先進国の背景には財政恐慌、漏えい金融問題
「地球は1つ、されど国々は多数」エコノミスト浜矩子さん講演
 同志社大学大学院ビジネス研究科教授でエコノミストの浜矩子(はま・のりこ)さんが、10日午後4時から、加茂市産業センターで「2012日本経済の課題と行方」のテーマで話した。加茂商工会議所新年会員事業所の集いの新春講演会で講演したもの。

 浜さんは、東日本大震災をはじめ災害に見舞われた昨年は、経済的にも多くの問題が押し寄せたとしながらも、「2011年に発生した経済上の諸問題は、2012年の予告編でしかなかった。2012年において本格的にその全貌を現す諸問題が、チラッとその片鱗を見せたというだけだった」と述べ、今年は昨年以上に厳しい経済上の問題が表われると警告した。

 そうした「2012年の経済物語」のタイトルを「地球は1つ、されど国々は多数」と名付け、「地球経済、グローバル時代を迎えているが、その中に国民国家は多数存在する。ヒト・モノ・カネは、簡単に国境を越えて地球上を渡り歩くが、その一方で、国境を超えることのできない国が存在する。この矛盾した状況、整合していない状況が、いろんな問題をもたらしている。その本質が見えてくる年が今年なのではないか」と説明した。

 さらに、浜さんは、この経済物語は、「財政恐慌」、「漏えい金融」、「囲い込み通商」、「通貨戦争」の4つの側面があるとし、1つずつ説明し、最後に「国富論を超えて」と題して、今後、日本国民だけでなく、世界の全国民が目指すべき社会について説いた。
                                             (石山)

 講演要旨は次の通り。

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財政恐慌』

 国々の財政が引き金になり、恐慌現象を引き起こしてしまう。恐慌とは恐れ慌てる。多々ある経済現象の中で1番恐ろしい現象。端的に言えば、経済活動のショック死、瞬時にしてマヒ状態に陥る。我々は、その恐ろしさを2008年のリーマンショックで体験した。世界の生産規模が4分の1ほど縮減し、金融は煮詰まる。まさに経済活動がショック死状態に陥った状況を目の当たりにした。

 あれは金融恐慌。金融の暴走が恐慌現象をもたらしたが、いまや国々の財政が経済活動をマヒ状態に追い込むという姿。昨年、ギリシアでその姿を見た。放漫財政を引き締めなければいけないと、公務員が大量に解雇され、それに反旗をひるがえしてストが起こり、その間、行財政サービスは完全にストップした。治安は守られず、ゴミも収集されない、生活保護費も支給されない、年金はあきらめた方がいいという状況。

 まずは、ギリシアでこの姿を目の当たりにしたが、これと同じことがヨーロッパでは、きょうはイタリア、あすはフランスと広がっている。これはヨーロッパに限った話ではなく、アメリカの方が状態は深刻。債務の上限を繰り返し引き上げないと、まともな行政サービスを続けられない。これは事実上破たん国家に等しい。それに輪をかけて深刻なのが我が国の財政。国の財政規模の2倍の借金を抱えている。

 財政というのは民間経済が恐慌状態に陥った時に、救出するためのレスキュー隊の役割を果たすべきもの。いざという時の役割を期待するからこそ、税金を払い、政治家や公務員をいわば養っている。ところが、レスキュー隊たるべき財政そのものがレスキューを必要としている。そのために我々が増税に甘んじなければいけないという奇異な状態。

 財政はある程度のところまでは借金をし、それによってレスキュー隊の役割を果たし、経済活動を下支えする。しかし、一定の限度を超えると財政が拡大すると、この構図が崩れてしまう。財政が拡大すること自体が国々の経済を破たんに追い込む。拡張財政の損益分岐点とでも言うべきものをはるかに超えたところまで財政が拡大したつけで、財政が恐慌を引き起こす。

 なぜ、こうした状態になるのかの答えが「地球は1つ、されど国々は多数」。ヒト・モノ・カネは容易に国境を越えるが、それによる諸問題に対応するレスキュー隊の役割をしなければいけない財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、国境を超える問題に対応しなければいけないミスマッチが国々の財政に負担をかけている。

 財政恐慌がもたらすさらに怖いことを、我々はまさにヨーロッパで目の当たりにしている。国の財政が窮地に陥り、その国の国債を持つ金融機関が窮地に陥る。この時点で財政恐慌が金融恐慌に転化する。バタバタと金融機関が倒れることを放置するわけにはいかず、国有化や公的資金注入などにより支えなければいけない。つまり、その分、財政に負担がかかる。財政恐慌はさらに深まり、それに伴い金融機関は痛み、金融恐慌は深まる。財政恐慌と金融恐慌の無限振り子が動き出してしまっている。

 そもそも恐慌は、怖いことだが、従来の恐慌は、起こると、それまでに起きていた問題は解決するという効果があった。あまりにもゆがみが大きくなった経済がバランスを取り戻そうと引き起こすのが恐慌という、自浄作用の側面があった。非常に苦いけれど、よく効く薬の側面もあった。ところが、財政恐慌と金融恐慌の無限振り子型の恐慌では、そこにバランスを取り戻す力学は働かない。この恐ろしい姿が次第に見えてきていて、年明けから本格化してきている。

『漏えい金融』

 昨年見えてきていた現象の1つに、先進諸国はおしなべてデフレ。これを解消しようと先進諸国の経済施策は金融の超大緩和で横並び。結果として、先進諸国が人為的に作り出した余り金が、先進諸国の中で回ることで経済活動に寄与するのではなく、どんどん漏れ出し、インフレで景気好調の新興諸国に向かっている。そして、行った先でさらにインフレをあおっている。これもグローバル時代であるからこそ。

 先進諸国のデフレを是正することを期待されている先進諸国の余り金が、その効果をまったく果たさず、むしろ金が余り過ぎてインフレ、バブルをもたらし、困っている新興諸国に向かっているのが現在。

 さらに厄介なことに、これでバブルを引き起こしてもらっては困ると新興諸国は金融の引き締めが行われた。その結果、新興諸国の金利は高くなり、皮肉なことに一段と高い金利水準を狙って、先進諸国から余り金が流れ込む。先進諸国でも新興諸国でも金融政策は完全に政策能力を失っている状況。目の前の課題を解決しようとしてやることでさらに状態を悪化させ、人にも迷惑をかけてしまっている。この状況は昨年、かなり明らかになっている。

 こうした展開の中で新たに出てきた問題が、財政恐慌と金融恐慌の無限振り子の中で窮地に陥っているグローバルな金融機関による新興諸国に対する貸しはがし、貸し渋り。これが新興諸国を一変して、バブルから資金不足によるデフレに引き寄せている。

 漏えい金融に立ち向かおうとしている国々の姿を見ると「合成の誤謬(ごびゅう)」という言葉を思い出す。つまり、人にとって良いことが全員にとって良いこととは限らないということ。これを生きた形で見せつけたのが震災直後の買い占め行動。個人で見れば、先が見えない中で生活必需物資を買い溜めるという行動はいたって合理的な選択。しかし、その行動を皆がとることで誰も満足に手に入れることができないという不合理な結果を来してしまった。思えば思うほど、「地球は1つ、されど国々は多数」。多数の国が自己防衛に向かうことが、1つの地球を破壊する。合成の誤謬を引き起こす力学が働こうとしている。

 財政恐慌で国が痛めつけられ、金融政策が無能状態に陥ると、どういう思いにかられるかというと、ヒト・モノ・カネが国境を越えるから財政恐慌が起こり、漏えい金融問題が起こるとなれば、出てくるのは鎖国をすればいいではないかという考え。ヒト・モノ・カネが国境を超えないようにすれば、国境を越えられない財政が政策能力を取り戻すかもしれない。資本移動を規制すれば漏えい金融問題も解消するではないかと。これが、実際の動きとなっているのが「囲い込み通商」。

『囲い込み通商』

 囲い込み通商を具体的な形で見せてくれているのがTPP(環太平洋パートナーシップ協定)。環太平洋エリアを囲い込み、その中で貿易自由化の果実をエンジョイしようというもの。

 TPP構想と対になって出てくる言葉が「例外なき貿易自由化」。TPPは例外なき貿易自由化をもたらす構想だと。これは本質を外している。TPPは決して例外なき貿易自由化をもたらす構想ではなく、例外なき貿易“不”自由化をもたらす構想と考えるのが妥当。あるいは例外なき囲い込み貿易をもたらすのがTPP。環太平洋というエリアを囲い込んで、その中だけで貿易関係を深めていこうということ。

 これができると、外に止まらざるを得ない人にとっては貿易はあきらかに不自由化する。さらに、中にいる人にとっても、きのうまでは取引していた相手と、その相手がTPPの塀の外に止まっているために、コスト上取引ができないという状況にもなりかねない。特定地域囲い込み型のやり方は、確実にこうした現象をもたらす。地域限定型通商体制の貿易転換効果と言われる。これを例外なき貿易自由化をもたらすというのはナンセンス。

 個別各国の事情を考えれば合理的な選択と言えるかもしれない。財政恐慌を背景に漏えい金融問題が悩ましい、自国のために地域限定型の通商協定に走る。個別の国益のためというなら合理的なのかもしれない。しかし、これを各国が自分の都合のいいように、地球経済を切り刻んでいくと、グローバル時代は終焉し、分担と排除のブロック経済時代がまた姿を現す。

 これがどういう結果をもたらすかは1930年代の提言がよく示してくれている。合成の誤謬の最たる形で帰結を現し、1930年代から第2次世界大戦に向かう展開だった。2度と再び、その過ちを犯さないようにと、戦後にGATT体制、貿易と関税に関する一般協定を結び、WTO(世界貿易機構)に発展的につながる。このWTOが掲げている大原則が「自由」、「無差別」、「互恵」の三原則。1番重要なのが「無差別」。相手によって態度を変えない、相手によって差別をしない、無差別的、全方位的に誰とでも同じように交易を行うことで、お互いに恩恵をもたらしあう。TPPなどの地域限定排他協定は、戦後の通商体制の基本理念にも違反している。

 こういう方向に向かっていけば、自ずとぶつかっていかざるを得ない。自分がひきこもるエリアはできるだけ豊かにしたいとは誰もが思うこと。市場のぶんどり合戦の方向、囲い込み合戦の方向に動いてしまう。今年、これがどこまで進んでいくかということも非常に気掛かり。

『通貨戦争』

 ユーロがどんどん安くなり、対円ではドルもどんどん下がっている。為替市場は緊迫した状況になっている。ドルにも、ユーロにも円が独歩高になる状況で、これを放置してはいけないと、仮に日本が円高阻止に介入する方向で通貨施策を動かすと、それが引き金となり、ヨーロッパもアメリカも中国も介入し、為替切り下げ競争が起こることになりかねない。こうした各国の姿勢も2010年、2011年を通じて見えてきた。

 為替戦争に依存する、打って出るという行動をとってきたのがアメリカ。2010年の年頭、オバマ大統領は一般教書演説で、向こう5年間でアメリカの輸出を倍増させると輸出倍増計画を打ち出した。たった5年間で倍にするということを真剣に実現しようとすれば、思い切ったドル安を追及しなければならない。2011年にはさらに驚くべきことを話した。「今後、世界で生み出される新たな雇用機会はすべてアメリカの中で生まれなければいけいない。今後、世界で行われる技術革新はすべてアメリカの中で行われなければいけない。アメリカ経済の発展に寄与することのない外国の若者をアメリカの教育機関で教育することはナンセンスだ」と。これは息を飲むものがあった。雇用機会を独り占めという話は、アメリカがTPP構想を推進するのと歩調が合う。大きな市場を囲い込むことで、その経済効果がアメリカの雇用にもたらす効果を狙っている。輸出を伸ばすという意味でもドル安追及、為替戦争に向かう前のめりの姿も感じた。為替戦争がどういう帰結をもたらしたかということも、1930年代の教訓がよく示してくれている。為替切り下げ競争は始まったら誰も自力では止められない。

 通貨の問題で目をそらすわけにいけないもう1つの現実は「円」の行方。円高でなんとかしないといけないと為替切り下げの政策を始めると、恐ろしい展開のきっかけになると思うが、「円高ではたまらない」という気持ちも分かる。一方で、今の状況でたまらないと言っている場合ではないという側面もある。

 私は以前から「1ドル50円時代」が到来すると言ってきた。なぜかと言えば、経済的にも1ドル50円にならなければバランスがとれない、歴史的にも1971年8月15日のニクソンショックで、それまで世界で唯一、金と同じ価値を持っていたドルの価値が崩れた。この時点で1ドル50円まで価値が下がっていてもおかしくはなかった。ただ、一気に減価することのないように世界各国で40年間動いてきた。バランス要因からも、歴史要因からも1ドル50円は不可避。

 とは言っても、日本経済にとって壊滅的な要因になることを許してはいけないという意見も多々ある。輸出企業にとっては大変なことというのも良く分かる。ただ、1ドル50円が日本経済に壊滅的打撃要因という認識は、その背後に、ほかの条件は何も変わらない、日本の経済や体質、構造、アメリカの経済や体質、構造が何も変わらない中で為替だけが1ドル50円に替わるというイメージがあるのではないか。要するに、あすの朝、1ドル50円になるという感じ。

 確かに、あすの朝、1ドル50円になれば大変なことだが、それなりの時間をかけてソフトランディングしていくのであれば話は違う。そのプロセスの中では、アメリカの姿も、日本の姿も変わる。端的には1ドル50円までドルの価値が低下すれば、その時点で日本の貿易決済のあらかたは円建てに切り替わっているのではないか。そこまで価値の下がったドルで誰が取り引きをしたいと思うか。

 1ドル50円までドルの価値が下がるということは、それだけドルを使っていない、必要としていない、欲していないということ。1ドル50円の世界は、日本も世界もあまりドルを使っていない世界。使っていない通貨だからこそ価値は下がる。誰も使っていない通貨なら、それがいくらであろうと痛くもかゆくもない。1ドル50円の世界は、壊滅的打撃を受けるどころか、ドルのくびきから解放される世界。

 誰も使わなくなり、その価値に誰も一喜一憂しなくなった時、かつての通貨の王様はその地位でなくなる。つまり、基軸通貨でなくなる。

 このプロセスをたどったのがイギリスのポンド。ドルが基軸通貨になる前は、ポンドが通貨の王様だった。世界中がポンドを必要とし、ポンド相場をめぐって一喜一憂していた。ところが、いまやポンドの円建て相場を即自的に答えられる人がいるだろうか。使っていないから多くの人が知らない。それとまったく同じことが1ドル50円の時代にはドルで起こる。今、1ポンド126円くらい。1ドル360円時代には、1ポンドは1008円だった。1008円が126円になっているが、それに伴い世の終わりが来ているわけではない。そう考えれば76円が50円になったところで屁のかっぱ。

 しかしながら、1ドル50円世界への恐れが、日本を為替切り下げ戦争に追いやるという危険はあり、囲い込み通商に向かって国々は足取りを早めているように思う。財政恐慌問題と漏えい金融問題には、歯止めをかける目処が立たない。これは、「地球は1つ、されど国々は多数」の状況である限り、展望は開けない。このままでは、本当に地球経済を切り刻み、ぶつかり合う状況になり、お互いに首を絞め、足を引っ張る状況になってしまう。今のままでは、「地球は1つ、されど国々は多数」物語の終幕は、皆で永遠の暗闇を突入してしまう。では、回避するためにはどうしたらいいのか。

『国富論を超えて』

 経済学の生みの親と言われるアダム・スミスが書いた国富論。「国富論を超えて」を言いかえるとすると、「撲富論から君富論への発想の切り替え」。自分の富さえ増えればいい、そのためには何をやってもいいという考えから、あなたの富を増やすように、あなたの富が減らないように考えるということ。この発想に地球全体が変わらないと永遠の暗闇への突入は回避不能。

 アメリカはまさに「撲富論」のかたまり。バイアメリカン運動が盛んに行われている。ほかの国も同様なことが行われているが、それを「君富論」の考えにするとどうなるか。バイアメリカンではなくバイチャイニーズやバイジャパニーズに、日本ではバイチャイニーズやバイアメリカンということになる。

 これを話すと、まさかできるわけがないと言われる。それは経済の世界ではないとも言われる。それも分からなくはない。ただ、この「まさか」には2つの反論を返す。1つは、「君富論」を別に言い換え「情けは人のためならず」と言うとイメージは変わる。その2は歴史の教訓。すなわち「まさかは必ず起こる」。誰が20世紀の間にベルリンの壁が倒れると思っていたか、昨年も「アラブの春」という「まさか」があった。まさかをはやりの日本語に言い換えると「想定外」。我々は嫌というほど想定外が起こることを思い知らされている。つまり、まさかは必ず起こる。「撲富論」から「君富論」への切り替えも必ずや可能になる。

 最後に、皆さんに私と1つの契約を結んでほしい。今の瞬間から「君富論」の普及運動に全身全霊を傾けてほしい。この契約を結び、履行してもらうと永遠の暗闇を回避され、新たな夜明けに向かい扉を押し開くことができる。「地球は1つ、されど国々は多数」物語が永遠の暗闇ではなく、新たな夜明けを持って終わるには、皆さんの「君富論」契約の履行力がすべてを決定する。

 2012年01月12日本紙掲載
加茂商議所