人との出会い、縁、最大限に
捧賢一さんお別れ会、1600人規模で
 潟Rメリ名誉会長ファウンダーで、5月8日に86歳で逝去した捧賢一さんのお別れ会が7月4日、新潟県の朱鷺メッセ新潟コンベンションセンターで開かれた。県内外の政財界から参列者1600人規模のお別れ会で、人との出会いや縁を大切にしたという故人を偲んだ。

 お別れ会では、「世の中の人々の幸せのために この仕事がありますように ここに集う人々の幸せのために この仕事がありますように この企業に縁のある人々の幸せのために この仕事がありますように」と話す生前の捧名誉会長の姿も映し出され、捧雄一郎社長は「これは会長の遺訓です。残された私どもは会長の夢を、ロマンを実践するために、これから一生懸命まい進し、必ず会長の夢を実現します。また、会長の遺訓を旗印に、世の人々の幸せのためにお役に立てるようまい進する所存です」と参列者に感謝するとともに、決意を述べた。

 捧さんは家業の米穀商「米利商店」の業務や燃料販売を経て、1977年、三条市須頃にコメリホームセンター第1号店を開店させホームセンター事業に参入。いわゆるホームセンターや大型店の「パワー」に加え、農業資材などを中心とした地域密着型のハード&グリーンの多店舗展開で2010年に全国1000店を達成するまでに育て上げ、流通体制の近代化にも寄与した。

 ふるさとに対する思いも強く、市民有志とともに法華宗総本山本成寺の庭園「三軌苑」の復元や三条八幡宮の拝殿再建に取り組み、県内の緑化活動への助成金として利益の1%を還元する「コメリ緑資金」や、若手芸術家の育成などを目的した財団法人美術育成財団雪梁舎(現・公益財団法人雪梁舎美術館)、全国の店舗や流通センターから災害時に物資供給支援を行うNPO法人コメリ災害対策センターを創設するなど、文化芸術をはじめ、あらゆるかたちで地域貢献活動にも取り組んだ。

 お別れ会では、元郵政大臣で日本ミャンマー協会会長の渡辺秀央元代議士が友人代表として追悼の言葉を述べ、「あの独特な満面こぼれるような笑みを浮かべながら、現世には何の後顧の憂いもなく釈迦の御仏の御下に向かって歩みを進めておられる、あなたの満足感と安心感をはっきりと偲ばれてなりません。創業者としてのあなたが、雄一郎社長を育て上げ、実穂夫人とともに名コンビを潟Rメリと捧家に残された。大きな功績であり、親として、経営責任者として最大の責任を果たされたことであったと確信しています。ホームセンター創業時の目標であった全国1000店舗は見事に突破し、1200店舗開設実現の黄泉(よみ)の下にあるあなたへの知らせは、悲しみの中での慶事であったと思います。私の人生で最も誇られる自慢の友人の1人であることは今後も変わることはありません。ありがたいご縁をいただき、感謝に堪えません。ゆっくりとお休み下さい。捧さん、さようなら」と、語りかけるように述べた。

 お別れの言葉では、鰍ンずほフィナンシャルグループの佐藤康博取締役会長が「生前、名誉会長は全国の店舗回りを欠かさず、店舗がある地域と住民の方々に対する貢献に大変な努力をはらってこられました。常に現場主義、取り扱う商品とお客様からのニーズに真正面から向き合い、人々の幸せを追求してこられた。捧社長をはじめ従業員の方々は、名誉会長の経営精神を引き継ぎ、海外への第一歩を踏み出そうとされています。昨年、タイへの事業展開を発表されました。タイのメコン川流域のホームセンターマーケットはまさに、40年前の日本でございます。今後も貴社が世界のコメリを目指されるにあたり、みずほはグループの総力を結集し、最大限のサポートをお約束いたします」と、捧名誉会長の遺志を継いだ海外展開への支援を惜しまないとした。

 取引業者で構成するコメリコッコ会の会長を務めている、花王鰍フ竹内俊昭代表取締役専務執行役員は「弊社にお1人で来社され、『業界の発展、ホームセンターの市民権確立に協力してもらいたい』とコメリコッコ会役員、会長への就任要請をいただきました。それから約20年、微力ではありますが弊社が引き続き務めさせていただき今日に至ります。農業を営む方々を主要顧客と位置付けられた独自の専門業態ハード&グリーン、収穫期払いが選べるアグリカードなどお客様からのご要望にお応えしながら、差別化されたポジションを築き上げられた。ハード&グリーンの立ち上げは、周りが反対するなかで取り組まれたと、コッコ会で何度となく話されたと伺っております。失敗を恐れず、新しいことにチャレンジする精神はコメリ様の社風として引き継がれております。その話を繰り返しされたのは、ご自身の思い、経験を広く伝えることで後に続く人を育てていきたかったのでないかと思います。業界を発展させたいという強い思い、姿勢に加え、名誉会長の優しい人柄が強く表れている逸話だと思います。新潟を愛し、地域に貢献したいという思い、郷土の発展を願う気持ちを誰よりも強く持っておられた。残された私どもは、今まで教えていただいたことを忘れることなく、業界のさらなる発展に微力を尽くすのみです」と捧名誉会長の言葉を業界の発展に生かすとした。

 東京藝術大学第9代学長の宮田亮平さんも映像でお別れの言葉を述べ、捧名誉会長の勧めもあって雪梁舎美術館で開催した親子展で親娘ともども新たな境地を見い出せたと感謝していた。

 社外取締役の松田修一早稲田大学名誉教授は故人を偲び、「キャベツ畑の一軒家」だった第1号店から「流通業の古い体制を改革したい。私は燕三条、金物のまちの農家の出身。金物と農業に関しては地の利を生かせる」と、ホームセンターや流通改革の夢を語り合ったこと、あえて地元の新潟証券取引所で株式公開し、1週間前の株価大暴落で公開を見送る方法もあったが「株を買った人がもうかるなら、いいじゃないか」と予定通り公開したこと、NPOコメリ防災センターが3・11で大活躍し「コメリの全国網が日本の災害対策のインフラであると証明された」などと逸話を交え、「越後を代表するビジネスマンであり、詩人、芸術を愛するロマンチスト。コメリはさらに進化します。これから末永く見届けて下さい」と、捧名誉会長を送った。

 捧雄一郎社長、親族、渡辺元代議士、高井盛雄県副知事、篠田昭新潟市長、國定勇人三条市長らの代表献花に続き、捧社長は謝辞で「会長は生前、人との縁、出会いを本当に大切にしてきました。会長に、成功の秘訣は何ですかと尋ねたことがあります。何度尋ねてもいつも答えは同じ『運がよかったんだ』の一言です。そうではないでしょう、人並み外れた努力と先見性があったから成功されたのでないですか、『いや、いや、そうじゃない。素晴らしい人とのご縁をいただき、素晴らしい人から、皆さんから支えていただいた。これが運なんだ』。『人は大切にするものから大切にされる。お客様を大切に思い、行動すると、結果としてお客様から大切にされる』という考えも大切にしました。衣食住の分野で、最も流通が遅れているのは住の分野であり、その中でも資材、建材などは流通が最も遅れています。住の分野の流通近代化をもって人々に貢献したい。世の中にご利益を提供したい。会長が常日頃考えていたロマンであり、会長の夢そのものです」と、人との縁、出会いを最大限に生かした個人の人柄を偲んでいた。

 代表献花に続く指名献花では、県央地域の企業関係者や、コメリ社歌を作詞作曲するなど、捧名誉会長と交流のあった小椋佳さんらも献花していた。(外山)


 2018年07月05日本紙掲載
「こぼれるような笑みでキッパリと」