謙信の寄贈品、景勝の文書 御開帳に合わせ一般公開
上杉謙信の祈願所 新潟県燕市国上 国上寺
 2009年NHK大河ドラマ「天地人」。越後の智将、直江兼続とその主君、上杉景勝の2人の姿を描いた作品。三条市でも「天・地・人の会」が設立されるなど、その機運は高まっている。

 上杉景勝の養父で、直江兼続の師として大きな影響を与えた「越後の虎」こと上杉謙信。その上杉謙信の祈願所として知られるのが、越後最古の古刹、燕市国上、真言宗豊山派、国上寺(山田光哲住職)。祈願所とされただけあって、国上寺には上杉謙信から寄贈された品や上杉景勝の文書など貴重な品が残る。

 ことしは、国上寺の子年のご開帳の年にあたり、10月1日から11月10日までの40日間、秘仏御本尊が開帳される。それに合わせて、上杉謙信の寄贈品なども一般公開される。

 上杉謙信は、国上寺の千手観音に深く信心。祈願所として10万石の格式を与え、七堂伽羅を建立。また、牡丹の形をした牡丹燈籠、1幅につき1000の仏が描かれている掛け軸3幅、「三千仏の掛け軸」を寄贈している。

 上杉謙信は、国上寺のほかにも、胎内市の乙宝寺、小千谷市の五智院にも祈願所として10万石の格式を与えている。

 山田住職は「謙信公は、国上寺、乙宝寺、五智院の三寺に十万石の格式を与え、その地区地区の統括寺院とした。今でこそ、国上寺は下越だが、その頃に、上中下越という区分ができたのではないか」と話す。

 1578年に上杉謙信が死亡すると、その家督相続をめぐって上杉景勝と上杉景虎の間で「御館の乱」が起こる。上杉景勝は、それに勝利し家督を相続。直江兼続を政務のすべてを取り仕切る執政に据える。

 1586年、豊臣秀吉と盟約を結び、豊臣政権の繁栄に貢献。1598年には、上杉景勝は豊臣秀吉から歴代3位の会津120万石の大禄を与えられ、国替を命じる。

 この時、上杉景勝は、越後から会津へと移る際に、国上寺に立ち寄っているという。

 山田住職は、「景勝公が会津へ移る時に国上寺に立ち寄られている。その頃の国上山の山中には、東参道に16カ所、西参道に4カ所、そして、国上寺を含めた21の房があったと言われ、300年前の古絵図にも描かれている。景勝公は会津に移る時に、道中の安全の祈願をすると共に、当時の国上寺の住職の許しを得て、東参道の16房の住職を一緒に連れて行ったと伝わっている」とする。

 現在、国上寺には上杉景勝の古文書を所蔵、保管している。内容については、「何が書かれているかまでは、分からないが、これから調査されることになっている」と山田住職。

 また、上杉謙信の古文書も所蔵しているが、こちらは県が保管している。

 上杉謙信寄贈の燈籠や三千仏の掛け軸、上杉景勝の古文書などは、10月1日から11月10日までの御開帳に合わせて、聚宝蔵で展示する予定。

 この御開帳は、12年に1度の子年に行われるもの。例年は5月から8月にかけての100日間行われていたが、ことしは40日間とし、また時期については、新潟デスティネーションキャンペーンのプレイベントに合わせて10月とした。

 なお、御開帳の期間中には、良寛法要、良寛茶会、5代前の住職が行ったという10万人精霊回向会(しょうりょうえこうえ)、俳句会、記念講演なども行われる。   
                                               (石山)