める。人口構造の悪化が起きてくる。

 かつて、日本は工業力で大きくなった。日本人が安月給でも勤勉に必死にがんばった結果。それが今、中国に移っている。日本が数十年前、ヨーロッパの産業を食ったように、中国が日本を食おうとしている。

 そして、リーダーの退化は目を覆うばかり。これほど怖いものはない。劣等国の奴隷にならないように、昔の政治家と官僚が日本を作った。今の政治家の自分さえ良ければという状態を見ると、おぞましくさえ思う。

 今、日本人の劣化が起きている。工業立国日本は、災害大国になっている。天災は忘れた頃にやってくると言っていたが、今はしょっちゅうやってくるようになった。こんな国民、こんな人間かわいくないと、神様が日本に対して怒っている。

 新入社員に対して、「感謝の心」を持つようにとも言っている。感謝の心があって、初めて人は幸せになれる。感謝の心の無い幸せは、金でも何でも欲へのスタートにしかならない。そして、性格を磨いていかなければならない。つまり「人間力」。人のためにがんばれるという気持ちが大切。そして、「我慢する力」。人生において、もっとも強い力が耐える力。この「『感謝の心』『人間力』『我慢する力』がないと、あなた方の人生はこれから大変ですよ」と話している。

 そして、「大創産業という会社は5年、7年先までしか持たないかもしれない。ダイソーはつぶれる。そうしないために、一緒にがんばりましょう」と言っている。必死にがんばり続けて幸せをつかんでも、磨き続けなければ、何事も劣化する。

 私が学校を出るときには、3つの選択肢があった。1つは、先生の知り合いの会社への就職。もう1つは、従兄弟が経営していたくず屋を手伝うこと、そして、女房の実家の魚屋。

 魚屋を選んだが、実際に行ってみると、すごい現実だった。体だけは丈夫だったので一生懸命に働いた。しかし、3年で倒産し夜逃げ。「夜逃げ」は、文字にするとわずか3文字だが、経験すると、とても辛くて、苦しくて、悲しくて…。あの時、女房と子どもがいたからがんばれた。

 その後、友達のツテでセールスの仕事を始めた。捨てる神あれば、拾う神ありだなと思って始めたが、まったく売れない。いつも24人中22番。食うや食わずの生活ではなく、食わず食わずの生活だった。何度も「売るぞ!売るぞ!」と声に出して言い続けたが、まったく売れなかった。「口に出せば、現実になる」と言っている人がいたが、まったくの嘘。

 最初の倒産では、自分には運がないことが分かった。それでも能力はあると自負していたが、わずか3年半で、自分には運も能力も無いことが分かった。もういい人生は送れない。オレの人生は終わったと思った。後から考えると、運も能力も無いというのはありがたかった。

 セールスの仕事を辞めて、ちり紙交換の仕事に応募した。仕事ができることが楽しくて楽しくて。周りの仲間は愚痴ばかり言っていたが、働けることが嬉しくってしょうがなかった。この頃が人生で一番楽しい時期だったかもしれない。

 その後、兄のお抱え運転手、義兄の経営するボウリング場などで働き、移動店舗の店を始めた。

 カッコ悪い商売で恥ずかしい商売だったが、自分には運も実力も無いので仕方なく続けていた。

 もともとは、100円以外の値段も付けていたが、忙しくてラベラ―が間に合わず、100円均一にした。ようやく商売が波にのり、食えるかなと思うとインフレで食えなくなるの繰り返し。特に石油ショックの時はひどかった。仲間がどんどん辞めていった。それでも、私は、運も実力も無いのでこの仕事を続けるしかなかった。コンサルタントが成功の鍵は、成功するまで続けること、というが、私の場合は続ける以外になかっただけ。

 当時も、いろんなところで百均の店はあったが、売上げだけは一番になろうと妻と一生懸命働いた。「年商1億を目指そう」を合言葉に、身近な目標を設定したのが良かった。

 ある結婚式に参加したとき、京都のお坊さんが祝いの言葉で「艱難辛苦(かんなんしんく)は、仏様がいい夫婦、いい人生を歩むために与えるもの。人生というものは、ムダなものはない。感謝して、2人で力を合わせて乗り越えていいご夫婦に」と言っていた。

 それまで私は、ムダな人生しか歩いていないと思っていた。運命の女神を憎んでさえいた。しかし、自分の人生はムダではなく、ここに導かれていた。いろんな苦労は、多くのハードルを与えてくれて私を鍛えていたんだと思ったとき、運が悪いと思っていたのが、本当は運が良かったのかなと思えるようになった。

 日本が伸びた20世紀は終わった。21世紀は、厳しい、劣化していく時代。経済においても冬の時代を迎える。良いことは、もう起こらないかもしれない。大きくすることより、生きることに感謝するしかない。技術ではなく、心の時代に入った。泣きながらでも耐えて、生きていくしかない。