地産材使い、地元の自然のありがたさ知る
加茂の匠と連携して、「木工の町」の復興願う(株)重川材木店
 新潟県新潟市西蒲区升潟、(株)重川材木店(重川隆廣代表取締役)が、新潟県加茂市長谷に(株)加茂緑の森木材工場を設立して丸1年を迎えた。

 加茂市青海町の造成地では、県産材にこだわり、地元の木工業者と連携しながら「北越の小京都」の町並みを具現化すると意気込む同社の今後の取り組みを聞いた。

 (株)加茂緑の森木材工場は、2007年10月に操業を停止した(協)加茂ウッドシステムの後を引き継ぎ、2008年3月、操業した。

 もともと、同材木店は、ウッドシステムにとって最も取引額が多い会社であり、つながりは深かった。

 ウッドシステムの経営破たんに伴い、県の林政課や、ウッドシステムの番場孝広代表理事が事業の引き継ぎ先として、同材木店代表取締役重川隆廣さんに依頼し、重川さんは快諾した。

 同材木店の前身は、大正8年創業という長い歴史を誇り、現在の事業形態になったのは、1977年から。

 現在の本社を立ち上げる際の基本理念として打ち立てたのは、「オール県産材」。あくまでも地元の木材を使うことを柱とした。

 2000年には、県内の設計事務所や工務店、製材所、材木店などが参加して、「新潟の山の木で家を造る会」の初代会長となり、現在もその重職を担っている。

 同会の立ち上げについて重川さんは「私どもが建てた家を見て、県産材であるにもかかわらず、いろんな方々から、『これは何の木だね?』という寂しい質問が投げかけられた。アメリカの木材は、見ればすぐ分かるが、すぐ近くの木材を見ても種類が分からない人が多かった。そういう経験があり、地元の木材を知ってもらいたいという思いから、この会を立ち上げ、初代会長になった。これによって、大手の住宅メーカーが力を入れるパネルハウスなどとの差別化を図るということにつながったが、それ以前に地場産業を柱とし、地域に根付く取り組み、あるいは地域の活性化という観点で、県内の木材を使うという柱ができたことに、大きな意義がある」と、その経緯を話す。

 ウッドシステムが操業を停止したことは、同社にとっては当初大きな痛手となった。

 「昔は、製材を発注しても、納期や納材をちゃんと守ってくれる業者が少なかった。その中で、ウッドシステムは注文を忠実に守ってくれる初めての製材所だった。年間30棟をすべて県産材で建築するためには、ある程度のパワーと熱意を持ったパートナーが必要だったのだが、その要件をすべて満たしていたのが同所だった。だから、同所が生産を停止した後は、誰かが後を引き継いでくれないかと願いながら、代わりになる製材所を当たっていた」と、新たなパートナーを模索する日々が続いた。

 各方面からの依頼を受けてウッドシステムの後を引き継ぐことになる同社だが、そこには、先述の会の創設時と同様の思いがあった。

 「私は、熱意のある人が後を引き継いでくれるのならば、誰でもいいと思っていた。住宅建築の業界は、競争が激しい。日々しのぎを削っている。そういう中で、あえて県産材の供給に光を当て、山を活性化させていくことは、それだけの情熱がなければできないこと。しかし、新潟の人間は、阿賀野川や信濃川などがあるように、きれいな水、きれいな空気があるからこそ健やかに暮らせているのであって、その川の源流である山々を大事にし、そこに生える木々を大切にし、感謝する気持ちを持たなければならないのではないか、そういう思いに押されて、引き受けることになった」と、山への強い思いと、県産材にかける情熱が後押ししたと述べた。

 また、「番場代表理事をはじめ、小池清彦加茂市長、商工会議所のみなさんから、主要な産業である木工産業を通して、加茂のまちを盛り上げてほしいとのお話を頂き、行政の熱意や努力を強く感じた」と、行政をはじめとして、加茂のまちの活性化を願う人たちからの熱意に突き動かされた形だ。

 3月には、加茂市青海町に、1700坪の造成地がほぼ完成した。加茂の山や川に育まれた地元産の木材を使い、地元のユーザーや木の匠たちとコラボレーションを図りながら、「北越の小京都加茂」を具現化させるもので、まさに地産地消のコンセプトの集大成と言える。

 最初に加茂を訪れた時、「小京都」と言いながら、フランスのプロバンス風住宅や、カントリー調の住宅などが並んでいる加茂のまちを見て、拍子抜けしたという重川さんが描く、独自の「小京都」像が具現化しつつある。

 「『小京都』のイメージを具体的に表すのは難しいことだが、樹木が生い茂って、ちょうちょや鳥が集まってくるような自然の豊かな場所にしたい。そして、それを喜んでくれる人たちに住んでほしいと思っている。そして、そこに建つ住宅の家具は、地元加茂の木工業者や建具業者にお願いするなど、地元の匠の方々にできるだけ参加してほしいと思っている。そこから、木工復興の新しい切り口になってくれれば」と、造成地をきっかけにして、地元に住む人たち、職人とのつながりが生まれることを重川さんは願っている。
多くの子どもが集まった「里山つみきの集い」
 家具職人など、地元の業者からの要望があれば、工場の敷地内にある作業場の貸出も受け付けるなど、地元加茂とのより強い連携を図っている。

 現在は、地元の子どもたちに、里山をもう1度見直してほしいとの願いから、保育園や児童館などで、「里山つみきの集い」を開催している。南蒲原森林組合が作った地産材の積み木に触れて、遊ぶことで、子どもたちの里山のことを考えるきっかけ作りとして、今後さらに機会を増やしていく方針だ。

 住宅建築の裏には、地元の自然を愛し、後世に残そうとする重川さんの壮大なプロジェクトが隠されている。     
                                              (杉山)