厳しいものづくり業界での生き残りかけ
体制のスリム化と攻めの経営 新・共和工業設立、2月1日から操業スタート
 人口減少により、日本の国内市場の縮小は避けられない状況。当然、ものづくりの市場も縮小は避けられず、あらゆるものづくりの基礎となる金型産業は、リーマン・ショック後の受注減に加え、超円高などによるメーカーの海外移転が加速したことで人件費の安い海外との競争が一層激しくなり、厳しい状況にあえいでいる。

 こうした状況を早くに見越していた、自動車や家電製品用金型製造の共和工業(株)は、希望退職者を募るなど、いち早く体制のスリム化を断行。さらに新会社を設立し、従業員と設備を移して仕事を引き継ぎ、企業の根幹となる技術力を残しつつ、資本も集約し、スリム化を完成させた。

 新潟県三条市直江町四地内の直江工場に本社機能を移し、新・共和工業(株)を設立したのが昨年6月29日、今年2月1日付で旧・共和工業(株)から残る従業員が移り操業を始めた。

 三条市須頃に本社を置く旧・共和工業は現在も企業として存続しているが、新会社も同じく共和工業。「会社がやっていることは変わらない。お客様に少しでも心配をかけないために」と、従業員や資本だけでなく、社名も引き継いだ。

 ピーク時にはグループ会社も含めて790人いた社員が現在は340人ほどに。工場も、以前の5工場から直江工場と三条市今井地内の大型工場の2工場に集約。昨年末に三条市へ寄付した三条市直江町四地内のテニスコートをはじめ、その他の資産も随時、整理していく。

 新・共和工業の武田芳久社長は、「景況に合わせたこれからのものづくりに合わせ、自立して今後もやっていけるように経営のスリム化を図った」と話す。

 武田社長は、現在の金型業界について、「リーマン・ショックで冷えていたが、少し明るさが見えてきたところ」と話すが、今後の見通しについては、「国内からものづくりが無くなることは無いが、リーマン・ショック以前に戻ることはない」と考える。

 また、超円高だけでなく東日本大震災がメーカーの海外移転を早めていると言う。「東日本大震災で東北、北関東の部品メーカーが稼働できなくなり、緊急避難的に中国や韓国などの海外で部品の製造を行っていたメーカーが、海外製品でも何とかやれる、そして安いと気付いて、そちらがメーンになってしまっている」。

 「どこでも作れるものは海外に行ってもいい」とすら話す武田社長は、「中国などもレベルは上がってきているが、まだ日本のレベルにまでは達していない。日本でしか作れないというものが、少ないがまだある。その製品を金型に結び付けて、お客様にどういう商品を作ったらいいかというところまで提案していきたい」とする。

 超高度で超軽量のカーボン繊維、超精密で安全性が求められる医療機器、電気自動車やハイブリッド自動車の燃料電池、エネルギー産業の新製品など、エコや医療の分野での新たな可能性を模索する。特にカーボン繊維については「鉄より軽く、鉄の20倍、30倍という強度を持つカーボン繊維によるものづくりはこれからの日本の武器になる。非常に加工が難しいが、新幹線やリニア・モーターカーの車体などの新しい技術には使われている。省エネを考えた時にも、軽くて丈夫なカーボン繊維は、電気自動車やハイブリッド自動車などでも可能性はある」と見る。

 もう1つ、同社が力を入れているのが海外工場への技術指導と管理。「金型作りは日本人の几帳面さと協調性という性質があって、世界的にお客様が求める品質レベルと納期を忠実に守ることができる。海外でも教えれば形は同じものは作れるが、仕事に対する国民性はなかなか変えられるものではない」と、コストを下げるために海外で作りたいが、品質も求めたいというメーカーの声に応えている。これも、30年以上前から海外展開をしている同社の基盤があってこそ。「我々もそうだが、当然、海外の人も『人』を見る。信頼関係や拠点があるからできること」と胸を張る。

 「金型は100%受注生産の仕事だが、待っているだけではダメ。いかにお客様に働きかけていけるかが重要になってくる。いい商品作りのための提案、海外に対する技術支援、最終製品への協力など、窓口も広げ、安定受注の方向に向けて努めたい」と武田社長。

 縮小が避けられない国内のものづくり産業の中にあって、時代に即した社内体制と攻めの経営で、難局を乗り切る。 
                                              (石山)
 2012年03月06日本紙掲載