近藤亨さん、ネパール最高栄誉1等勲章受章
ムスタン地区農業開発の功績認められ
 ヒマラヤの北側、ネパールの秘境ムスタン。不毛の地と言われる標高2750メートルで稲を作り、果樹栽培の指導や、小学校や病院などを建設し、地元の人たちのために、91歳を過ぎた現在でも活躍している加茂市出身の近藤亨さんは、このほど、ネパール民主政府より、最高栄誉の1等勲章にあたる「スプラバル・ジャナセワスリー1等勲章」を受章した。

 2008年5月に連邦民主共和制への移行が宣言され、240年近く続いた王制が廃止されたネパール。民主化されて初めて行われた勲章の授与で、近藤さんは外国人で唯一、最高栄誉賞の勲章を受章した。

 近藤さんは、1921年加茂市狭口生まれ。新潟大学農学部助教授を経て、新潟県園芸試験場の研究員となり、1976年には国際協力事業団(JICA)から植樹栽培専門家としてネパールに派遣された。JICAを辞めた後もネパール・ムスタン地域開発協力会の理事長、現在は「MDSAネパール・ムスタン白嶺会」の代表として、ネパールのために尽力し続けている。

 貧しいムスタンの人たちに「白い米を腹いっぱい食べさせてやりたい」という志のもと、周囲の反対を押し切り、すべての私財を投げ打って、70歳という年齢でムスタンに単身乗り込んだ。標高2750メートルで稲作に挑戦し、見事成功させた姿は新潟県のみならず、全国ネットのテレビでも放映され、近藤さんを知っている人も多いだろう。

 現在、一時帰国中の近藤さんは、MDSAネパール・ムスタン白嶺会現地駐在スタッフの有沢章太さんとともに加茂市を訪れ、弊紙の取材に応じた。

 同会は、近藤さんの理念により農業開発、実証展示、現地青年への技術指導を手掛ける傍ら初等教育の振興に心を注ぎ、学校建設、校庭整備、ネパールで初めての完全学校給食等実施、これまで17の小学校、中学校、高校をムスタンの各村に建設、さらに、病院の建設運営などの奉仕活動を推進している。

 ムスタンはネパールの中西部に位置し、全域が標高2000メートル以上の高地。ヒマラヤ山脈のひび割れのような地形なので、チベットからの乾燥した風、またはチベットに向けて吹き上がる南風の通り道となり、1年中強風が吹き荒れる年間降雨量がわずか200ミリの乾燥地帯。

 日本の奈良県を一回り小さくした程度の形状で、南半分をアンダームスタン、北半分をアッパームスタンと称しているが、村落のある生活領域は、それぞれ標高2700メートル以上、3600メートル以上の高山帯。小石と土の砂漠、カリガンダキ河に沿って無数の渓谷、段丘が続き、耕作地および耕作可能地はわずか2・6%で不毛の大地。

 稲作は強風や過酷な寒さなどで、失敗が続き、3年間は、稲穂を実らせることができなかったが、あきらめることなく作業を続け、ようやく4年目にして奇跡が起こった。それ以来、毎年ムスタンでは、農作物に恵まれるようになり、ムスタンの人々の生活は変わった。

 ムスタンでは近藤さんを知らない人はいない。どこに行っても、子どもからお年寄りまで「近藤バジェ(おじいさん)ナマステ」と、近藤さんに笑顔であいさつしてくる。

 稲作の成功をはじめ、近藤さんの功績は数えきれない。町の外には、近藤さんが村人を指導して植林した樹木が植えられており、あと10年も経てば立派な森になるそうだ。利用したのはヒマラヤの雪解け水で、水さえあれば植物は育つというシンプルな考え方が功を奏した。

 さらに、雪水を利用したニジマスや鯉の養殖場、石垣で囲まれたビニールハウスも。ヤギの飼育も重要で、たい肥やきゅう肥をヒノキやマツに与えることでソバや麦しか作れず、野菜らしい野菜が育たなかった不毛な土地でも作物が取れるようになった。その結果、ムスタンの市場は激変。日本の八百屋で見かけるような野菜や果物のほとんどが市場で買えるようになった。

 なによりも村人の生活を潤したのはリンゴの栽培。日本では、稲作が大きく取り上げられることがほとんどだが、近藤さんの挑戦の原点は果樹の栽培。今ではキレイなリンゴがたくさん収穫でき、ネパールの高級スーパーでも取り扱われるほど。「ムスタンのリンゴ」としてブランド化されている。干しリンゴやジャムなどの加工品も近藤さんが教えた。

 今回の勲章は、このようなムスタン地区の農業開発の功績が認められたもの。昨年11月に、受章の吉報が届き、1月25日に授章式が行われたばかり。日本に帰国していたため、近藤さんは授章式には出席することができなかったが、近藤さんを「育ての親」と慕う、現地スタッフのオパール・カドカさんが代理で出席した。

 近藤さんは照れながら、「この年になって恥ずかしい。子どもが飴をもらうようなもの」と受章の感想を述べる。「ムスタンの人々の暮らしを少しでもよくしたい」と続けて来た活動を「あっという間の40年だった」と振り返る。

 「ムスタンはネパールの中でも政府の施策からも見放された、恵まれない地区である。ムスタンは、まず、農業振興で食料自給を目指し、豊かな生活を送れるようになることが重要であり、同時に初等教育の振興が欠かせないことを現地で身をもって痛感した。アジアには独自の誇り高い文化や豊かな大自然がある。真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資、金品の一方的供給ではない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をはらう時、初めてその真価が現われるのである」とし、「ボランティアやNPOもこういう日本人の根性を勉強しなければいけない」と笑う。

 酒が飲めず、甘いものが大好きという近藤さんの趣味はマージャン、囲碁、将棋。「勝負が好きなじいさまですよ」と茶目っ気たっぷりに話す。

 近藤さんは3月末まで新潟市に滞在し、再びムスタンに渡る予定。「加茂は大事なふるさと。『ふるさとは遠きにありて思ふもの』とあるが、まさにその心境。ムスタンにいて加茂に帰りたくなることはないが、加茂は今どんなだろうかと考えることがある」としみじみ。「ムスタンで人生のピリオドを打とうと思っているので、もう色気から卒業した。今までやってきたことをこれからもまっとうする」とし、有沢さんをはじめとする若いスタッフの人材育成に力を注ぐとしている。  
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 2013年01月30日本紙掲載